『 桜ノ森満開ノ上 拾九 』



月夜の楼には、星見をしている丞相がいた。

いつであろうが、姜維の問いには答えを返してくれていた背中だった。
けれど、春先のほんの数日。
誰も受け付けない、と宣言したかのような背を見せた。
先帝の命日が近いことが、きっと原因だ。
問うに問えない疑問の答えを、そう決め付けて見送った。
今年も、また。
ふ、と視線を上げて、姜維は思う。
実に美しい月夜だ。
だから、そろそろ。
一人、楼へと登る頃。

丞相が、いらっしゃったのなら。

感傷に流されそうになる自分を鼓舞する為に、軽く首を振り。
それから、はた、と気付く。
そう、月が綺麗だ。
丞相が、一人楼へと登る頃には、いつも月が美しかった。
今晩のように。
引き換えるように、星は少ない。
何を。
不意に、新たな問いが浮かぶ。
丞相は、月の冴えた楼の上で、何をご覧になっていたのか。
思うと止められず、自然、足が向かう先は一つ。

扉を開けたなり、さ、と風が通り過ぎていく。
一瞬、目を細めつつも、姜維は足を進める。
丞相がいつも星を見上げていたのは、このあたり、と空を見上げる。
やはり、見えるのは冴え冴えとした月ばかりだ。
白く、この楼と周囲を照らし出している。
見上げていると、また、風が吹く。
冷たいくらいのそれに、思わず首をすくめる。
こんな寂しい気色の中で、何を。
上でなければ、下だろうか?
一歩、足を進め、楼の下を見やる。
月明かりは楼に遮られ、視界に広がるのは漆黒の闇。
手を伸ばせば、そこから飲み込まれていきそうなくらいの。
我知らず、一歩、足を引く。
星見は出来ない。
視線を落とせば、闇が広がる。
氷のような月が、ただ煌いているだけ。
「一体、何をご覧に……」
思わず口をついた時。
ひら、と何かが視界の端に舞う。
とっさに手のひらを使い、それを掴む。
そっと広げてみて、瞬きをする。
「花弁?」
月明かりの下、それは、ほの白く発光しているかのように見える。
なんの、と首をめぐらせてみると。
ただただ、闇が広がっていると思った中に、一箇所だけ。
ほの白い箇所がある。
よくよく目を凝らせば、どうやらそれは何かの花木であるらしい。
一本だけ、さほど大きくもない。
が、月の明かりを受けて、うっすらと白い。
漆黒の闇だけではなかったことに、心のどこかが、ほっとする。
問いの答えは、得られなかったけれど。
姜維は、微かな笑みを浮かべる。
ゆらりと、花がさざめく。


〜fin.
2010.04.02 Above the full blossom cherry trees XIX

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蛇足
ひたすらに影を追っているのは、むしろ彼の方かと。


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