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蜃気楼の夏

「この暑さにやられないのは翼徳くらいだ」
うんざりしたような顔つきで、ギラギラと照りつける太陽を見上げたのは関羽だ。
隣の青年も、頷いてみせる。もっとも、外見が青年にみえるというだけで、実際青年なのかは誰も知らないのだが。
「ええ、その意見には賛成です」
「なんでぇなんでぇ、雲長のあにぃも子龍も、俺がバケモノみたいに言いやがって!」
むうっと頬を膨らませてるのは、他ならぬ張飛だ。
話は、張飛が兵の訓練中にいつものように説教を始めたことに端を発する。
異様な炎天下でばてはじめた兵たちに向かって、
「これっくらいの暑さでばててどうする!」
と始めたところに、ちょうど盗賊退治から戻ってきた関羽と趙雲は、兵たちを休息させるコトを提案したのだ。
いつもなら、張飛が多少怒鳴り散らしてても口を挟むような二人ではないので、張飛も意見を尊重せざるをえなかった。
よくよく見てみると、関羽たちにつれられていった兵も、かなりへばっている。
で、今日の訓練はひとまず終了として、三人揃って城に入るところなのだ。
「さすがの赤兎も疲れ気味だぞ」
関羽は横目で張飛を見やる。
疲れをみせないということにかけては、赤兎馬は天才的だ。その名馬でさえへばるほどの暑さ、ということになる。
今年の暑さは、異常としか言いようがない。
その上、何を間違ったのか湿度まで高いのだ。これでバテるなというほうが無理だろう。
だというのに、張飛は間違いなく元気だ。食欲も落ちていなければ、兵を叱る時の声も腹の底から出ている。
ここまでくると、丈夫というよりは、バケモノと言いたくもなろうというものだ。
「変わらないのは、俺だけじゃないぞ!」
張飛は、自分だけが言われるのが癪でならないらしく、頬を膨らませたまま言う。
「他にお前みたいに馬鹿元気なのがいるのか?」
「馬鹿は余計だ、馬鹿は!!」
ほおを膨らませたうえに、怒って赤くなってくるもんだから、見てるだけで暑くなる。趙雲は視線を明後日の方向にずらしながら指折り数え始めた。
「殿も、ここ数日は食欲が落ちておられるし……関平も、孫乾も……」
「皆、バテ気味だ」
「違う、一人忘れてる!」
耐え切れなくなったように、張飛が怒鳴る。
「え?誰ですか?」
関羽も趙雲も、思いつかないようだ。
「軍師殿だよ」
「ああ……」
たしかに、彼も変わらないように見える。
「でも、軍師殿の場合、いつもお静かな方だから」
「バテていたとしても、わからないといったほうが正確のような?」
二人とも、どうも納得していないらしい。張飛は、どうあっても自分だけが夏バテしていないというのを返上したいらしい。
「ようし、こうなったら軍師殿に聞いてみる!」
「はぁ?!」
「夏バテしてるかどうか、軍師殿に尋ねるんだよ!!」
ずんずん歩き始めた張飛の後姿を、呆然とみつめる二人。
張飛は、すぐに足を止めて振り返る。
「なにしてんだよ、雲長のあにぃも子龍も来いよ、証人がいるだろ!」
単細胞の張飛が、証人が必要などと言うとは、どうやらかなり悔しいらしい。関羽と趙雲は、顔を見合わせてかろうじて噴き出すのをこらえる。

どすどすと廊下に響き渡る足音をさせながら歩いてきた張飛は、廊下の先にいる人物に手まねで静かにしろ、と言われて足を止める。
後ろからついてきた関羽と趙雲が、慌てて止まった。
「いきなり止まるな、ぶつ……」
文句を言いかかった関羽の口を塞ぐと、張飛は前を指してみせる。
趙雲が、首を傾げた。
「殿ですな」
廊下の角に立って向こうをうかがっているのは、たしかにこの城の主であり主君である劉備だ。
口元に指を立てて、静かにしろという示しをしながら手招きしている。顔には、実に楽しそうな笑みが浮かんでいる。
三人とも、そうっと劉備の側まで行き、その指差す方を見た。
「?」
指差す方には、張飛たちの探していた軍師殿、孔明がいた。
なんと、欄干の上によじ登って屋根のあたりを覗き込もうとしている。いつもは物静かなそぶりしかしていない彼の意外な姿に、三人とも目を見開いてしまう。
「いったい……?」
何をしているのか、と趙雲が尋ねかかるが、劉備は首を横に振った。
どうやら、なにをしているのかは劉備も知らないらしい。
裾の長い着物のまま、曲芸のような場所に登っているのだから、足元がなにやら危なっかしい。
なるほど、と三人は納得する。
劉備が覗き込んでるのは、面白いの半分、危なくなったら助けるためが半分だ。
危なくないのなら、孔明はこんな姿を人に見られるのはイヤだろうと察したのだろう。
が、様子をうかがっていて正解だったらしい。
「あ!」
思わず張飛が声をあげた瞬間、劉備はすばやく飛び出して孔明を抱え揚げていた。
孔明の手から飛び出した何かも、趙雲が救い上げる。そのために欄干から異様に身を乗り出す羽目になったのを、張飛が後ろから支えた。
「……申し訳ありません」
抱きかかえられたままの孔明のぽつり、とした声で、皆我に返る。
なんとなく、その瞬間のまま四人とも硬直していたのだ。
「いや、怪我はなかったか?」
劉備が、廊下におろしてやってから顔を覗き込む。
孔明は、少々恥ずかしそうな顔つきで頷いた。
「はぁ……」
張飛に引き戻された趙雲が、自分の手の中にあるものを覗き込む。
「雛、ですね」
脇から関羽がすぐに訂正する。
「ツバメの雛だ」
「あそこから、落ちてしまったようなのですが……」
自分が伸び上がっていたあたりを、孔明は指してみせる。
「え?どこですか?」
城下にある鳥の巣はすべて把握してると豪語する関羽が、驚いた声を上げる。
「すこし見づらいのですが、あの……影になるところに」
「ああ、あそこかー」
伸び上がって確認した張飛が、目を丸くした。
「よっく気がつきましたねぇ、軍師殿」
「そんなに遠くから落ちたのでは無さそうだったので……」
孔明は、趙雲の手の平の雛を覗き込む。放り出されて放心していたようだが、五人の視線を感じたのか、はたはたっと羽を羽ばたかせた。元気はあるらしい。
巣に戻してさえやれば、大丈夫そうだ。
「この上に登るのは、コツがいるんだよ」
言いながら、劉備がひょい、と乗ってみせた。
「背伸びをするのは、厳禁」
が、どうみても劉備が手を伸ばしただけでも、巣までは届かなさそうだ。
不思議そうな表情の四人に、劉備は、にやりと笑いかけて手を差し出す。
「ああ」
「なるほど」
「そういうことかぁ」
理解した武将三人が口々に言うが、孔明にはなんのことやらわからないらしい。戸惑った表情で劉備と三人の顔を見比べる。
張飛もにやりと笑う。
「こういうこと」
言ったなり、孔明を抱え揚げて劉備に渡す。
びっくりして声も出ない様子の孔明に、趙雲はそっと雛を差し出す。
まだ、少々驚いた顔のまま孔明が雛を受け取ると、劉備は持ち上げてやる。
「届いたか?」
「はい」
また、元の経路を辿っておろされた孔明は、
「ありがとうございました」
と、丁寧に頭を下げて見せた。
「大事な軍師殿が、屋根から落ちる方が一大事だ」
劉備は大真面目な顔で言って見せてから、笑顔になる。孔明は恥ずかしそうに首をすくめる。
「すみません」
「謝らなくていいって、だってお前ができないことは、俺たちがやればいいんだから」
ぽんぽん、と孔明の肩をはたきながら劉備が笑う。
「別に、一人で生活してるわけじゃないんだし、な」
孔明の目が、また見開かれる。
それから、微笑んだ。
「はい」
「遠慮なさらず、声をかけてくださいね」
「こちらも、頼りにするコトもあるだろうが」
口々に言われて、笑みが大きくなる。
「人にゃ、向き不向きってもんがあるからな」
張飛が、大きく頷くと趙雲が噴出した。
「あんだよ!なにがおかしいんだよ」
「張飛が言うからだ」
関羽も笑い声になりながら言う。
「お前は、力仕事しかできないもんな」
「あにぃ!」
「でも、十人力ですから」
孔明のフォローに、張飛は少し気をよくしたらしい。
「まぁな、軍師殿とは夏バテしない仲間だからな」
三度、孔明の目が丸くなる。
「実は、軍師殿が夏バテしてるかどうかお尋ねしようと思って来たんです」
趙雲の説明に、張飛が大きく頷いてみせる。
「そうそう、夏バテしないのは俺だけだ、なんて兄ぃたちが言うからさ」
「孔明は、誰よりも最初に夏バテしてたぞ」
何を言ってるんだとばかりに返事を返したのは劉備だ。
「え?」
あんぐりと大口を開けたままになったのは張飛で、きょとん、とした表情になったのは関羽と趙雲。
そんな表情のおかまいなく、劉備は続ける。
「あんまり早くから食欲なくしたもんだから、けっこう心配してるんだけどな」
気付かれてた、とわかった孔明のほうは、これまた珍しいことに真っ赤になっている。
「いや、あの……ええと……」
「ほーら、やっぱりな、単細胞とは違うんだよ」
とは関羽の弁で、
「まぁ、納得いく結果ですね」
とは趙雲の弁。
悔し紛れに叫んだ張飛の声が、夏空に空しく響く。
「なんだよ、なんだよ!皆してだらしねぇ!!」


〜fin.〜
2001.07.17 Phantom scape VI 〜mirage summer〜

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