『 桜ノ森満開ノ下 陸 』



満開になるのを待っていたかのように。
風は吹く。
桜の花弁を、あますことなくさらいながら。
天が、地が、薄紅に染まる。
見渡す限りの、桜の海。
この海の向こうには、なにが待っているのか。
この海は。
あの日と、同じ色だ。

いつでも笑顔の彼を、よく言わぬ者も多かったが。
強いゆえの笑顔だったことを、ほとんどの者が知るまい。
あの日まで、己も知らなかったのだから。
もっとも。
そんなことを気にかける、彼ではなかったけれど。

たった一度。
二人きりで、言葉を交わしたのは。
あの日が初めてで。
そして、最後。
桜の波間に立つ彼に、もしや、と問いかけた。
彼は、笑みを返した。
必要なことを、やるだけ、と。
慣れぬ地に赴けば、誰であろうと同じこと。
だったら、尚更。
これは、必要なことなのだ、と。
それから。
笑顔のまま、問い返した。
必要と思えば、同じことを、するでしょう?
それ以上、なにも言えぬまま。
彼は背を向けた。

翌年の、桜の頃。
使者から、告げられたとき。
なぜか、桜の下に向かった。
唯一、彼と繋がる場所のような。
そんな気がしたのかもしれない。
己に似合わぬ感傷だと、わかってはいたけれど。

桜の樹の下には。
もう一人の男が、立っていた。
同じだと、わかったから。
だから、告げた。
彼が、必要なことをやってのけたことと。
二度と、戻らぬこと。
最後に、この桜の下に立ったとき。
もうすでに、蝕まれはじめていたこと。
男は、驚いた顔つきになり。
それから、笑んだ。
らしいな。
呟くような声で、そう言った。
それから。
まだ、これ以上は。
減らすわけには、いかぬ、と。
頷いてみせると。
男は、また、少し笑んだ。
男と二人きりで、言葉を交わしたのも。
最初で、最後。

あれから、何度、桜は花開いたのか。
見渡す限りの桜の海は。
これが、最後だ。
必要ないということを、示すこと。
それが、必要だから。
それぞれに、必要な場所があるということ。
誰がわからなくとも。

桜の海の先に、なにがあるのか。
彼は、なにを見たのか。
問うてみようと思いながら。
最後の海に、いまは身をゆだねる。


〜fin.
2002.03.20 Under the full blossom cherry trees VI

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蛇足!
桜の海に、今にも飲まれそうなのは荀ケ。いつも笑ってたのは郭嘉。翌年、荀ケと言葉を交わした男は程cです。
『桜の森満開ノ下 伍』で、程cに郭嘉の死を告げたのは、荀ケだったのでございました。
三人中最も物柔らかで生真面目でありながら、理性が勝る人というイメージです。理性が勝るのは三人ともですが(苦笑)。


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