翌朝、朝ご飯にありつくべくダイニングに現れた忍への、亮の挨拶はちょっと変わっていた。 「……お知り合いに」 「え?」 思わず、問い返す。 「工藤貴也という方、いらっしゃいますよね」 「ああ、うん」 頷きながら椅子に腰掛けるが、その表情は怪訝そうだ。それはそうだろう。朝起きていって、いきなり相手の知るはずのない、自分の知り合いの名を言わたら、誰だって驚く。 亮が、にこ、としたので、どういうことかなんとなくわかる。 軍師の仕事のひとつに、雑務管理も含まれている。総司令部との密接な通信網を管理している、という関係上からなのだが。 兵役に就いて、唯一、大きく制限されるのが外部との連絡、だ。 自由に電話や手紙をやり取りしていたら、作戦遂行時に敵にどこにいるのか簡単に知れることになる。もっとも、現在では形式的なものと化しつつあったが、この春の対『紅侵軍』戦の記憶も新しい今、『第3遊撃隊』に関しては、徹底されている。 そういう前置き無しに知り合いの名を出したのは、亮のちょっとしたイタズラだ。忍の驚く顔は、珍しい。 「貴也から、なんか?」 「ええ、会いたいそうですよ」 言いながら、香りのいいコーヒーを注ぐ。 忍がそれをブラックで飲んでいるうちに、トーストとスクランブルエッグ、ベーコン、サラダなどなど、イングリッシュ・ブレックファースト並の朝食が並ぶ。 もちろん、忍がそれだけ平らげるから、だ。 で、いつもなら、えらく新鮮な牛乳がついて、完成。 が、今日は、どうやら、そうではないらしい。 小ぶりのナイフでオレンジを半分にすると、果汁絞りで器用にジュースにしてくれた。 トーストにバターを塗りながら、忍は言う。 「珍しいな」 「そうですね、対『紅侵軍』戦もあって、連絡が止められてたせいもありますけど」 「ああ、そうだな」 確かにそうなのだが、こうして誰かから連絡が入ってみると気付く事実がある。 六人もいて、誰のとこにも、家族からの連絡、というモノがない気がする。 亮の場合は特別連絡しなくても、お互いの安否はイヤでも知れるので、関係ないのだろうが。 それに、自分が知らないだけで、こちらから連絡しているのかもしれない。 「貴也からってことは……俊も?」 亮は、頷いてみせた。 工藤 貴也は、学校時代の友人だ。忍の知り合いということは、俊の知り合いでもある。 「……と、いうか」 と、ここではじめて、亮はなんとなく、らしくない表情を浮かべた。 「みんな、ですね」 「みんな?」 忍は、ベーコンを運びかけていた手を止める。 「みんなって、『第3遊撃隊』のことか?」 「特殊研修って、ご存知ですか?」 質問に答える変わりに、亮はこう尋ねた。忍は、首を横に振る。 「ですよね、僕も、すっかり失念してました」 亮がなにかを忘れる、ということ自体が珍しいうえ、一瞬浮かんだしまった、という表情など、めったに見れるものではない。思わず、浮かんできた笑みを呑み込んで質問を続ける。 「で、その特殊研修って?」 トーストをちぎって口にする前に、質問する。 「軍の試験から配属までに一ヶ月間があるんですが、その間に体験入隊出来る制度があるんです……いろいろ細かい制限もありますから、実際に運用した例は、ほとんどないんですけどね」 だいたい、どういうことかわかる。 坊ちゃん育ちで、寂しがり屋で、ワガママな貴也のことだ。その諸々の制限を突破して、軍隊経験の第一歩を忍たちと過ごすことに決めたに違いない。 「休暇中、だもんな」 「ええ」 『遊撃隊』という特殊部隊は、表向きには存在しない。だから、忍たちも通常の陸軍の一部隊に属していることになっている。 『休暇中』であるそこに、体験入隊を望まれたら、断れないのだろう。 滅多にないことだし、実戦後の処理と自身のケガもあって、亮にも盲点だったに違いない。 「期間は?」 「三日です」 「ま、その間に失言がなければ、『遊撃隊』だって知られずに済むだろ」 亮が、なにか口を開きかけたところで、扉が開く音がした。この音は、ジョーだ。 毎日一緒に生活してると、扉を開けるなどという些細な行動にも、個性があるのがわかる。 笑顔で忍が振り返る。 「おはよ」 「おはようございます」 「よう」 差し出された白いカップを手に、ジョーはソファのあるほうに行く。 腰を下ろすと、新聞を広げた。これが、彼の習慣。 忍は、あと少しとなった朝食の続きに取りかかった。 亮はジョーの朝食の準備をはじめたようだ。卵がいい音をたててフライパンに広がる。 その後姿を見ながら、考える。 軍師の権限で、貴也の特別研修を断ることも出来たはずだ。 それをしなかったのは、多分。 「なに、ニヤニヤしてるんですか?」 ジョーの朝食を並べながら、亮が怪訝そうな声を出す。 「なんでもないよ、ごちそうさま」 忍は、笑顔のまま立ちあがる。 自分の朝食にありつくべく、ジョーが立ちあがった。 他のメンツにも、べつだん異議も上がらなかったので、貴也の『特別研修』の受け入れはあっさりと決まる。 『諒承』の返事を返して三日後、満面の笑顔で貴也は姿を現した。 「わー、忍も俊も、お久しぶり~!」 「おう、久しぶり」 返事しつつ、忍と俊は思わず、こっそりと顔を見合わせる。 どうやら、貴也のマイペースな性格は相変わらずのようだ。 ひとまず、場所を居間に移す。 「よく、許してもらえたな」 軍に入ることを、だ。貴也の両親は、一人息子をそれはもう大事にしていて、猛反対だったのだ。 で、忍たちと同じ時には、軍の試験を受けていない。 忍たちにしてみれば、貴也が試験を受けなかったのは、正解だ。彼の場合、受験の理由は単純。 『みんなと違うのはイヤ』 その他、実際に起こりうる危険等は、まったく考慮外。通常の人なら『紅侵軍』戦の直後に軍の入隊試験を受けるというのは、それなりに覚悟がいるはずだ。 彼の場合、そういった範疇の外にいる。表情が、物語っている。 「うん、大変だったよう」 そう答える表情も、笑顔。貴也が笑顔のときは、自分の望みが順調に叶えられているときだけだ。 こういう時は、たいてい、周囲はろくな目に会わない。 「配属発表は、まだだよな」 俊が、あたりさわりのない話題で、話をつなぐ。 「うん、忍たちとねぇ、同じとこがいいって言ってあるんだ」 そんな希望が、軍で通るわけがないとは、考えもしないらしい。学校のクラス分けと同じだと思ってるらしい。 まぁ、陸軍所属希望くらいは通るかもしれないが、そうそう簡単に遊撃隊には所属にならないだろう。 配属発表されたときの大騒ぎが目に浮かぶ。 「あー、そうなんだ」 「あはははははははは」 思わず、二人の口からは乾いた笑いが漏れていた。 何があっても、と思う。 『遊撃隊』であることだけは、知られてはなるまい。 知ったら貴也は、機密であることなど、すぐにすっぱぬけて、自慢して歩くに違いない。 悪いヤツじゃないと思う。 ただ、年の割りに無邪気すぎるだけで。 忍は、なんとなく、何事も起こらないように祈りたい気分になった。 他のメンツに紹介されたのは、夕飯のときである。 お茶などして、適当にだべって、一日目は無事終了。 久しぶりにあったんだから、もっとおしゃべりしようよ、とのことでとっつかまった忍と俊をおいて、他は解散となる。 居間を出た麗花が、ぽつり、と言った。 「赤信号だなぁ」 「赤信号?」 須于が、首をかしげる。すぐ前にいたジョーも、振り返った。 「貴也くんね、赤信号だよ」 麗花が、繰り返す。たしかに、あの無邪気さは、なんとなく危なっかしい。 須于は、微笑んだ。 「こっちが気を付けてれば、大丈夫じゃない?」 「うん、そうなんだけどね」 ちょっと首をかしげてみせる。 それから、真面目な顔のまま、もう一度なにか言いかかったが、すぐ笑顔に変わった。 「確かにね、ドジ踏まないように、気を付けよっと」 おどけた言い方に、思わずジョーの口元までほろこんでいる。 それを機に、三人は部屋へと戻っていった。 「今は、表立っては動けませんよ」 亮が、低い声で言う。 ここは、亮の部屋だ。貴也に遊撃隊であることを知られるとやっかいなので、総司令室は完全に閉鎖してある。 別に、立ち聞きされてるとは思わないが、なんとなく声も低くなっている。 『わかってるよ、だが、他部隊では対処が難しいんだ』 特殊通信網の向こうの、総司令官である天宮健太郎の声も冴えない。 「『第2遊撃隊』は、陽動隊、ですしね」 『第1遊撃隊』は、試験部隊だったので、とうに解散している。 「……病院に行くフリして、仲文に端末借りることにでもしますよ」 『フリ、だけじゃなくて、ちゃんと検査うけろよ。サボってるだろう?』 すかさず、突っ込みが入る。 「おや、仲文が告げ口したんですか?大人気ない」 仲文とは、フルネームを安藤仲文。国立病院のドクターだ。 まだ年は若い(三十七歳の健太郎よりずっと年下の、二十七歳だ)が、リスティアのみならず、『Aqua』でも最もレベルが高いとされるリスティア国立病院内でも、トップレベルと評されている。 そして、亮の主治医でもある。 健太郎が言ってるのは、『紅侵軍』戦のとき負った傷が、本復したかの検査のことだ。 亮は、声の調子を変えずに言う。 「それにしても、一体、なにがあったんです?」 『ごまかすなよ』 言いながらも、本題をほっとく暇もない、と判断したらしい。 『……詳細は、機密にされてるから、わからないが』 通信機越しの健太郎の声が、総司令官のものとなる。 『アファルイオの一部隊が、失踪した』 「失踪?」 『そう、行方がアファルイオ中枢部にも、掴めないというのは、事実らしいな……しかも、その部隊がだな、やっかいなことに、精鋭らしいんだよ』 「精鋭部隊、ですか……?」 亮が、かすかに眉を寄せながら言う。 地方小部隊なら、小規模反乱などの可能性もある。なぜ、中枢部に属する精鋭が失踪する?理由がわからない。 『規模は、つかめないが……』 「対応できるようには、しておきますが」 『あとは、姿をあらわすなら三日後以降にしてくれと、願うばかりだな』 |