『 桜ノ森満開ノ上 参 』



満開の桜の海に浮かぶ楼には、星見をしている軍師がいる。

おそらく、当人は静かに開けたつもりなのだろう。
こちらを覗く顔も、らしくも無く遠慮しているようだ。
「星見るの、終わったか?」
孔明は、静かに頷く。
「はい、代わりましょうか?」
「違う違う、そうじゃない」
慌てて手を振ってみせた張飛の声は、もういつも通りの人より大きいものだ。
隣に並んでから、反対の手にしてきたものを持ち上げる。
「終わんの待ってたってのは本当だけどさ、こっちだよ」
目前にぶらさがっているものに、酒が入っているのは問わずともわかる。この器に、張飛がそれ以外を入れてくるなど、考えられない。
が、いまいち話が見えず、孔明はその容器と張飛を交互に見やる。
「いや、なんていうか、花見ながら酒をやるって、なんかこう、良くねぇか?」
張飛に限って言えば、酒さえ煽れれば理由などなんでもいいのだろうけれど。それを指摘するのは、無粋というものだろう。
「ええ、風雅ですね」
肯定されて、張飛の笑みが大きくなる。
「おう、やっぱそう思うよな、うん」
視線が、やっと外へと向かう。
「こーんな」
言いかかって、眼が丸くなる。
「うっわ、こりゃ本当にすげぇや!」
見渡す限り、桜の海だ。
微かな風にそよいで、さわさわと揺れる様はさざ波のよう。
見つめていれば、いつまでも飽きない。
が、どうやら、やはり張飛はここからなら花が綺麗で、それは酒を飲む理由になるくらいで上がってきたらしい。
喉元までこみ上げた笑いを、孔明はどうにか飲み込む。
目を輝かせてこちらを見る顔は、まるで子供だ。
「な、すごいな!」
こうして、無邪気に反応出来るのが、彼のいいところだろう。無論、困ったことになる要因も、大抵この性格なのだけれど。
が、酒が入った時の無茶以外を嫌う者はまずいない。そういう、憎めなさがあるのだ。
天性の明るさ、とも言えるかもしれない。
いつの間にか、空気が明るくなる。
今も、先ほどまでの静けさが嘘のようだ。
「本当に、見事なものです」
笑顔で返されたのが嬉しかったのか、くしゃ、と張飛は笑う。
「でな、せっかくだから、差しでやりたいと思ってさ」
と、もう一度、酒瓶を上げてみせる。
孔明は、軽く目を見開く。
「私と、ですか」
「なんだかんだでさ、いっつも皆とだろ?一回くらい、どうかなぁって」
返事をする間も無く、張飛は早口に付け加える。
「もちろん、妙に酔ったりとかはしねぇから」
緩やかに、笑みが浮かぶ。
張飛が酒に誘うという意味を、知っているから。
「はい、喜んで」
「ようし、そうと決まったら、これだ」
嬉しそうに差し出してきた杯を手にすると、どこからともなく花弁が舞い入る。
顔を見合わせると、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
杯の中で、ふわり、ゆらりと、花弁は揺れる。
ふわり、ゆらりと、桜もさざめく。


〜fin.
2006.03.30 Above the full blossom cherry trees III

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蛇足!
張飛は雰囲気を明るくするし、決める時には決めるけれど、酒に飲まれるとアレです。


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