『 桜ノ森満開ノ上 七 』



満開の桜の海に浮かぶ楼には、星見をしている軍師がいる。

背後の扉が開くのへと振り返ると、几帳面な仕草で頭を下げられる。
「そのようにかしこまらないで下さい」
顔を上げた関平は、穏やかに微笑む。
「お邪魔いたします」
言葉通り、いくらか控えめの場所から視線を下へとやり、少し目を細める。
「ほう、これは見事だ」
それきり口をつぐむ。
さらさらと、緩やかに桜の波がさざめく音の他は、何も聞こえない。
眼前の景色に、目を奪われている横顔を、孔明は見つめる。
いくばくかの間の後、関平はその視線に気付いたようだ。
視線を向け、いくらか照れたような笑みを浮かべる。
「これは申し訳ないです。つい、見入ってしまって」
「いえ、こちらこそぶしつけなことを」
孔明は首を横に振ってから、付け加える。
「お父上に似ていらっしゃると思いまして」
「え?ですが、実父は……」
関平は、戸惑った顔になる。
「雲長殿に、ですよ」
所作自体は、腰が低いと言う方が合っている。行動も、戦場でもない限りは出過ぎた真似はけしてしない。
目の細め方なのか、唇のひき上げ方なのか、それとも別の些細ななにかなのか。
本当に、血が繋がっているのではと思わせられたのだ。
それを口にするのは野暮だろう。
孔明は、ただ微笑む。
少しの間、じっと孔明を見つめてから。
「父上に、ですか?俺が?」
いつもより、区切るようにはっきりと問うたのは、半ば無意識に違いない。
無理もないかもしれない。
どこか控えめなのは、当人の資質でもあるが、常に養子であることを自分に言い聞かせているのではないかという節もある。
実際、年離れた実子が関羽には生まれている。
関家の長男は自分だと言い聞かされたからといって、そう簡単に割り切れるものではないだろう。
だが、それだからといって拗ねているというわけではけしてない。
相変わらず、一心に関羽を尊敬し、慕っている。
きっと、その一途な視線が細やかな所作を写し取らせたのだろう。
それはもう、ごく自然に身についてしまうほどに。
「ええ、どこがと問われても困るのですが」
正直に、孔明は口にする。
「間違いようがなく、雲長殿を思い出します」
酷く照れた笑みが、関平に浮かぶ。
「そうですか、俺は、父上に似ていますか」
かなり照れたのだろう、視線は桜へと向かう。
また、さらさらと桜の波が揺れる音だけが、聞こえてくる。
先ほどより、ずっと間があった後。
「それは、何よりのお墨付きです」
ぽつりとした言葉の後、まっすぐな視線が孔明へと向けられる。
「ありがとうございます」
言葉と共に、満面の笑みが浮かぶ。
今度は、孔明がいくらか首を傾げる。
「私の言葉がお墨付きなどになりますか?」
「はい、こういったことには冷静に判断して下さる方ですから」
満面の笑みのまま断言する関平に、孔明も笑みを返す。
「それは、こちらこそありがたい言葉です」
どちらからともなく、さざめく桜へと視線をやる。
やがて、関平が静かに言う。
「伺って、良かった」
ふわり、ゆらりと、桜はさざめく。


〜fin.
2007.04.03 Above the full blossom cherry trees VII

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蛇足
関羽の息子と言われて真っ先に思いつくのが彼。やはり演義ベースだなぁと思う一瞬です。


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