『 桜ノ森満開ノ上 八 』



満開の桜の海に浮かぶ楼には、星見をしている軍師がいる。

視線が合った瞬間に、ホウ統は首をすくめる。
「うわ、怖っ!」
言葉通りに身を引いたのを、孔明は冷ややかに見やる。
「閉じていいのだな」
「その上、冷たっ!」
が、いつまでふざけていては本気で閉じられるというのはわかったので、しっかりと手は扉を抑える。
「久しぶりだってのに、閉じるは無いだろ」
「そうか?私はありだと思うが」
さらりと返す孔明に、ホウ統は首を傾げてみせる。
「何だよ、怒ってるのか?」
「私に怒られる覚えがあるのか?」
冷ややかな響きだ。
首を傾げたまますくめる、という器用な仕草をホウ統はしてみせる。
「だってさ、お前の顔、どう見たって……」
語尾は、そのままたち消える。
ひどく驚いた表情が浮かび、視力を保っている方の目が、まじまじと孔明を見つめる。
「何だ」
孔明は、不信そうに眉をひそめる。
「ほう」
それにも、妙に感心した声を上げたきり、やはり、まじまじと見つめている。
「いや、こりゃ驚いたなぁ」
一人、妙に納得したように頷く。
「士元」
孔明の声が尖ったのに、ホウ統はまたも首をすくめる。
「こんな綺麗な景色の中で不機嫌になるなよ」
「言わせて貰えば要因は士元だ」
ホウ統は、べろり、と舌を出す。
「そりゃ光栄だな。俺のおかげで顔に表情がねぇ」
しみじみと頷くホウ統と対照的に、孔明の顔はますます不審そうになる。
「笑顔忘れたってのは少なくないけどさ、何もかも表情に出ないってのは、俺の知る限りじゃお前が初めてだったからさ」
ごくあっさりと言って、に、と笑う。
「俺にとっちゃ、例え怒ってるにしろ、お前の顔に表情があるってのは新鮮なんだよ」
そんなことを面と向かって言われて、返す言葉が見つからないままに、孔明は首を傾げる。
「そうだったか?」
「ま、俺らの役割からいけば、表情忘れてるくらいの方が向いてるのかもしれないけどな」
ホウ統は一人納得して、また頷く。
「でもやっぱ、表情があった方がずっと人間らしいよ」
真剣に言ってるというのは、そのまっすぐな瞳でわかる。
孔明は、いくらか困ったような表情になる。
「それは、どうも」
ホウ統は、また、に、と笑う。
「礼を言うのはこっちだろ」
そちらの方の意味もわからなそうな孔明に、ホウ統の笑みが大きくなる。
「なんだよ、自分のこととなるとやっぱ相変わらずか。言ったろ?お前が手を差し伸べてくれなかったら、俺はここにいなかったって」
さらり、と風が吹く。
「感謝してるってさ」
「必要だと思ったから、誘ったまでだ」
視線が、逸れている。
だが、その頬はいくらか染まっているように見える。
月明かりの下であっても、だ。
ホウ統は、喉元まで出掛かった笑いを噛み殺す。
「あ、そ。別に理由なんてなんでもいいんだよ。俺は感謝してるって、それは変わりゃしないんだから」
らしい理論に、孔明の方が小さく笑う。
「ま、そういうわけでさ」
手にしていたものを、ホウ統は上げてみせる。
「こんな素晴らしい景色を背景に、どうよ」
「景色なんて、どうせ理由だろうが」
苦笑する孔明に、ホウ統が笑う。
ふわり、ゆらりと、桜はさざめく。


〜fin.
2007.04.04 Above the full blossom cherry trees VIII

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蛇足
どうせ使える漢字に手を入れるなら、ホウの字を組み込んで欲しいものです。


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