『 桜ノ森満開ノ下 七 』



見上げても、見渡しても。
どこまでも広がるのは、薄紅。
咲き誇り、咲き乱れる桜の色。
白と見紛うほどの色から、桃の花と変わらぬほどの色まで。
天も地も、桜で染まる。

彼は、ひときわ大きく、そして満開の桜の樹の下に立つ。
軽く持たれかかり、薄い笑みを浮かべる。
人は、あまりに早く訪れた春に、驚くばかりで。
時を追って咲くはずの桜が、すべて花開いてしまったことは知らぬらしい。
時を逸するのを恐れるかのように。
八重桜までもが、咲き誇る。
彼が立つ樹が、まさに、それ。
いつもならば、桜が終わる頃。
緩やかに咲き誇り。
彼に、急ぐことはないのだと、教えるのに。
今年の桜は。
今しかない。
時がない。
急がねば、間に合わない。
そう、告げるかのように。
持てる力の全てを、搾り出すかのように。
天も地も、すべてを染め上げ、咲き誇る。

風がそよぐのにも耐えられず舞い散る花弁を、彼は手にする。
そう、わかっている。
時間が、ない。
残された時間が、あと、どれだけか。
彼にも、わからない。
それでも、望んでいることがある。
今はもう届かぬと知っている、ずっと遠い先のこと。
どんなに、この手を伸ばしたとしても。
どんなに、祈りを捧げたとしても。
絶対に、彼には届かない。
彼の笑みは、皮肉なものへと取って代わる。
望むなど、祈るなど。
彼には、似つかわしくないものだ。
桜が告げるように。
今しか、時が無いならば。
今しか、出来ぬことを、すればよい。
満開に咲き誇る、すべての桜の花のように。
持てる力の全てを、搾り出せばよい。
彼は、手にした花弁に口付けた。

ただ、一人。
彼と同じ視線で前を見る男が、彼に気付き、足を止める。
花見か。
そう言って、笑う。
なにもかもを、その手に掴むと信じて疑わぬ笑顔。
この笑顔が、多分、好きなのだ。
彼は、笑顔を返す。
咲き誇る花は、愛でないと。
男は、楽しそうに声をたてる。
彼は、笑んだまま、さらに言う。
今度の遠征は、私が共しましょう。
男は、深く頷く。
それから。
花に、呑まれるなよ。
そう言って、また笑い。
去る。

彼は、手にしている花弁に目をやる。
咲き誇る桜の、どの花弁よりも紅い、それを。
真紅のそれを。
舞い散る花弁の中に、散らす。
淡い花弁の海の中。
真紅の花弁は消えていく。
届かぬ、いつかの景色の為に。
桜は、その薄い花弁を風に舞わせながら。
今しかない時を。
満開に咲き誇る。


〜fin.
2002.03.27 Under the full blossom cherry trees VII

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蛇足!
桜の下に立っているのは、郭嘉。男は曹操です。
曹操がからかっているのは、もちろん女のことでございます(笑)。
郭嘉は自分のことに関しては、いさぎいい(というか淡白)なイメージがあります。
死でさえも、そんなものかと受け入れてしまうような。
そんな彼にも、唯一つ、祈りにも似た思いを抱かせるコトがある。
だったら、どうだろう、というわけで。
桜話には珍しく、伍、陸、七はリンクしております。『三国志祭り2001』で最もリクエストの多かった、曹操軍軍師三人衆でした。


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