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冴月夜曲

高いびきが響き渡る宴会場で、意識がある人間は二人だけだ。
上座にいる方が、感心した顔つきになる。
「ほう、孔明はなかなか酒に強いのだな」
「それは我が君でございましょう」
苦笑に近い笑みを、言われた方である孔明は浮かべる。
「後半は、そうは飲まされませんでしたので」
「それは、俺も一緒だよ」
可笑しそうに劉備も肩をすくめる。
飲んでるか?!とからまれることには変わりないのだが、ちょいと、口をつけながら、いただいてますよ、と笑み返すと、それで安心してしまうのだ。
酔い潰されないための技、というモノである。
ようするに、立ち上がっている二人以外は、ものの見事に酔い潰れているのである。
他軍より人材が少ない、とされる劉備陣営ではあるが、こうして皆が酔い潰れているとなると、壮観だ。
普段は度を越す、という単語に縁が無いはずの子龍や公佑たちまで、完全に潰れている。
「風邪を召されないといいのですが」
少々心配そうに、孔明は文官たちの方を覗き込む。
武将たちは躰を鍛え上げているから、大丈夫かもしれないが。
「大丈夫だよ、屋根のあるところで寝てるんだから」
やはり、可笑しそうに劉備が言う。
どうやら、酔い潰れてはいないが、酔ってはいるらしい。
「まぁ、あれだな、酔い潰れるまで飲めるのも屋根のあるところにいる証拠ってことだけど」
その言葉に、ふ、と孔明の視線が遠くなる。
劉備軍のように、微力でありながらも敵軍が迫った時に出来うる限りは守ってくれる軍隊がついている民衆は、まだ幸せだ。
それさえも無く、軍に怯え、夜盗に怯えながら、それでも生き延びる為の旅を続ける民衆たちが、いまも国中にいる。
いまは、この城下の民衆たちも、平安な眠りについている。
長い長い逃避行を終え、やっと辿り着いた戦のない城。
家族を失った者も多いが、いまは、静かに眠ることが出来る。
「せめて、いまはいい夢を見せてやりたいな」
静かな声に、視線を戻す。
穏やかな視線で、寝静まる将たちを見回す劉備がいる。
満身創痍と言っていい。怪我をしていない者の方が、少ない。
それほど激しい戦闘ばかりの、逃避行だった。
放浪慣れしていると豪語する劉備軍にとっても、屈指の難関であったことは確かだ。
なにかを失わなかった者はいない、と言っても過言ではないほどに。
こうして、静かに緒将を見回す劉備とて、同じだ。
それでも、弱気の言葉はなかった。
生き延びたのだから、明日からまた、やってやれ。
気炎を上げることはあっても。
だから、そんな彼らに、ひと時の安らぎを。
「俺たちの夢が叶った夢でも、見せてやれればいいんだがな」
静かで、なにもかもを包み込むような視線。
それを知っているからこそ、どんな困難があろうと、誰もがついていくのだろう。
彼なら、いつかは、と思うから。
いつか、天を欺きえて、本当に平和で安心できる国を。
彼となら、してのけられるかもしれない。
天に逆らいえて。
そう思ったからこそ、孔明もここにいる。
緩やかに、口元に笑みを浮かべる。
「そうしたら、やはり祝賀会でございましょうね」
「そりゃそうさ、派手に歌舞音曲なんてやってな」
にやり、と劉備が笑う。
「曲芸師たちを呼ぶのもいいな、城下で催せば民も楽しかろうし」
「商人たちも集まりましょうね」
明るい景色が、目前に広がるかのようだ。
やっと訪れた平和に、笑い声ばかりが響き渡る。
子供たちが、花を散らしながら走り回る。
娘たちは、装いを凝らし、想い人に伝わるよう祈る。
旅人は、家で待つ者に土産にするならなにがいいかと首をひねっている。
いつか、そんな景色を現実にする為に。
戦い続ける者たちに、一夜の夢を。
「では、そんな夢を見られますように」
つい、と不意に背を向けた孔明に、劉備は不思議そうに首を傾げてから、なにかある、とついていく。
狭い城ながら、いちおうは作られている楼へと、孔明はのぼる。
首を傾げつつも、後からのぼってきた劉備は、少し眼を見開く。
「琴か」
「はい、城の奥に仕舞い込まれていましたようで」
着物の裾をはらい、椅子に腰掛けつつ、続ける。
「宴会の前に、軽く調べてみましたら弦はしっかりとしておりました」
そして、劉備へと視線を向ける。
「壮麗な歌舞音曲には程遠いですが」
欄干に寄り掛かりつつ、劉備は笑む。
「それは、いつかの為に取っておくとしよう」
にこり、と笑んでから。
つ、と手を構える。
それから、ゆるやかに弦を爪弾き始める。
静かに夜の闇に溶け込むように。
柔らかな旋律が、城へ。
城下へと。
せめて、今宵は穏やかな眠りを。
せめて、今宵は優しい夢を。
いつかの夢の為に走り続ける、全ての者に。


〜fin.〜
2003.05.11 Phantom scape XVI 〜leng yue ye qu〜

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