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破顔

当然の反応だ、と思う。
なにもかもが、反対だから。
自ら彼を選んで、地を這うような苦労を共にして。
そんな彼らにとっては、いかに己の命を顧みずに仕えると決めた主君が選んだとはいえども、許し難い存在なのに違いない。
主君が選んだ、ということ自体も。
自分らよりもずっと年若く、明らかに示せる剣の腕があるわけでもない。
その頭脳が武器であると告げられたとて、とうてい理解出来ないだろう。
が、劉備にとっては喉から手が出るほど欲しかった頭脳だ。朝タ、側から離すことがない。
それがまた、古参の将らには面白くない。
義兄弟の契りを結び、旗揚げからを共にしている関羽と張飛などは、面と向かって抗議したらしい。
その時、劉備は、軍師という存在の必要さを説くのに「魚が生きていく為に必要不可決な、水のようなものなのだ」と告げたらしく、以来、聞こえよがしに水と呼ばれたりもしている。
自分に対して剥き出された感情であるはずなのに、どこか人事のように観察している。
劉備に仕えると決意した時から、こうなるであろうことは予期出来ていた。
覚悟などの問題ではなく、相手の感情が、人間として自然なものに思えた。
一点だけ問題となるであろうことは、攻め寄せ来る夏候惇との戦への指示が、素直には通らないであろうことだ。
小さく息を吐くと、劉備へと向き直る。
「我が君の、剣と印をお借し願えませんか」
「俺の?……ああ、構わん」
あっさりと孔明の細腕に預けてよこしてから、穏やかに微笑む。
「いらぬ気苦労をかけているな」
笑顔を向けられて、一瞬、戸惑う。
「……いえ、そのようなことは」
返したところで、諸将らが集まり始める。
地図を示しつつの指示を、ふてくされた顔つきながらも一通り聞き終えてから。
ロ火を切ったのは、張飛だ。
「俺らが何やるのかってのは、よぉくわかったんですがね、軍師殿は一体どうなさるのか、お教え願えませんかねぇ?」
半ば予測していた質問だ。冷えた笑みが、口元に薄く浮かぶ。
「私はここで、戦勝の宴の準備を整えておりますれば」
「ほう、これはこれは!」
皮肉な笑みを浮かべ、皆に向き直る。
「聞いたか?主君までも死地に送り出しておきながら、ご自身はのうのうと城で安全をかこうと仰せになる!」
もともと大きな張飛の声は、ことさらに大きくなる。
「俺はこんな奴の言うことなんざ、一言たりとも聞けないね!」
見かねた劉備が口を開く前に、ひときわ通る声が、場を制する。
「黙れ!」
その凛とした声を誰が発したのか、瞬間的にはわからなかったらしい。
あたりを見回し、剣を構えてますぐに見据える視線に気付き、張飛は片眉を上げる。
「この剣と印に逆らうは、我が君に逆らうも同じこと」
視線を反らすことなく、言ってのける。
「今、私の言葉に逆らうは、逆賊と同じぞ」
半ば馬鹿にしていた顔つきが、さ、と怒りに変じる。
「面白い、この俺を、その細腕で斬れるってんならやってもらおうか」
覆いかぶさるように迫ろうとした張飛を止めたのは、同じほどに不満な顔つきをした関羽だった。
「やめろ、その剣に逆らったら、兄者を裏切ったことになる」
「でも、兄ぃ!」
いなすように張飛の肩を叩きつつ、関羽は、ひた、と孔明を見据える。
「兄者の剣を握られては、我らには逆らいようがない。今回は軍師殿のご指示に従おう。だが、一つだけ、はっきりさせておきたい」
問われる前に、答えを返す。
「責任の全ては私に」
先回りされ、関羽の眉も一瞬上がるが、抑えこんだらしい。
「ならば、いい」
その言葉を合図にしたかのように諸将が散って行く。
最後に、劉備が肩を軽く叩きながら、にこり、と笑う。
「久しぶりに美味い酒が飲めるといいな」
そして、その後姿も消える。
もう一度、小さく息を吐く。
別に、大げさなことを言ったつもりはない。指示から逸脱する者がいない限りは、必ず勝利する。
そして、自分の指示を劉備の命と認識している限りは、逸脱はありえない。
彼らの和をみだしているのは、むしろ。
溶け込む努力が必要ということは、痛いほどにわかっているし、その方法も想像がつかないわけではない。
ただ、わかっているから出来るか、といえば、そう単純でもない。
それは、してはならぬことと、ずっと前に決めたことだから。だからもう、やり方すら、忘れてしまった。
そういうふうに生きるしか、術を見つけることが出来なかった。失敗だったとも間違っていたとも思わない。
ただ、状況が変化すれば、対応が変わるのも当然のこと。
理解は、しているのだが。
よりにもよって、最も苦手なこととは。
しかし、努力ははらわねばなるまい。
そんなことで、やっと見つけた望みを同じくする者を失っては、元も子もない。
自分に言いきかせるかのように考えつつ、戦況を見届ける為に城郭の上に歩み出る。
護衛兵さえいないのを確認してから、そっと、試してみる。
あまりにも不自然で、その容にすらなっていないことが、感覚だけで十分にわかる。
結局のところ、彼のことを支配したのは、何の感情もうかがえない無表情。
やがて、彼方に炎が上がりはじめる。
作戦が己の言葉通りに遂行されている、という証拠だ。 もはや、勝利は確実で、目然。
孔明はきびすを返し、守備兵を呼ぶ。

諸将が集っている場へと向かう間には、幾多の骸が横たわっている。
かつてこうなることを恐れ、幼い弟妹たちをこうしてはならないと固く誓い、そして。
天の為すことに疑問を抱かせるにいたった、それ。
その骸たちを、つくったのは自分なのだ。
そう思うと、吐き気がする。
だがそれも、自ら選んだ道。
軍師となるというのは、こうすることに他ならない。
これから、もっと山のような骸を、自らの手でつくりあげることになる。
迷うまい。
視線を、落とすまい。
なにが、あろうと。
張飛の大きな声が聞こえてくる。
「こうも上手くいくとはなあ」
「何と言おうが、策が正しかったことは確かだ」
静かな関羽の声もする。策を告げた時にくってかかったのとは打って変わった感心した声が同意する。
「ああ、軍師ってのはすげぇや」
他の諸将たちも頬を紅潮させながら次々と集まってきているのが、見えてくる。
一様に口にしているのは、勝ちましたな、という言葉。
少なくとも、一点においては、意見の一致をみていることは確かのようだ。
馬上の将の一人が、孔明の馬に気付く。
「おお、軍師殿!」
次々と向けられるのは、皆、笑顔だ。
ただ軽く、頷き返す。
目前まで近付いた時。将たちは、揃って馬を降り、す、と主君に跪く時と同じ姿勢となる。
「道すがらご覧になりましたものと思いますが、夏候惇の軍、壊滅いたしました」
「全て、軍師殿の策あってこそ」
少なくとも、軍師としては認めてもらえたと、それだけは確信出来る。
心のどこかから、少し力が抜ける。
「いえ、皆様方のお慟きがあってこその勝利です。お見事でした」
彼らはそうは取らないかもしれないが、それは本音だ。
いかな良計であろうと、確実に遂行出来る者がいなくては、ただの机上の空論にすぎない。
「本当に、見事だった」
加わった新たな声に、将たちがわっとどよめく。
「兄ぃ!」
「兄者!」
「殿!」
皆一様に笑顔で見上げている。
共に戦場に出た趙雲を従えた劉備は、手つきで孔明に馬から降りなくていいと示しつつ、将らに笑みを返す。
「勝ったな」
兵たちを見回す。彼らも、わっと歓喜の声を上げる。
その間に将たちは馬上へと戻り、張飛が、手にしている蛇牙を高く上げる。
「勝鬨だ!」
皆の声で大地が揺れる。
勝ったのだな、と、不意に、強く思う。
勝鬨に唱和していない孔明に、将らはいくらか白けた顔つきになる。が、劉備は笑みを大きくする。
「安心したら気が抜けたろ」
「は?」
戸惑い気味に、劉備を見る。
「今回は後半は一方的だったし、犠牲も少なく済んだ」
「ありがたいお言葉……」
劉備の笑顔が、さらに大きくなる。
「少し頬が緩んでるぞ」
「え?!」
思わず、頬に手をやる。
将たちは初めて目にする人間らしい反応に、興味深そうな表情だ。
皆が見ているとわかってはいるのだが、どうしても確かめずにいられない。
「本当ですか?」
「そんなこと、嘘を言っても仕方ないだろ」
なぜか、張飛が不満そうに口をとがらせる。
「俺、わからなかったぞ」
「お前の場合は、馬鹿笑いでもしないと気付かんだろう」
関羽がしれっと言うと、趙雲が、にこりと笑う。
「殿が最初で、翼徳殿が最後なら、いつも通りということですな」
「兄ぃっ!子竜〜っ!」
にやり、と笑いつつ、劉備は馬首を返す。
「さあ、城へ戻ろう。宴の準備も整っている頃だろう?」
問われて頷き返す。
「はい、公祐殿にお願いいたしておきましたゆえ」
馬首を並べる形となった二人を護衛するように添った、関羽と趙雲が顔を見合わせる。
「なるほど……」
「これは難易度が高いですね」
また張飛がむくれる。
「だから、何で兄ぃたちばっかり」
劉備がふり返って笑う。
「いいじゃないか、ゆっくりで」
その言葉は、張飛に向かって発っせられたものだけど。
今度こそ、肩から力が抜ける。
少なくとも、劉備は気付いていてくれている。
そして、将たちも軍師としては認めてくれたのだ。
急ぐことは、ないかもしれない。
ごく自然に笑えるようになるまで、ゆっくりといけばいい。
ほんの微かに浮かんだ笑みに、劉備が微笑んだことを、孔明は知らない。


〜fin.〜
2003.08.10 Phantom scape XIX 〜dazzling smile〜

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