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二十三夜に逢う

星を見上げながら、孔明がにこやかに告げる。
「そろそろでしょう」
「少々、容赦無いんじゃないか?」
苦笑を返したのは、並んで夜空を見上げていた劉備だ。
もう、間近となった曹操の陣では、ここ数日昼間は張飛の筋金入りの罵倒、夜にはどこからとも知れない陣鼓の音が響き渡り、眠る暇が無かった。
今日とうとう、いくらかではあるものの、曹操の陣は後退したところだ。
どこともしれない陣鼓の正体は、もちろん趙雲の精鋭部隊だ。山間に潜み、ごく近くまで寄って打ち鳴らしては引くことを続けていた。
将も兵も、すっかり寝不足になっていることだろう。
孔明の作戦通りという訳だが、ちときつくは無いか、と劉備は問うたのだ。
「本気で仕掛けておきませんと、肝心な時に邪魔が入りましょう」
真摯な表情と声に、劉備は頬をかく。
「ま、な。確かに、せっかくの機会を邪魔されるのはたまらない」
「上手くいけば、久しぶりに顔を合わせるくらいのことは」
また、空へと視線を戻して孔明が言う。
劉備は、軽く瞬く。
「孟徳と、か?」
「ええ」
至極あっさりと返された言葉に、劉備はにわかには信じられないような顔つきだ。
「だが、どうやって?」
「渡河しましょう」
「渡河?」
思わず、鸚鵡返しにしてしまうが、すぐに気付く。
「背水の陣か、なるほど」
こちらが相応の覚悟を決めたと示せば、間違いなく相手も動く。
望み、そして機会があると知れば、きっと。
「さて、孟徳はどう思うかな」
澄んだ空を見上げて、劉備は笑みを浮かべる。

劉備軍全軍渡河の知らせは、曹操本陣にもすぐに届く。
「背水の陣か」
低い声に、将らも緊張を隠せない。
「劉備めも、覚悟を決めた様子」
「どうなさいますか」
だが、曹操自身は、少々寝不足気味で頭痛がしていた頭が、実にすっきりとしている。
ここまで来たら、一つしかないではないか。
「どうもこうも、あちらが覚悟を決めたなら、こちらも腹を括るしかない」
腹を括る、ということは、だ。
「使者を出せ。五界山の麓で会わん、と」
はっ、という声と共に将の一人が走る。
「五界山となると、全面からあたることになりますな」
「決戦なのだから、それでいい」
下手に策を凝らしたところで、孔明にかわされるのが落ちだ。
「こちらは二十万、あちらは十万いかん。正面からの優位は明らかだ」
言われて、将らが頷き合う。
そして、ほどなく、使者は戻る。
劉備からの返事は、「快く」。
曹操は、命を下す。
「明日は決戦だ、皆、存分に働け!」
どっと場が沸き、戦の準備の為に、引けていく。
誰もいなくなったことを確認してから、曹操はゆっくりと口元に笑みを浮かべる。
劉備なら、使者の意味を正確に取ってくれるだろう。
同じ志を持つ者だからこそ、もう二度とまみえることは無いと思っていた。
せっかくの宴を、楽しまずしてどうしよう。

翌日。
ぬけるような青空の下、両軍は対峙する。
派手な鎧の多い中、一際、赤が際立つ男が曹の旗と共に現れる。
他ならぬ、曹操だ。
「玄徳、いるか?」
通る声に、すぐに応えは返る。
「玄徳ならここに」
進み出た馬は目にも鮮やかな白。その上の人物の衣装は深い青を基調としたものだ。
劉備らしい、爽やかな色合わせに、曹操は目を細める。
と、劉備の口元にも笑みが浮かんだようだ。
はら、と派手に動いた袖の先で、指がなにやら動いている。
-久しいな。
口元がほころびそうになるのを、曹操は耐えつつ、やはり袖を翻す。
-息災で何より。
「やあ、孟徳。ようやく意を固めて死にに来たのか?」
口では皮肉に言いつつも。
-寝不足にさせて、悪かったな。
曹操は、口の方へと激昂の表情を見せつつ。
「貴様こそ、俺の庇護あって生き延びたくせに、恩を仇で返すとは」
-いや、あいつをからかえると思えば。
そう、共に天を翻弄できると思えば。
「漢室の威光を傘にきる逆臣が、何を言うか」
-おう、それを楽しみに来た。
このままでは、嬉しさで笑ってしまうから、だから。
切っ先を振り上げる。
「今日こそ、玄徳の首級をあげよ!」
-宴を楽しもうじゃないか。
青い袖が大きく翻る。
「孟徳を捕えよ!」
-無論、大いに。
瞬間、見交わしたのは笑顔。
そして、赤と青が、激突する。


〜fin.〜
2010.05.12 Phantom scape XXXVIII 〜They reunite under the midnight moon.〜

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