ひとまず、『腹が減った』というビクトールのために、メイファはご飯を用意しにいく。
その間にすっかり汚れた服を着替えるべく、ビクトールは汚れ物を脱ぎ捨てた。
そして、ベッドにおいてもらった着替えを手に取ろうとして、その脇の真っ白にくるまれたモノに気付く。
「これ、お前の剣?」
「えっ?……ああ」
どこか、宙に浮いた視線を漂わせていたフリックが、慌てたようにこちらに視線を合わせる。
それから、ビクトールの指差したほうに。
「そう、俺の」
うなずいてみせる。
「なんかの、まじないか?」
からかうような口調で軽く尋ねる。
本当は、弔いの意味でもあるのだろうか、と思ったりしているが。
「違う、メイファが直接触らないようにって、自分で」
フリックは、そこに起こった事実のみを述べるが、それで大体のところは理解できる。
「へぇ、お前の村の『しきたり』も知ってるのか、彼女」
「ああ、ずいぶん、いろんなところに行ったらしいよ」
どうやら、二人だけにしても、会話は存在したらしい。そのことが、一番心配だったのだ。
フリックは自分から話すタイプではないので。
それに、メイファのほうも自分から会話を仕掛けるタイプではない。
必要性を感じなければ、話しかけないのが二人というのは、始末が悪い。
「ふうん……」
フリックの答えに返事を返しつつ、そんなことを思う。
「それよりも、どうして戻ってきたんだ?」
今度は、フリックのほうから、尋ねてくる。
珍しいことだが、それだけ不思議だったのだろう。
ビクトールは、着替えをかぶりながら(前あきじゃなかったから)、
「ん、それは飯が来てからな」
と、メイファも交えて話したい意を伝える。フリックは、軽くうなずいてみせた。
でも、どうしてそうなのか、は尋ねようとしない。
相手の考えを、深追いして追及するのを、無意識に避けているのかもしれない。
そんなふうに深読みするのは、自分が『どうしてか』を聞いてほしかったからだろうが。
それとも、俺がお節介なのかな、とも思う。
「……なぁ」
「ん?」
いや、急がなくてもいいだろう、これは、俺の勝手な思いつきだから。
「いや、なんでもないや」
照れ笑いをしてみせて、頭をかく。
フリックは、不審そうだ。
「なんだ、言いかかったくせに?」
こういうところが生真面目過ぎるんだよ、と心で苦笑する。
口にされなければ、して欲しい深追いさえ避けるくせに、いちど口にすると今度は、聞いて欲しくなくても、尋ねてくる。
たんに不器用なだけかもしれないが。
もしかしたら、フリックは、あの無口なハンフリーなんかとは別の次元で、人とのコミュニケーションが不得手なのかもしれない。
深追いするのが怖いくせに、会話が切れてしまうのは、もっと怖い。
無意識の、孤独。
彼の瞳に宿る、どうしようもなく暗い闇を、知らないわけではない。
めったなことでは、見せないが。
そう、たとえば、死に瀕しているとき、とかにしか。
自分が飲みこんだものとは違うかもしれないが、自分の瞳にもかつてあったモノだから。
そのくせ、まっすぐで純情で。
いや、まっすぐすぎるから、自分の闇をも、持て余すのだろう。
中途半端には扱えなくて。
そう、だから。
やはり、まだ、思いつきの方は、口にするのはやめておこう。
急ぐことはない。時間は、たっぷりとあるのだ。
いま口にして、時機尚早で没では、もったいない気もするし。
ひとまず、矛先はかわしておこう。
「それより、お前、女の子襲っちゃ駄目じゃないか」
言ってやると、案の定、フリックは顔を真っ赤にする。
「いや、あれは……その、そういうんじゃなくて……」
答えが、しどろもどろだ。
ただ、歩く練習をしようとしたら、こけたんだよ、といえば言いだけなのに。
まったく、この男はオデッサと何をしてたんだろう?などど、思わず下世話なことを思ってしまう。
まっすぐな瞳の青年を、グレッグミンスターで、どうしても見捨てることができなかった。
死にたい瞳をしていたのは、知っていて助けた。
闇に飲まれたまま死ぬのは、あんまりだから。
たとえ、いまが闇の中でも、明けない夜はないのだと、知って欲しくて。
だけど、それは、自分の都合なのだ。
目前で誰かを失うのが嫌だという、自分のわがまま。
不思議だと思う。全てを失ったことがあるのに、まだ、失いたくない、と思うなんて。
きっと、人に言えば、『失ったことがあるから、失いたくないんだよ』といわれるに違いない。
でも、全てを失ったら、普通諦めるもんじゃないのかな、と思うのは、自分だけなんだろうか?
もし、一度失っても、それでも望むことが生きることなら、なんて人間は貪欲なのだろう。
それでも、生きていくことに意味がある、と信じるしかない。
たった一人、生き残ったことに、意味があるなら。
自分が生き残ったことに、価値があるなら。
顔を真っ赤にして照れているフリックは、ビクトールがすこしの間黙り込んでるのでさえ、からかわれているのの一環かと思ったのだろう、困ったような目で、こちらを見た。
「冗談だよ、あんま、無理して歩こうとするなよ」
「ああ」
まだ、顔のほうは赤いままなあたりが、フリックらしい。
「どうしたの?顔、真っ赤だよ?」
食事を運んできたメイファが、不思議そうに尋ねるものだから、フリックはさらに真っ赤になった。
さすがに、ビクトールは吹き出して笑い出す。
しばらくは、すきっ腹を満たすことに専念して、無言でご飯に向かっていたが、待っている二人が無言なので、顔を上げる。
「あのな、無言で見られてると、プレッシャーなんだけどなぁ……」
「プレッシャーかけてるのよ」
と、すかさずメイファ。ま、笑顔なので、本気ではないらしいが。
フリックもうなずく。
「そう、早く、戻ってきたわけをきかせてもらわんとな」
ったく、俺がいると、つるむんだから……
そのくせ、絶対、誓ってもいいが2人っきりになると、ギクシャクするに違いない。
いまだって、ほら、自分の発言に反応はしたけれど、二人の間には、会話がないじゃないか……
まぁ、フリックが不器用なのはよくわかっているが。
メイファも、不器用なタイプだと思う。ぞんざいで気の強い発言ばかりして、自分をどこかに隠してしまう。
あらわすことが必要なものさえ、たぶん自分の中に飲み込んでしまう。
弱みを、絶対に人には見せない、いや、見せられないタイプ。
それはともかく、無言でご飯を食べてるとこを見られてるのは、落ち着かない。
などと考えながら、顔を上げると、メイファのほうも沈黙はよくないと思ったのだろう、口を開く。
「帰ってくるの明日の夜じゃなかったの?」
「ああ、そのつもりだったんだが」
ご飯を勢いよくかきこみながら、ビクトールが答える。
「いやさ、村ん中通ってっへ(ここで、おかずを口に入れた)……ふはほへんひゅうひ(村の連中に)……ひふはっへほ(見つかっても)」
「しゃべるか食べるか、どっちかにしろよ、飯が飛んでる」
フリックが言うと、ビクトールはにやりとしたもんで、
「……(ひとまず、飲みこんだ)じゃ、食う」
そんなわけで、ふたたび無言がおとずれる。
どうやら、自分の一言が、せっかく破ったはずの沈黙を、引き戻してきたことに気付いたらしい。
フリックの顔に、かすかにしまった、という表情が浮かぶ。
ビクトールは、わかってて無言でご飯を食べつづける。
どうするかな、と思いつつ。
フリックの視線が、ふらふらと食卓をさまよう。どうやら、自分で話題を探しているらしい。
いったん口が開きかかったのが、ふ、と少し息が漏れただけで閉じてしまう。
それから、またもう少し、視線が漂ってから、
「これって、どこで覚えたんだ?」
「え?」
急な質問に、メイファは目をぱちくりさせる。
しゃべりだしが『これ』では、なにを指してるのかさっぱりわからない。
それに気付いて、慌てて付け加える。
「あ、だから、いや、こういう料理を、どこで覚えたのかと思って……」
「うーん、旅しながらかなぁ、祖父ばっかにやらせとくわけには、いかないし」
「じゃ、けっこう小さいころから?」
「そうね、旅に出てすぐくらいからかな、少しずつだけどね」
食卓だから、料理……安易だが、不器用なりに考えたのだろう。
ま、自分から話題を見つけたのだから、よしとすべきだ。
とは思うが、ホントに不器用だ。もう少し、気のきいたことを言えばいいのに……
『このまま居着きたくなるよな』とかだな、と心で教えてやる。
が、通じるわけもなく、フリックは「へぇ」と相づちを打っただけだ。
そんなんじゃ、また沈黙だぞ……
せめて、美味いとかくらいは、言えよ。
「なにか変なもんでも、出しちゃった??」
メイファのほうが、会話をつないでくれる。
「いや、そうじゃなくって……その」
「???」
フリックがしどろもどろなので、メイファは不思議そうだ。
「昨日の夕食も、今日の朝のも美味かったから」
どうやら、それだけいうのにも照れるらしい。頬がまた染まっている。
「そう?ありがと……」
えらく真面目な顔つきで言われて、メイファのほうもちょっと気恥ずかしくなったらしい。
ビクトールのほうに目をむけ、
「熊男は、おかわりするの?」
などと、聞いてくる。
「うん、おかわり」
と、皿を差し出す。
それから、これ以上は、フリックは話題を見つけてきそうにないので、よそってもらっている間に、本題に入ることにする。
「いや、村ん中通ったら、見つかる可能性が高そうだったから、森を突っ切っていこうとしたんだけど」
「……本気で?」
思わず、メイファのほうが驚いた声を上げる。
「迷っちまってさ」
「そりゃ、そうよ、あそこの地図は存在しないんだもの」
「いや、ぜったい目印つけてきゃ大丈夫だって」
自信を持って答えるが、これは根拠のあることだ。
たしかに、散々迷いはしたが、そのおかげで森のだいたいの状況はわかったからだ。
「目印って……なにをつけるつもりだ?」
フリックも、真面目な顔つきで聞いてくる。
「それなんだけどさ、そのことで、メイファに相談したくて、もどったんだ」
「私に……?」
「おう」
面食らった表情のメイファに、にやり、と笑いかける。
その笑顔で、ピンと来たらしい。思わず両手をぱんっ!と叩いて、
「……あ、わかった!熊なのに、賢い!」
「熊なのに、は余計だっての」
フリックにも、わかったらしい。
「薬草!」
二人につられたのか、めずらしく大きい声になる。
「ご名答」
ビクトールは、にやとしたまま頷く。
「メイファなら、村人が見ても、目印とはわからない薬草を知ってると思ってさ」
「それを、植えて回るの?」
「道にだけな。そうすりゃ、出発するころには、いくらか育ってるだろ」
「それはそうだし、いい考えとは思うが……」
フリックのほうは、首をかしげた。
「俺たちに……」
言いかかったところで、ビクトールは慌ててフリックの足を蹴る。
「てっ!」
いきなり、悲鳴を上げるものだから、メイファの方は驚いたようだ。
慌てて立ちあがり、フリックの顔をのぞきこむ。
「なに?大丈夫??傷が痛いの?」
「あ、大丈夫……」
フリックは、メイファには笑顔を、ビクトールには横目をみせた。
ビクトールも、横目をみせた。悪かったよ、と、いまそれは言うな、の意をこめて。
フリックの目が、ちょっと見開かれる。
『まさか?』
目が問うている。軽く頷きかえす。相変わらず、そういう察しは早い。
ほんとは、しばらくフリックにも隠しておくつもりだったが、気付かれたのなら、仕方ない。
それに、この表情は、どうやら反対ではなさそうだ。
「ほんとに、大丈夫なの?」
メイファの方は、まだ心配そうだ。二人が目でやり取りしてるのには、気付いてないらしい。
今日、こけてしまっていることもあるから、心配するのも無理ないが。
「ああ、もう大丈夫」
「そうそう、簡単にくだばりゃしないから、大丈夫だよ」
ビクトールも言ってやると、蹴られたフリックはお前のせいで、心配かけたじゃないかという、文句をいっぱいにした瞳で、もういちどこちらを睨む。
それだけでは気が済まなかったのだろう、ちょっと皮肉な口調で、
「熊の顔見たから、ストレス感じたんだな」
と、やられる。
珍しいフリックの冗談に、メイファは思わず吹き出す。
屈託のない笑顔。これも、守ってやりたいと思うのは、やはり、わがままが過ぎるだろうか?
医者になれないままだったら、彼女も闇の中に行ってしまう気がして。
どうしたら、みんなが幸せになるのだろうな。
ビクトールは、ふとそんなことを思った。