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円月に猛る

物々しく召集された軍議は、先ず現状の戦況が説明される。
張飛が張コウを瓦口関まで追い込み、裏手から回りこんで火攻めし、落としたことを孔明が説明すると、皆からどっと歓声があがる。
「雷同のことは残念だが、裏の山道を見つけたのはなかなかだったな」
「ええ、翼徳殿はなかなかの戦上手です。民を良くご覧になっていますね」
厳顔を味方に引き入れた時もそうだが、人の動きが良く目に入るのだろう。
「そうだな」
劉備も、嬉しそうに頷く。が、笑顔はそこまでだ。
カ萌関を攻めた孟達と霍峻が敗北した旨が、伝えられる。
傷が大きくなる前に二人は後退したし、曹洪もあえて深くは追ってこなかったおかげで、さほどの犠牲は出ていないが、このまま二人に攻めさせていても落ちないだろう。
誰が出るかを決める為の軍議だ、と知った誰もが、真剣な眼差しで劉備を見つめる。
視線が劉備へと集中する中、孔明の視線が、ちら、と動く。
視線を受けた趙雲は、白羽扇の影に指が一本立っているのを見る。口の前に立てられた意味は、一つだ。
しばし、黙っていろ、の合図。
どうやら孔明は、何か仕掛ける気でいるらしい、と趙雲は視線を周囲へと軽く走らせる。
同時に、孔明が口を開く。
「今回の一件、瓦口関から翼徳殿を呼び戻し、カ萌関へ向かっていただこうかと」
言葉が終わらぬうち、一人の将が不満を露わな声を出す。
「待たれい、軍師殿」
「何でしょう、漢升殿」
ゆるく動かされた羽扇に隠された口元に、笑みがあると知っているのは劉備と趙雲の二人くらいだ。
「我が軍に、人無しと申されるおつもりか」
「まさか、そのようなことは。ただ曹洪も凡庸な武将ではありません」
硬い口調で淡淡と言われ、黄忠はかちん、ときたようだ。
「軍師殿、僭越ながらそれがしがおります。節穴のようなことを言われては困る」
「おや、老将軍がカ萌関を落とすと?」
ひどく、驚いた声。
当然、黄忠は面に朱を注ぐ。
「誓紙を書いてもよろしい」
「なるほど、そこまで仰るなら将軍にお願いいたしましょう。副将はどなたを?」
もう少し会話が続いたなら、加勢に加わりそうな顔つきだった厳顔へと、黄忠は振り返る。
「無論、厳顔殿じゃ」
「おう」
鼻息荒く頷きあう二人の年かさな武将を、孔明は実に静かな視線で見やる。
「了解いたしました。ですが、誓紙をお忘れなく」
「当然じゃ、わしは先ほど言ったことを忘れるようなことは無いわ」
頭から湯気が上がりそうな勢いで誓紙を提出し、出陣準備へと立ち去っていく二人を見送ってから。
「散会」
劉備の声に、皆、我に返ったように三々五々散っていく。
三人だけになった広間で、最初に苦笑を浮かべたのは劉備だ。
「さて、あれほどまでに怒らせて大丈夫か」
「ええ、戦のことには冷静に対処されるでしょう。怒れば怒るほどに」
孔明は、にこり、とはっきりと笑みを浮かべる。
「そう待つことなく、天蕩山を落としたと報が入りましょう」
どうも軍師は、政治と軍事のことととなると実に性質が悪くなるらしい。常の控え目さなど、どこへやら、だ。
劉備と趙雲は、顔を見合わせて苦笑するしかない。



孔明の予告通り、事は動き出す。
黄忠は怒涛のように進軍したかと思えば、落とした陣を守りきれぬというかのように一陣ずつ引いていき、五陣まで夏候尚と韓浩を誘い出したところで一気に反転した。
驚き慌てた夏候尚らは、陣を取り戻されるどころか天蕩山までを放棄することになった。
当然、その報はすぐに成都にも伝えられる。
黄忠の活躍に沸く会議の場で、立ち上がったのは法正だ。
「今こそ、漢中を手にする時です。殿自らが出征なさるべきかと」
「孝直殿の仰るとおりです。ご決断を」
静かに賛同した孔明へと、劉備は真っ直ぐに視線をやる。
問いは、一言。
「動くか?」
「必ず」
答えも、一言。
孔明の口元にあるのは、自信しか無い笑みだ。
劉備は決然と立ち上がり、剣を掲げる。
「よし、出陣だ!今こそ、漢中を我らの手に!」
将らが、どっと沸く。
白羽扇が、さっと動く。
「全軍十万、先鋒は趙将軍。漢升殿に使者を出し、厳顔殿を巴西に送るよう伝えよ。孟起殿にも現況を知らせる使者を」
通る声が、次々と指示を出し始める。
劉備は、真っ直ぐに前を見据える。
待つのは、ただ一つ。



天蕩山陥落の報は、銅雀台にもすぐに届く。
「巴西、カ萌関に続いて、か」
実に不機嫌そうな曹操の声に、伝達の者は身を縮めるばかりだ。
「丞相、恐れ入りますが、更にご報告せねばならぬことが」
「何だ」
問いには、実に小さな声が返る。
「成都から、劉備が発った、と。その数はまだわかりませんが、先方は趙雲とのこと」
無言のまま、ざ、と衣擦れの音がするのに、びくりと伝達の者が身を縮める。
「軍議だ」
「はっ」
平伏する者へと、更に告げる。
「俺が出る」
「ははっ」
地に頭を擦り付けていた男は、だから知らない。
自ら出征する、と告げた曹操の口元に、笑みがあったことを。
「兵は四十万、先手は元譲、後陣は文烈だ」
指示を出しながら、広間へと大股で向かう。
実際に戦場に立つのはそこまでにはならないかもしれないが。そんな些事は、どうでもいいことだ。
望むのは、ただ一つ。


〜fin.〜
2010.05.10 Phantom scape XXXVI 〜He rampage on a night with a full moon.〜

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