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未来の選択

勢い良く飛び込んできた馬謖へと、書物から顔を上げた馬良は笑みを向ける。
「お早う、朝から元気がいいねぇ」
「お早うございますっ」
のんびりした顔つきだが、行儀にはうるさいことを身に染みて知っている馬謖は、眼を怒らせつつも挨拶をする。
が、次の瞬間には、目前までにじり寄り、噛み付くように問いかける。
「兄上、お伺いしたいことがございますっ!」
「そんなに大きな声を出さなくても、良く聞こえているけれど」
やんわりと怒鳴るなとたしなめられて、馬謖の耳元が微かに紅潮する。が、どうにも抑えられない感情が、声の方は抑えてくれないらしい。
「劉備の元へ行くというのは、本当ですか?!」
「おやおや、耳が早いね」
馬良の口元に浮かんでいる笑みが、いくらか大きくなる。
対象的に、馬謖の目尻はいくらかつり上がる。
「長兄から聞きました!本当なんですね?!」
「さてはて、何をそんなに興奮しているのかな」
おっとりとした仕草で、馬良は首を傾げる。明かり取りの窓側で鳥が鳴いたのとあいまって、実にのんびりとした空気が漂う。
が、そんなことをいちいち気にしていたら、この兄との会話は成り立たないと馬謖は知っている。
厳しい表情のまま、馬良を見据える。
「兄上は、いかようなおつもりで劉備につくおつもりですか」
「いかよう、とはまた大仰だね」
相変わらず笑みを浮かべたままの馬良に、馬謖の目はますますつり上がる。
「茶化さないで下さいっ、真剣にお伺いしておりますっ」
「いかような、ねぇ」
馬良の首は、反対側へと傾げられる。何のことはない、さてはて、を口ではなく動作で示しただけだ。
どういう塩梅なのか、また鳥が鳴く。空気が、とろん、と和む。
この路線で問うてもらちが開かないと馬謖は悟る。どうやら、はっきりと問いただすより他、無いらしい。
「兄上のことですから、まさか調べに手落ちがあるとは思いませんが、劉備軍がどのような集団か良くおわかりになっておられますか?!なにかっていうと追われて居候ですよ?そりゃ今はどさくさに紛れて襄陽近辺を押さえてはいますが……」
勢いの良い馬謖の言葉に、馬良はゆったりと頷いてみせる。
「そう、離散したように見えても、いつの間にか皆集まっているんだよ。確かに離れていく人間もいるが、結果的には人材は増えている。不思議な集団だねぇ」
指摘された事実に反論できず、馬謖は軽く唇を噛む。
そんな表情には、おかまいなしに馬良は続ける。
「興味が尽きないよ、実に面白そうだ」
にんまり、とした笑みが口元に浮かぶ。面白いモノを見つけた時の馬良の癖だ。
純粋に、本気でそう思っているらしい。どうにもお気楽な兄である。
「で、面白そうだから、自分から行く、と」
半ば頭痛がしてきた顔つきで、馬謖は確認する。
「そうだよ、当然だろう?こちらが興味を持ったのだから」
世間でどう言われているのか、この兄は自覚が無いんだろうか、と馬謖は思う。
「兄上、馬氏の五常白眉最も良し、という言葉をご存知ですか?兄上の評価は、実に高い」
「ああ、やはり目立つかねぇ、眉だけ白いというのは。若白髪体質なのかなぁ」
言いながら、軽く自分の眉を撫でる。幼い頃はなんらかの病気ではないかと両親が奔走したくらいに、生まれた頃から馬良の眉は白いのだという。
小さい頃から見慣れている馬謖にとっては当たり前のことなのだが、よくよく周囲を見回してみれば、この年で眉が白いというのはまずあり得ないし、髪が黒々としているとなったら、更に希少だということがわかる。
言われる度に笑ってかわしてしまうけれど、馬良にとっては妙な特徴づけをされてしまったようでありがたくはないのかもしれない。
が、今はそれを取り沙汰しているわけではない。
「眉のことを話しているわけではありません、兄上。こちらから行くなど、まるで安売りではないですか!しかも、あんな得体の知れないところにですよ?」
「得体が知れないからこそ、面白いんだろう?まぁそう悪くは無いと思うけどなぁ。伏龍も出蘆したんだし」
うんうん、と一人頷いているのを見て、さらに馬謖はいきり立つ。
「ですから!それですよ!」
「それ?」
馬良は、あまりのいきり立ちように、軽く眼を見開く。
「孔明殿は、劉備が三回も通ってきたからこそ出蘆なさったのでしょう?兄上とて」
「それは、二回は留守だったからだよ。三回も大上段に構えるわけ無いだろう」
だいたい、馬謖が言いたいことは理解したのだろう。また、元の笑みへと戻って馬良が答える。
「二回訪ね来たのを知っていて自らおとなわなかったのは、出蘆する気がなかったからだよ。ということは、劉玄徳という男には、あの伏龍を動かすだけの何かがある、ということになる」
好物を食べた時のような、ふうわりとした笑みが浮かぶ。
「これはもう実に興味深い。私は、是非この眼で会い話をし、人物を確かめてみたいのだよ」
「賭けてもいいですが、兄上はそのままお仕えになるに違いない」
もうすでに、馬良はすっかり虜になっているといっていい。これほどの笑顔を見せるのは、よほどに気に入ったモノが見つかった時だけで、しかも滅多に見せることはない。
馬氏の五常白眉最も良しと言われる兄なのだ。のんびりしているように見え、調べることは調べつくしているのに決まっている。
興味深い、と口にするまでに、どれほどの情報を集めたのかは読めぬが、ともかくあの危うそうな軍団に参加することを決めたのだけは確かだ。
やはり、どうかき口説こうとて、兄を翻意させるのはとうてい無理なことなのだ。
わかってはいたが、思い知らされて馬謖は少し、視線を落とす。
「…………」
「そうがっかりすることもないだろう?兄上たちは皆いるのだし」
こののんびりした兄は、ちっともわかってない、と馬謖は思う。
兄たちは、皆、馬謖に優しい。
でも、誰よりも好きなのは、馬良なのだ。幼い頃から、いつも最も側にいてくれた。
その兄が、いつ命を落とすかもしれない軍団に行くという。
これだけ言うのに、どうにも馬良には通じないらしい。
誰がなんと言おうと、決めたことは貫く馬良らしいといえばそうなのだが。
どうあがこうが止められないとなったら。
ぐん、と勢い良く顔を上げる。
「わかりました、兄上。私も一緒に参りますっ」
「え?劉玄徳殿のところへ?信用ならないんだろう?」
きょとん、と首を傾げる馬良へ、またも噛み付かんばかりの勢いで馬謖は一気に言う。
「だからこそ、です。兄弟力をあわせれば、いくらか危険も減りましょう」
一瞬、妙な具合に馬良の口元がゆがんだのは、吹き出すのをこらえたからだ。
「まぁ、そうだねぇ。一緒に行くのは構わないが、これだけは言っておくよ。仕えるかどうかは、自分の眼で確かめて一生を捧げる価値があると思ったのならそうすればいい。誰の為でもなく、自分が選ばなくてはならないことだからね」
それは、馬謖の将来を縛るようなことはしたくないのだと告げると同時に、自分の未来は自分で決めるという宣言でもある。
あっさりとだがはっきりと言われてしまい、馬謖は素直に頷くしかない。そうでなければ、馬良は一人で荊州城に向かうに決まっている。
「……わかりました、この眼で見定めます」
「そう、それならば一緒に行こう」
にこり、と馬良は笑う。

馬良が馬謖を伴い、荊州城へと登城するのは数日後のこと。


〜fin.〜
2004.06.24 Phantom scape XXI 〜A choice for the future〜

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