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最後の休日

目前の軍師は、悪戯っぽい笑みでこちらを見て言った。
「ここへもう一晩いろとのことですよ、子龍殿、仕事を離れて一緒に飲もう、だそうです」
「は?」
展開についていけずに、尋ね返す。
孔明は、笑顔のまま付け足す。
「こんな内容では、他人に中身を見られたら恥ずかしいですよね」
己の肌身離さず運んできた手紙の内容が、『飲もう』という誘いとは。趙雲の想像の範囲を、十二分に越えている。
それでなくても、いま、ここにいるという事実自体についていけていないのに。
昨朝、趙雲は劉備から孔明宛ての手紙を直々に預かった。
『絶対に、直接渡してくれ』
と。
が、視察ついでに自宅に戻っていた孔明は在宅しておらず、はからずも孔明宅に一泊することになったのだ。
それが、劉備たちからの休日の贈り物だったのだと知ったのは、昨晩のこと。
今朝、無事に劉備からの手紙を直接渡すことはできたのだが。
その手紙の内容が、飲み会の誘いだったとは。
孔明は、黄夫人と飲み会の算段に入っている。
「皆がいろいろ持ちよってくれるそうですが……買い物は必要でしょうね」
「どなたがいらっしゃいますの?」
黄夫人の問いに、孔明は文を開き直すこと無く、すらすらと答える。
「我が君が山菜を、雲長殿は行き付けの店で珍味を、翼徳殿は猪と鹿を、公祐殿は視察先から銘酒を持ってきてくださるそうですよ」
「まぁ、楽しみですわね、ではあとは足りなそうなモノを」
「頼みます」
そんな会話の最中も、趙雲は立ち直れずにいる。
「子龍殿、皆さんがいらっしゃるまで中で待っていましょう」
にこやかに孔明に声をかけられる。
軍議の時などには、ついぞ見せない明るい笑顔。この状況を楽しんでいるとしか思えない。
「あの……軍師殿」
「はい?」
やっと、趙雲は頭にぐるんぐるんと気持ちが悪くなるような勢いで回っている疑問を口にすることができた。
「それがしは……飲み会の誘いの使いだったわけ……でありましょうか?」
混乱のせいか、言葉使いがしゃちこばりすぎになっている。
それに対する軍師の答えは、単純明快なモノだ。
「一言で言えば、そういうことになりますね」
「でも、城でも宴会はありましょうに?」
孔明の笑みが、いちだんと大きくなったように見えた。
「我が君には我が君のお考えがありましょう」
そう言われてしまっては、趙雲には一言もない。
ともかく、呆然としていても状況は変わらない。皆、なにか持ちよることにしているらしい。はなから孔明宅にいる趙雲には、持ちよろうにも術がない。
ここは、手伝いくらいはしなくなてはなるまい。
「あの、それがしにも、なにか手伝わせてください」
真剣な顔でつめよられて、孔明は困惑顔になる。
「と、言われましても……買い物は家の者がしますし、準備もこれといってありませんし……」
「薪が足りないとか、そういうのでも」
ともかく、なにかしておらねば落ち着けそうにない。仕事が欲しかった。
馴れぬ状況の中で、これまた馴れぬ手持ち無沙汰など耐え難いモノがある。
「では、皆さんを迎えていただけますか?私は少々片づけたいこともありますので」
にっこりと微笑んで孔明は告げると、趙雲の返事を待たずに中へと戻っていってしまう。
「あ、軍師殿……」
結局は、ぼんやりとしていなくてはならないことには変わりないらしい。
うららかな、などと形容されそうな陽射しを見上げながら考える。
そもそも、この休日自体が劉備たちに仕組まれたものだった。所詮、軍師を相手に回して自分が逆らえようはずも無い。
心遣いは嬉しいのだ。
自分が大事に思う人たちが、自分も幸せであって欲しいと願ってくれる。
それを思うと、心のどこかが暖まるのがわかる。
だが、いままで働きづめできた趙雲には、この手持ち無沙汰をどうしていいかわからない。
なんだか、せっかくの好意を無にしてるようで、それも落ち着かない要因だと思い当たる。
ひとまず、落ち着かないながらも周囲をぐるりと見渡してみる。
昨日、ススキの穂が出はじめていると教えてもらった。
なるほど、木々は茂ってはいるものの、夏のような青さはもうない。ほどなく赤く色づきはじめるのだろう。
頬をなでていく風も、かすかな冷たささえ感じる。
秋が、近づいているのだ。
そうだった。
この休日がなければ、そんな季節の移ろいさえ、自分の目には映っていなかったのだ。
知らず、笑みが浮かぶ。
なんて緩やかに時が流れているのだろう?
血の匂いも、権謀術数も、身分も立場さえ、高い空に溶けていく。
「ああ……そうか……」
思わず独りごちる。
なぜ、劉備たちが、ここで宴会をしようと言い出したのか、わかった気がしたから。
「よう、子龍!」
威勢のいい、声がする。
視線を向けると、肩に猪と鹿をかけた張飛が立っていた。
「翼徳殿、それは今日の戦果ですか?」
「いや、昨日の、肉ってのは一日は置いた方が上手いもんなんだぜ」
趙雲に開けてもらった門をくぐりながら、にやりと笑う。
「元々肉屋だからな、今日は上手い肉料理食わせてやるよ」
「楽しみですな」
趙雲の顔に素直に浮かんだ笑みに、張飛は一瞬、目をぱちくりとさせる。が、すぐに満面の笑みになった。
「おうよ、期待してろよ」
それから、車に山のように酒を積んだ孫乾、篭いっぱいに山菜を持ってきた劉備、最後に赤兎馬を飛ばしてやってきた関羽がそろって、宴会は始まる。
肉料理をふるまいながらの張飛の猪と格闘の武勇談の次は、孫乾の値切り交渉講座。それだけでは終わらない。
次は劉備自らの美味しい山菜の見分け方とくれば、外さない珍味の選び方を関羽が力説。
外した珍味で散々だった話に、皆が大笑いしたところで張飛が趙雲の方を見る。
「次は子龍の番だな」
「え?!」
急に話をふられて、どぎまぎする。
仕事一辺倒だった自分には、皆のように人を笑顔にするような話題はない。現実に引き戻される話ばかりだ。
「あと、その……」
しどろもどろになっていると、孔明が微笑みながら首をかしげる。
「そういえば、子龍殿は釣りがお上手だとか?」
「あ、そうそう、すげーんだよ子龍ってば」
反応したのは、当人ではなくて張飛の方だ。かなりいい感じで回っているのだろう。声がいつもの二割増しになっている。
「おう、そういえば」
劉備も思い当たったのだろう、笑顔を関羽に向ける。
「ほら、子龍が合流してくれたばかりのころに……」
「ああ、釣竿もないのに、皆の分の魚を釣り上げて」
言われて、趙雲も思い当たる。敗残の劉備軍には、なにもなかったのだ。食料さえも。
孫乾も笑う。
「そうそう、あれは見事でした」
「あー、しまったよなぁ」
張飛が大袈裟に頭を抱え込んでみせる。
怪訝想になる趙雲に、関羽が言う。
「いや、だから、お主に魚を釣ってきてもらえばよかったと思って」
「せっかくだから、こんど子龍に釣りを教えてもらおう」
と劉備。
「それはいい、次はそれを口実に休日だ」
「楽しみですね」
「いや、それがしは教えるなど……」
張飛ががっしりと趙雲の首に腕を回す。
「なんだ、俺たちには教えられないってか?」
「そういう意味でなく……」
困り顔の趙雲に、皆、大笑いする。
なにを話しても、楽しくておかしくて。

「それまでも、こんな戦は終わらせるべきだと思っておりましたが、あの時からもっと強く思うようになりました」
趙雲は、病床から笑顔を向ける。
心からの、笑顔を。
「あんな風に、いつでも皆が笑いあえる時が来るとよいと」
「子龍殿……」
あの日のことは、もう夢だったのかと思うくらいに遠い。
でも、鮮やかに思い出すことが出来る。
忘れられない、一日。
最初で、最後の休日。
そんな暇などないのだと、誰もがわかっていて。
それでも、あの時祈ったのだ。
本当に、また休日があればいいのに、と。
こんな風に、皆で笑いあえればいいのに、と。
「軍師殿」
あえて、あの時の呼び名で、目前の人を呼ぶ。
いまは丞相である彼は、ただ微笑んだ。
「我が君が望まれたように、子龍殿が、皆が望まれたように」
微笑んだまま、深く、頷いてみせる。
「皆が、ああして笑っていられる国を、必ず」

その日。
松の枝が一本、音を立てて折れた、という。


〜fin.〜
2002.03.05 Phantom scape IX 〜his last holiday〜

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