『 桜ノ森満開ノ下 九 』



旅の途中で船に乗る。
乗りあった人々の話題は、来ない春のこと。
今年はもう、花は咲かぬかもしれませんなぁ。
このように、凍てついたままでは、とてもとても。
やはり、天も地上が冬と思っているのですな。
私は、ただ笑んで聞いている。
どんなに凍てついた冬が続こうとも。
いつもなら、無限かと思うほどの薄紅の空が広がるはずなのに。
灰色に染んだままであるとしても。
冬の次に訪れるのは、必ず春だから。
どんなに長かろうと、終わらぬ冬はないのだから。
乗り合わせた船には、おせっかいはいなかったようで。
水面へと視線をやったままの私を、無理に話に巻き込もうとはせずに。
話題は、当然の方向へと、動いていく。
戦は、終わりませんなぁ。
この様子では、いつまで続くやら。
お偉い方々は、ご自分が天下とやらを取るか取らぬかで必死なのよ。
我らがどのように苦しもうと、関係のないのだろうねぇ。
必死でやりくりしても、皆、無駄になる。
ため息が、ひとつ。
いくつか、追いかけるように重なる。
私はただ、水面を見つめ続ける。
笑顔でいることは、出来なかった。
切実な、声。
こうして使者として旅するたびに、耳にする。
表現する単語は異なっても、内容は全て同じ。
苦しい。
辛い。
こんな戦ばかりの日々が、早く終わればいいのに。
この声が聞こえつづけるから。
だから、私はここにいる。
いつ、盗賊が襲うかわからぬ道を、旅し続ける。
ただ一人。
この、声に耳を傾け続ける男の為に。
主と決めたから。
どんなに長く冬が続こうとも。
乗り越えれば、やがて春は必ず来るのだ。
それだけを、信じて。

やがて船は対岸へと辿り着き、岸へと上がって。
岸べりに植えられている、桜を見上げる。
そして、後から続いて降りてくる人へと、告げる。
ほら、つぼみが。
指差された方向へと、皆、素直に視線を向ける。
あそこなど、いまにも咲きそうですよ。
そう、言うと。
おお、本当に。
やあ、春になるのだねぇ。
ああ、ありがたいことだ。
一足先に人々の顔へと花が咲く。
満開になっていく、それを見つめながら。
思わず、続けた。
人の世にも必ず、春は訪れましょう。
冬にも終わりはあるものです。
人々は、顔を見合わせて。
それから、頷きあう。
そうだねぇ、きっといつかは。
そうよ、わしらにも、春が来る。
そうとも、こうして桜も咲いたんだ。
つかの間かもしれない笑顔と別れて。
私は、己の足で歩き始める。
続く冬を終わらせる為に。
いつか花を満開に咲かせる為に。
追われ続け、拠るべき土地さえない我ら。
まずは、我らに暖かな風を。
確かなそれを、この手に携え主の下へと帰るのが役目。
私は春呼ぶ使者となる。
いつか来る春を信じて、歩き続ける。


〜fin.
2003.03.30 Under the full blossom cherry trees IX

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蛇足!
桜の下にいるのは(ほとんど川の上だし、花も咲いてませんが)、孫乾。
ソンケンと読む人物は、ぱっと思いつくだけで三人おりますが(孫堅、孫権、孫乾)、私は真っ先に孫乾を思い浮かべます。
というわけで、主である男は劉備。
苦境にめげずに、まず先駆けする彼を書きたくて、こうなりました。


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