『 桜ノ森満開ノ下 参 』



天を覆って咲き乱れる桜の下。
皆が、薄紅の天を見上げる中で。
彼だけが、下を見つめていた。
大樹のあつまるそこでも、ひときわ大きい樹の根。
それを、じっとみつめていた。
身じろぎひとつせずに。
それが、初めて見た彼だった。

生まれたのも育ったのも、北の田舎と呼ばれる場所だった。
だけど、私はあそこの方が好きだった。
都は、私には窮屈な場所だ。
自由に、外に出ることもできない。
もちろん、田舎でもはしたないこととされていたけれど。
ごま化す方法なら、いくらでもあった。
季節の花を愛で、風を感じる日々。
私は、あそこでの生活が好きだった。
そして、窮屈な生活は、さらに窮屈になることになった。
父が、私の嫁ぎ先を決めたのだ。
あの男のいうことは絶対だ。
誰も、逆らうことは許されない。
帝であったとしても。
だけど、私は眉をしかめた。
これ以上、窮屈な生活はイヤだったから。
しかし、あの男はそれに気付く様子もなく、相手の名を告げた。
隣りで聞いていた母の顔色が、目に見えて悪くなった。
それは、あの男の片腕とされる名であったから。
あの男に引けを取らぬほど、残忍といわれる者だったから。
だが、私は首を縦にふった。
彼ならば、尋ねてみたいことがあったのだ。
どうせ、父の言いつけに逆らっても、結果は見えている。
手に入るのは、死という自由。
だとすれば、彼に質問をしてから。
窮屈から脱するのも、悪くはないと思ったのだ。

嫁いだその日に。
私は彼に問いを発した。
なぜ、桜の樹の根を見つめていたのか。
寝室の扉によりかかったまま、無表情にこちらを見つめていた彼は。
すこし、目を見開いたようだった。
が、すぐに無表情に戻る。
逆に、問いを返した。
桜の樹の下には、なにがあると思うか。
私が、無言のまま首を横に振ると。
彼は、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
それは、聞いていた酷薄な笑みではなく。
哀しい、としか言いようのない笑みを。
そして、そっと告げた。
死体が、あるのだ。
私の肩が、びくりと震えたのかもしれない。
我知らず。
彼の言うことに怯えたのではない。
事実であろうと納得できたことが、恐ろしかった。
彼は、ゆっくりと私の目前に来た。
それから、まっすぐに覗きこんだ。
したいことがある。
その為には、なんでも利用する。
お前であっても。
それが、彼が告げたことだった。
怒りはなかった。
私は彼と共に生きていくことを決めた。
彼のしたいことを、知りたいと思ったのだ。
あの男を利用して、したいこととはなんなのか、を。

いつも無表情の彼が。
ただ一度、ぎらぎらとした目付きで帰ったことがあった。
着ている薄色の着物が、したたるほどに血に染んでいたのに、彼に怪我はなかった。
後にも先にも。
残忍で酷薄で。
あれほどの喜びに満ち溢れた顔は、見たことがない。
後になって。
あの男が廃した者達を、その手で殺したのだと人づてに聞いた。

その日。
部屋へ入ってきた彼は、どこか違った。
いつも通りの無表情だったが。
どこかに、熱を帯びていたのだ。
まっすぐに私を見つめ、そして告げた。
北へ帰れ。
怪訝に思い、眉を寄せた私に。
彼はさらに告げた。
もう、あの男は長くはない。
そして、口早に状況を告げた。
私は理解したが、首を横にふった。
もう、彼がしたいことも知っていた。
そして、なぜ私が大人しく嫁いだかも。
利用しているだけと告げられても、共にいた理由も。
私は言った。
あなたの志が遂げられぬことが、残念だ。
あの男が愚かであったがために。
彼は、嫁いだ夜と同じように。
かすかに眼を見開いた。
私は、言葉をついだ。
最後まで、共にありたい。
そう、多分。
桜の樹の根を見つめる彼を見たときから。
私は彼に惹かれていたのだ。
利用されてもかまわないと、思うほどに。
彼は、ゆっくりと私の目前まで歩み寄った。
そして、嫁いでから一度も、指一本触れたことない私を。
強く抱きしめた。
壊れるかと思うほど。
かすれた声が、聞こえた。
俺は、家族を腐った朝廷に奪われた。
だから、朝廷を滅ぼすことが俺の望みだった。
あの男の下なら、それが出来ると思ったからついていった。
全てを奪われたあの日から、誰も信じないと決めた。
だが、お前だけは生き延びて欲しい。
たった一人でも。
想った者に、生きていて欲しい。
早口に告げてから。
彼は腕を緩め、そして私を覗きこんだ。
哀しい笑みを浮かべて。
俺の、我侭な望みを、かなえてはくれないか。
私は、ゆっくりと頷いた。

天を被い尽くすように咲く、桜の下で。
私は、樹の根を見つめる。
幼い子の手を引いて。
それから、静かに手を合わすのだ。
彼の代わりに。
彼の埋めた家族が、安らかであるようにと。
それから。
彼が安らかであるようにと。


〜fin.
2001.04.14 Under the full blossom cherry trees III

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蛇足!
たたずんでいるのは、李儒の妻。なので、彼は李儒です。
蔑まれるように、あの男と呼ばれてるのは、董卓です。
基本的に軍師系が大好きで、ある時に、李儒もキライじゃないと言ったら、いたく珍しがられました。
その反応からして、きっと他の人はイイ人(かもしれない)李儒なんて、絶対書かないだろうと。
それ以前に、読みたい人もいないかもしれないんですが(墓穴)。


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