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朔に策

どうにか楼へと登って見ると、灯りには被せ物がある。
なるほど、と劉備はうっすらと笑みを浮かべる。
と、同時に気配が振り返る。
「ああ、邪魔してすまん」
「我が君」
劉備の声に、楼の上の人物は笑みを含んだ声を返す。
この月の無い夜にどうして現れたのか、察しているのだろう。
「星を見るには、いい夜だな」
言葉と共に、自身も空を見上げる。
見事なまでの満天の星だ。月が無いと、これほどまでに多いのかと目を瞠るほどに。
孔明は、この星からいかほどの事を読み取っているのだろう?
「濡須の戦は収束いたしましょう」
まるで、内心の問いが届いたかのように孔明が言う。
「孟徳が、引くか」
「仲謀が根を上げましょう」
返った答えに、思わず劉備は声を立てて笑う。
「小僧には、まだまだ手に余るか」
「小僧でなくとも、まともに相手に出来るのはお一人かと」
孔明はあっさりと返してくる。
まさか、とは問い返さない。声を頼りに歩を進めつつ、劉備は首を傾げる。
「そうであれば良いが?」
「漢中を落とした際、巴蜀には兵を進めませんでした」
「大掃除のかいは、あったか」
「そうでなくては」
声が、近くなる。そして、いくらか低くなる。
「文若殿がしてのけたかいがありません」
「そうだな。だが、そう上手くいくか?」
いつも、天は狡猾な手出しをしてくる。益州へと兵を進めた劉備たちのはらった犠牲も、少なくは無かった。
「銅雀近辺では余計な手出しと火難があるようですが、どちらも問題なく避けるでしょう。その後は少々の余裕が出ます」
まるで掌を指すように、孔明は言う。
「ですから、漢中をいただきに参りましょう」
ああ、そうか、と劉備は会得する。
もう孔明の中で、算段は出来ているのだ。
力を三分させ、安定させる。それには益州のみでは足りぬと前から言ってはいたが。
「守備は誰だったか?」
「定軍山に夏候淵、夏候徳が糧を守っています。無論、こちらが動けば援軍が当然出るでしょう」
軽く袖をはらったのが、闇に慣れてきた目に映る。
「定軍山を落とせば、来るか」
「間違い無く」
「となると」
「当然、我が君にもご出陣いただきます」
きっぱりとしているが、うっすらと笑みを含んだ声。
知らず、劉備の顔にも笑みが浮かぶ。
「俺がか」
「漢中をいただくのですから、それなりの礼儀は必要です」
「確かに、挨拶も無しでは義理を欠くな」
いくらか声が弾んでしまうのを、抑えきれない。
「では、なんとしても定軍山を落とさねばな」
「先ずは、翼徳殿と孟起殿に出ていただきます」
先鋒に、烈火の如き進軍が得意の二人を出すとは。
「それはまた、すさまじいな」
「いいえ、猪突に動くのはあちらの方です」
その一言で、劉備には飲み込める。
「猪突が得意の二人が動かねば、相手は焦れるか。それは面白そうだ」
「孟起殿は孟徳軍の狡猾さを身にしみてご存じですし、翼徳殿も過日の厳顔殿を味方にした手腕、考え無しには出来ぬことです。充分に焦らしてくれるでしょう」
さ、と風が吹き、灯にかけた覆いがはためく。
ちら、と孔明の顔に光がさす。
浮かんでいるのは、自信しか無い笑み。
劉備も、笑みを返す。
「孟徳に会う日が楽しみだ」
それは、共に天を翻弄する日なのだから。


〜fin.〜
2010.05.06 Phantom scape XXXII 〜Indicate the destiny under new moon〜

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