「情ってヤツは、ほんと厄介でしかないね」
ネクタイを緩めながら、ソファに乱暴に腰を降ろしながら、ホームズは言う。
冷たい言葉に似つかわしく、その口調も不機嫌そのものだ。
「冷静な理知と相容れないどころか、物事に対する判断を完全に狂わせるものでしかないのだから」
確かに、今日の事件はそう言えた。
思い込みの嫉妬に狂い、罪のない者を手にかけた者を捕らえた。
だけど、命を失った者は戻らないし、嫉妬を呼んだ当の本人は、のうのうと生き長らえている。
警察の者たちでさえ、犯人を捕らえたというのに冴えぬ表情を浮かべていた。
理性を信奉すると言い切るホームズは、実のところ、感受性が鋭い方であるのを、ワトソンは知っている。
氷の如く冷たい言葉をはくけれど、本当はとても優しいのだということも。
だから、こんな日には。
「ま、一杯どう?」
柔らかに微笑んで、ワトソンは澄んだグラスを渡す。
ゆらりと揺れた液体の香りに、ホームズはすっと目を細める。
が、少し不思議そうに首を傾げながら、グラスを手にする。
贅沢をするわけではないが、美味しいモノが好きなホームズは、ワインにも詳しい。
手にしたそれを、そっと口にする。
すぐに、推定は確信に変わったらしい。
細めた目を、見開いてワトソンを見る。
「モンラッシュじゃないか」
「そう、珍しいだろ?」
微笑んだまま、ワトソンもグラスに口をつける。
「どうやって手に入れたんだ?」
白ワインの中でも、最高峰といわれるモンラッシュだ。
そう簡単には入手できないし、機会があったとしても相当はたかねばならない。
「探偵ほどではないかもしれないけど、医者もいろんな人と知り合う機会が多いからね」
悪戯っぽく、ワトソンは告げる。
そう言われれば、推理などという過程を踏まなくても、ワトソンの患者の一人からもらったのだろうと察しはつけられる。
が、入手経路がわかったホームズの方は、ますます戸惑い気味の表情になる。
「君は、コニャックのほうが好きだと思っていたけど?」
これだけの金をはたくのだ。好みの打診はあったに違いない。
ワトソンの笑みが、どことなく曖昧なものになる。
「たまには、いいかと思って」
「……ああ、そうだな」
少し、ゆっくりと味わう静かな時が過ぎて。
ホームズの空いたグラスに、ワトソンが慣れた様子で、二杯目を注ぐ。
ボトルを受け取って、ワトソンのグラスに注ぎ返しながら、ホームズがぽつり、と言う。
「さっきの、情の話だけれど」
ワトソンは、微かに首を傾げる。
「その……例外も、あるかもしれないな」
言いながら、ホームズの視線は、なぜか明後日の方向へと漂っていく。
そのまま、少々小さな声で付け加える。
「ありがとう」
-- 2001/11/11