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初めての休日

皆、思わなくも無かったのだが、はっきりと口にしたのは孫乾だった。
地方視察結果を報告を終え、今回の土産に関する雑談をしながら、ふと首を傾げたのだ。
「子龍どのは、少しは休んでいるのでしょうか?」
孫乾の持ってきたお土産が酒のつまみにちょうどいいと、さっそく酒を持ってきた張飛が首を傾げた。
「はぁ?別に、誰も休んでるヤツなんていないじゃないか」
「でも、翼徳どのはこうして酒を飲むでしょう?」
「息抜きということだよ」
劉備が飲みこみの悪い張飛に説明する。
「翼徳は、それが息抜きだろう?」
と、酒を指す。
「そりゃ、たまにはさ、こういうので元気つけないとさ」
ぶちぶちとなにやら口の中で呟くが、たまではなくてしょっちゅうだ。
「そういうのを、子龍どのは、してるのでしょうか?」
孫乾が、言葉を重ねる。張飛は、少し考える。
「雲長の兄貴は、赤兎馬の運動とかいってよく遠乗り行くけど、あれがそうなんだろうな」
けっこう、ゆっくりと時間をかけている。書物を手にしていることもあるし、どこかでのんびりしてくるのだろう。
「でもさ、公祐だって巡察ばかりで、のんびりしてるとこ見ないぞ」
「私は、地方でそこの名産などを見て回ってます、視察が済んだ後でお土産も探しますし」
ようは、そういうのが好きで楽しいらしい。
「兄者は?」
張飛は、劉備に向き直る。
「こうしてたわいもないことを話すというのは、気晴らしになるものだよ」
その他にも、たまに姿が見えないこともあるのを、二人とも知っている。
「軍師どのも、仕事一筋に見えるけどな?」
「いろいろな書物を取り寄せてらっしゃるようですよ」
と、孫乾。劉備も微笑む。
「不思議な図面もひいたりしているし……それに今は、人材探索の為に地方へ出かけているしね」
離れて暮らしている家族と、久しぶりに顔を合わせていることだろう。
ようは、誰もがそれぞれに息抜きはしているということだ。
ただ、一人を除いては。
三人は、誰からともなく、顔を見合わせる。
「でもさ、なんで急にそんなこと、思いついたんだよ」
張飛が手酌しながら尋ねると、孫乾は
「珪州攻めの件が、気になって」
「ああ、趙家の兄嫁の件だな」
「あー、仕事の邪魔になるから、女いらねーってやつか」
美談として通っているが、別の見方をすれば仕事一筋過ぎて、その他の余裕を失っているようにも見える。
「ですから、少なくとも息抜きくらいは、と思ったのですが」
「なんか、イイ手あるかなぁ」
「そうだな……」

二日後、趙雲は劉備に呼ばれた。
「殿、お呼びですか?」
「ああ、実は、孔明に使いを頼みたいんだ」
「軍師どのに、ですか?」
頷きながら、劉備は一通の書状を取り出して見せる。
「昨日の内に思い出していれば、公祐に頼めたし、雲長がいれば遠駆けがてら頼むんだけど、今日は出てしまっているし」
すまなそうな主君の表情に、慌てて趙雲は頷く。
「私でよろしければ、すぐにでも行ってまいります」
「そうか、これは大事な内容なので、すまないが、孔明に直接手渡して欲しい」
書状を渡しながら、劉備は念を押す。
「いいか、誰にも預けず、必ず直接手渡すということを、忘れないでくれ」
「はい、必ず」
趙雲は書状を懐深くしまうと、言葉通り、すぐに出立した。

出てきた黄夫人は、その大きな瞳を驚たのか、さらに見開いた。
「まぁ、今朝、出かけてしまいましたのよ」
「どちらへ?」
いつもなら、そんな不躾なことは尋ねない趙雲だが、今回は話が違う。部下を疑うなんて考えもしない劉備が、二度も念を押したのだ。
どうあっても、書状は直接手渡さなくてはならない。
「それが、わかりませんの」
「は?」
思わず、マヌケな返事を返してしまう。家族が行き先を知らないとは、想像もしなかったのだ。
「昨日の夕方、公祐様がいらっしゃって、探していた書物が見つかったと場所を教えてくださったらしくて、今朝早くに出かけましたの」
小柄な婦人は、思いきり趙雲を見上げた格好で、にこにこと話す。どうやら、夫がどこへ出かけたかわからないというのは、彼女にとっては慣れたことらしい。
「なんでも、とても貴重なものだとかで、あちらで読ませていただけることになったって、それは嬉しそうにでかけましたから、いつ帰ってくるやら?」
「ええ?!」
さすがに、驚きを隠せなくなる。
どこに行ったかもわからず、いつ帰るかもわからないとは。
「お差し支えなければ、お預かりしますが」
書状のことだ。控えめな申し出は、いつもならすぐに頷くところだ。この人なら信頼できるという瞳をしている。
が、今回だけはそうはいかない。
「実はその……直接渡せと、特に殿から仰せつかっておりまして……」
なんとなく、素直そうな夫人に悪い気がしてしまって、歯切れの悪い口調になる。
「まぁ、玄徳様がそうおっしゃるなら、きっととても大事なモノですのね」
夫人は、気を悪くした様子もなく、にこにことしながら首を傾げた。
「そうしたら……そうですわねぇ、もし子龍様のご都合さえ悪くなければ、お待ちになりませんか?」
「いや、しかし……」
いつ帰るかわからないのだ。今日帰るとは限らない。というより、書物を読んでくるとなれば、数日先という可能性が高いだろう。
「でも、直接渡さなくては、子龍様のお仕事が終わりませんよね」
小首を傾げたまま、黄夫人は言う。
言われるとおりだ。が、それでは黄夫人に世話をかけることになってしまう。
困惑したままの趙雲に、夫人は微笑んだまま言った。
「少なくとも、お茶くらいは飲んで行ってくださいませ、ね、それからどうするか考えても遅くはありませんでしょ?」
満面の笑みで言われると、この申し出は断りようが無く、趙雲はおとなしく部屋へと通された。

お茶を出してすぐに、誰かに呼ばれて奥に行っていた黄夫人は、やがてすまなさそうな表情とともに現れた。
「これから父の所へ行かなくてはならなくなってしまいましたの」
「ええ、お気になさらず……」
暇乞いをしようとした趙雲の言葉を無理無く遮って、黄夫人は続ける。
「たいしたおもてなしは出来ませんけど、気の効いた者がおりますし、不自由はないと思いますから、ごゆっくりなさって下さいね」
言いたいことだけ言ってしまうと、あっというまに姿を消してしまう。
呆然としているところに、くす、と笑い声が聞こえる。
振り返ると、お茶を出してくれた女中らしき彼女が、袖で口元を覆っていた。
戸惑っている趙雲と目が合うと、袖を下ろして微笑んだまま言った。
「ものの見事に、ハメられましたわね」
「ハメられた……?俺が、ですか?」
黄夫人は、人を陥れるとか、そういう狡猾なことには縁遠い人物に見えたが。
新しいお茶を入れながら、彼女は続ける。
「ええ、夫人はああ見えて、とても頭の切れる方ですから」
なるほど、並の女性では、軍師を務められるほどの頭脳の持ち主である孔明の妻は務まるまい、などと考えて、そういう問題ではないと思いあたる。
「いや、でも、どうしてハメる必要が?」
そんなことをしても、なんの特にもならない。
「さぁ、私にもわかりませんけれど、少なくとも旦那様がお帰りになるまでは、ここを離れられませんわね」
「あ……」
「まぁ、休暇だと思ってゆっくりなさってください、お部屋を準備してきますわね」
「あの……」
そんなことをしなくても、と言おうかと思ったが、主人夫妻の留守中に勝手に暇乞いというのもやりづらい。
「はい、お手数をおかけします」
趙雲は、大人しく頭を下げる。

黄夫人が「気の効いた者がいる」と言ったとおり、お茶を世話してくれた女中は、過不足無いもてなしをしてみせた。
料理も派手ではないが、心づくしといった感じで趙雲の好みだった。
食後に、また香りのよいお茶を煎れてくれた彼女に、趙雲は礼を言う。
「いえ、これが仕事ですから」
彼女は微笑んで、それから、ふと外に目をやる。
「もう、秋ですわね」
「え?」
「ほら、虫の音が、あんなに」
言われて耳を澄ますと、先ほどまで気付かなかったのが不思議なほどの合奏が聞こえてくる。
「ほう……」
薄く開けた窓から入って来る風も、涼やかだ。
「昼に菜を取りに行ったら、ススキも穂が出始めてましたわよ」
「そうですか?」
「あら、将軍が通ってらっしゃった道にも、ずいぶんとありましたけれど」
「気付きませんでした」
少し、気恥ずかしいような気がして、茶碗に視線を落とす。
随分と長いこと、こうして自然のうつろいに目をやることがなかった。
「ずっと働いてらっしゃったからね、きっと」
「後悔などはしておりません!」
目があって、彼女が別にバカにした視線をしているわけでないのに気付く。それから、自分が必要以上に大きな声を出してしまったことにも。
「あ……殿の為に働きたいと思ってやってまいりましたので……わき目もふらなかったのは事実ではありますが、その……」
初めて出会った日のことを、忘れない。それから、付いて行きたくとも、それが許されない立場であったあの日のことも。
いつか縁があればと約して、何年も時を待ったこと。
そして、やっと、仕えることが叶った時のこと。
劉備の為に働くことが、願いだった、望みだった。
だから、いつも、精一杯でありたい。
劉備だけじゃない。その周囲にいる人々のことも、とても大切だから。己の力が及ぶ限り、守りたいから。
「ええ、大事に思っていらっしゃるのですよね」
にこり、と彼女は微笑んだ。
「同じことを、劉備様も公祐様も、雲長様もうちの旦那様も、思ってらっしゃるんだと思います」
きょとんとした表情の趙雲に、彼女は言葉を重ねる。
「僭越なことを言うのを、お許し下さいませね……趙雲様のことを、大切に思ってらっしゃるから、休暇を差し上げたかったんじゃないかって思いますのよ」
「…………」
「昨日、そんなご相談をなさってましたわ、いらっしゃった公祐様と、旦那様と奥様と」
「そう……だったんですか」
ずっと、大切だと思っていた。だけど、自分も同じように思われているなど、考えたことも無かった。もちろん、信頼されているとは思っていたけれど。
信頼という言葉だけでは片付けられない、もっと暖かいなにか。
全ては、趙雲の休暇の為に仕組まれた、壮大な茶番だったのだ。孫乾が地方視察へ出た後で劉備が孔明への伝言を思いついたのも、その日に限って、関羽が早朝から遠駆けに出ていたのも。
それから、あっという間に黄夫人が出かけて行ってしまったのも。
皆が、趙雲の為に一生懸命考えてくれたことだったのだ。
ふっと、なにかが温まるのが、わかる。
「あの」
「はい?」
「お茶の御代わりを、いただけますか?」
「ええ」
にこりと微笑んで、彼女はお茶を煎れる。
ゆるやかな香りをただよわせる湯飲みを引き寄せながら、少し、躊躇う。
が、思いきって言ってみた。
「よろしかったら……少し、話に付き合っていただけませんか?」
「私でよろしければ、喜んで」
彼女は微笑んで、相向かいの椅子へと腰を降ろす。
緩やかに、秋の夜は過ぎて行く。

翌日の昼もだいぶ過ぎた頃、孔明は黄夫人と共に帰宅した。
「留守にして申し訳ありませんでした、殿からの手紙を持って来てくださったとか?」
「ええ、これです」
差し出しながら、趙雲は微笑む。
「おかげで、のんびりとさせていただきました」
「それは、よかった」
「ほんとに」
黄夫人も、嬉しそうに微笑む。
手紙をひらいた孔明は、目を通して吹き出した。
「軍師どの?」
笑顔のまま、孔明は趙雲ではなく、黄夫人の方に向き直る。
「月英、殿たちがこちらに見えるそうだよ、料理と酒を準備してくれないか」
「ええ、わかりましたわ」
それから、趙雲の方を向き直る。
「ここへ、もう一晩いろとのことですよ、子龍殿、仕事を離れて、一緒に飲もうだそうです」
「は?」
呆然とした顔つきの趙雲に、孔明は笑顔のまま、言う。
「こんな内容では、他人に預けて中身をみられたら、恥ずかしいですよね」
こんどこそ、趙雲の口は、ぱっかり開いたままになった。


〜fin.〜
2001.09.01 Phantom scape VII 〜his first holiday〜

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