『 桜ノ森満開ノ下 拾参 』



見渡す限りに広がる薄紅。
今年もまた、満開に咲き誇る、桜花だ。
白でもない、紅でもないその色。
ずっと、その色をひそやかに美しいと思っていたけれど。
もう、穢れた色としか見えない。
彼の眼に、留まってしまったから。
この、柔らかな色を指して。
善でもなく、悪でもない。
私と同じだ。
彼は、そう言って、口の端に笑みを浮かべた。
民が望んだのだよ。
私という存在を。
笑みは、ゆらりと揺れて引き攣れるような笑いへと変わった。
愚かな、と思う。
最初から、何もかもが馬鹿らしい。
見返り求めず民を救う。
民が、苦しんでいるから。
民は、対価を支払う能力さえないから。
聖人でなければ出来るわけがない。
そして、彼は聖人などではない。
中途半端なまま、今度は天下を狙う。
望めば叶うと無邪気に信じる、愚かな男。
自分の身の程を、知らない。
知ろうとさえ、しない。
己の欲望のままに動けば、なにが起こるのかわかっていないのだ。
生半可に手に入れた、力の意味を理解していないのだから。
ゆらり、と風に揺れる花を、むしり取る。
柔らかな花弁は、無残に引きちぎられて風に舞う。
でも、痛みは感じない。
痛いのは物言わぬ花の方で、自分ではない。
同じことだ。
血を流し、涙を流すのは民。
勝手に煽動した彼は、なにも痛まない。
望まれた者として、甘い思いをし続ける。
やっとのことでやり繰りしてきた様々なものを、感謝の印として受け取る今。
いつか、窮することになったとしても。
搾取の痛みを請け負うのは民であって。
きっと、彼は、笑って刃を向けることを令するのだ。
万に一つの確率を手にして、望みを成就したとて。
結果的に、彼は今と変わらぬ搾取者と化すに違いない。
民が望んだ、とそれを盾にして。
だが、愚かなのは、彼だけではない。
彼を望んだとて、何も変わらない。
そのことに、気付かない民もだ。
あまりに、愚かだ。
奇跡など、何処にも存在しないのに。
その眼をよく開けてさえいれば。
容易に気付くことに気付けない者たち。
誰も彼も、愚かな者ばかりだ。
彼の愚かさに気付かぬ兄弟も。
そして、最も愚かなのは。
もう一度、目前の薄くれないの花弁をむしり取る。
これだけ愚かとわかっているのに。
彼に惹かれて止まない自分だ。
止めればいい。
今ならば、まだ、間に合うかもしれない。
何度も思いながら。
この花を善でも悪でもないと言ってのけ。
自分に似てる言ってのける。
あまりに愚かな彼に、惹かれて止まない。
憑かれているとしか思えない、そのますぐな視線から眼が離せない。
いつか訪れるであろう血塗られた結末を知りながら。
それでも、彼の望みを叶えてやりたいと。
望むことを止められない。
手のひらの花弁が、風に舞って消えていく。
引きちぎられ、なすすべも無く消えていく、薄紅の欠片。
ああ、確かに彼に似ている。
そう、いつかの彼に。
そして、いつかの自分に。


〜fin.
2004.03.28 Under the full blossom cherry trees XIII

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蛇足!
彼は張角。
語っている方は張梁と張宝の年長関係が不明なので確定事項が書けず、どちらも正解とならざるを得ないんですが、気分としては張梁でした。


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