『 桜ノ森満開ノ下 拾七 』



せっかく咲いたと思いきや、あっという間に風に舞う。
その不可思議な性質のせいだろうか。
祖母であったのか、母であったのか。
告げた者が誰であったのかは失念してしまった。
が、言ったことは忘れ得ない。
この花は、なにかを告げるのだ、と。
馬鹿らしい、と返したかったが、返せなかった。
告げた者の瞳が真剣なものであったせいなのか。
舞う花弁が、あまりにこの世のものと思えなかったせいなのか。
やはり、覚えてはいないけれど。
戯言だと思いながら、なぜか。
今年も、また、薄紅に染まった空を見上げる。
つい先ごろ咲いたばかりであったはずなのに、もう花弁を散らす花たちを。
風に舞い、視界をも埋め尽くす。
何が、起こったか。
ふ、と目前の景色は態を変える。
腑に落ちぬ違和感と共に。
現実にはあり得ない。
だが、知っている。
なんであろう、と眉を寄せる。
花も似合わぬが、にもまして顔つきがいかんな。
からかうような声音に、ますます眉を寄せる。
余計なお世話か。
彼は、楽しそうに笑い声を立てる。
常に身近にあるはずなのに、不可思議な男。
掴めそうで、掴めぬ男だ。
己よりも、ずっと大きなことを考えている故だ、と気付いたのはいつだったか。
たまには、素直に花を愛でるのも良いものだ。
彼は、満面の笑顔で言う。
が、己の顔つきが変わらぬのを見て苦笑を浮かべる。
どうした、敵を睨めつけるような眼をして。
少々、奇妙なのだ。
当然だ、片目で景色を見ているのだから。
己の言葉に、打てば響くかのように答えを返して寄越す。
風の具合か、枝の具合か知らぬが。
片目だけが、花弁に隠れている。
彼は言葉を継ぐ。
まるで、絵のように見えているのだろう。
ああ、そうか。
彼の言葉に、合点する。
景色としては奇妙であったのに、何故に知っているのかを。
風に舞う花弁と、彼。
まるで、織物か紙幅かのように平面に収まっているのだ。
現実には、あり得ぬ景色であったが故の違和感。
わかってしまえば、なんてことはない。
彼は、また笑う。
なんだ、そんなことに難しい顔をしていたのか。
花が泣くぞ。
また、知らず眉を寄せたらしい。
彼は、それに答える。
これほどまでに見事に咲いた花だ。
咲き誇る間くらいは、ただ愛でて欲しかろうに。
まさか。
呟いた言葉に驚いたのは、彼よりも己。
無論、彼もいくらか不可思議そうに己を見やる。
が、すぐにいくらか面白げな笑みを浮かべる。
ほう、では、この花はなにを思うのか。
知らん。
だが、何かを告げるのだそうだ。
隠したところでせんないことと、いつか聞いたことをまま告げる。
何かとは。
彼は、問いを重ねる。
当然だとは思うが、その答えを己は持ち合わせてはいない。
知らん。
己の返答に、彼は弾けるように笑う。
なるほど、わからぬから難しい顔をして考え込んだか。
教えてやろう。
今年も良き春が来ると告げているのだよ。
昨年の春よりも、ずっと良い春になると。
まさか。
また、戦になるであろうに。
口にしなかったのに、彼はまた答える。
俺がそうしてのけるから。
そしてまた、花の絵の景色の中で。
彼は笑う。
なるほど、彼らしい解釈だ。
ならば、己も己らしい解釈をすれば良かろう。
どのような景色の中であろうと、己は彼と共にあるのであろう。
この花の絵は、それを告げているのだ。
思ったら、自然と笑みが浮かんだ。


〜fin.
2005.03.21 Under the full blossom cherry trees XVII

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蛇足!
己は夏候惇、彼は曹操。
ずっと書きたかった曹操軍武将編です。


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