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空虚の天空

ふと見上げたら、そこに郭嘉がいた。
「なに、やってるんだ?」
思わず、曹操は問う。
「なにって、見ての通り、木に登ってるんですよ?」
軽く、肩をすくめてみせる。
それから、くすり、と笑う。
「なにがおかしい」
眉を寄せると、郭嘉の笑みは大きくなる。
「いやぁ、殿でも目が丸くなることがあるんだなぁと」
「悪かったな」
「誰もそんなこと言ってませんよ、珍しいものを見せて頂いたと感謝こそすれ」
まったく感謝などしていない顔つきで言う。
つん、と曹操はつま先で幹を蹴る。
「このまま、切り倒してやろうか」
「ま、切り倒されるまでには降りられますけどね」
「減らず口」
「おかげさまで」
まったく、堪えた様子はない。だいたい、主君を見下ろしたままで平気な時点で、問題ありなのだろうが。
「お前、ここにいるのが誰か自覚してないだろ」
わかってて、言ってやる。
「重々承知しておりますよ」
わざとらしい、小難しい表情になる。
「偉大なる漢帝国の丞相、曹孟徳様でしょう?」
しゃあしゃあと言ってのける。
己の主君にこんな物言いをするのは、少なくとも自分の下には一人しかいない。
自分が必要と判断したこと以外には、囚われない。
人によっては、それを傲慢といい、人としてなってないと言う。が、他人がなんと言おうが、曹操は改めさせるつもりはない。
むしろ、この奔放さこそが。
己の望みを貫き通すための、最も近道ではないか。
心ひそかに、思っているから。
あまりのらしい反応に、くすくすと笑い出した曹操に、郭嘉は首を傾げてみせる。
「よろしかったら、殿もいかがです?」
「木登りをか?」
「他に、なにがあるんです?」
基本的に、一を言えば十が返る。
戯言だろうが、策略だろうが。
曹操は、肩をすくめて問う。
「だいたい、そこでなにしてるんだ」
にやり、と郭嘉は笑う。
「来れば、わかりますよ」
減らず口のくせに、肝心なことはもったいをつけてみせる。
でも、もったいをつける時は、絶対にとっときのなにかがある。
曹操の口元に、笑みが浮かぶ。
「それは真理かもな」
いつまでこんな位置関係で話ていれば、頭の固い連中がうるさく言うに違いない。
それに、なにより郭嘉がなにをしてるのかは興味がある。
服装は木登りには大変に不向きだが、さして障害にもならない。
そうはかからず、郭嘉と同じ視線の位置へと登りきる。
「で、なにをしているって?」
もう一度、尋ねる。
郭嘉は、にこり、と笑い、指を一本、立ててみせる。
意味がわからず軽く片眉を上げると、その指は、つい、と持ち上げられる。
つられるようにして、視線を上げて。
「ああ」
納得した、声を上げる。
視界に広がるのは、いっぱいの空。
抜けるように蒼く、雲ひとつない。
「なるほど、そういうことか」
「そういうことです」
頭上に広がる天を表す言葉、「空」。
それはまた、なにもない「虚」を意味する文字でもある。
なのに、そこに存在すると主張してやまぬ存在がある。
上にいると信じ、下に在る者を自在にして構わぬと思う存在がある。
従う気はない。
許す気もない。
遠い場所から勝手に手出しをされる覚えなど、ない。
「いい眺めだな」
空を見上げたまま、曹操が言う。
笑みを含んだ郭嘉の声が返る。
「でしょう?喧嘩売るにはうってつけで」
どちらからともなく、顔を見合わせる。
曹操の口元の笑みが、大きくなる。
「ああ、本当に」
どちらからともなく、笑い出す。
そしてまた、雲ひとつない空を見上げる。
見上げるたびに、思いを新たにする。
絶対に、してのける、と。
たとえ、反逆者の烙印を押されるのだとしても。
天になどには従わない。


〜fin.〜
2003.06.15 Phantom scape XVII 〜Empty empyrean〜

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