八月中は、暑い日が続く。 とてもじゃないが、襟付きのシャツでは汗が止まらないではすまないくらい、暑い。 WWCによる機械制御なのだから、もう少し過ごしやすくすることなど簡単だが、それではあまりにも人工的過ぎるからだ。 しかも、予定では今年は、残暑も厳しいことになってるらしい。 忍は、Tシャツの襟首を持って自分を仰ぎながら、目を細めて空を見上げた。 まだまだ、ギラギラと光る、という形容が合う太陽が、こちらを見つめている。 たいがいの買い物は大手のスーパーですませる。安いし、たいがいのモノがそろうから。 しかし、麗花がどこでチェックしてくるのか、食後のデザートに食べたいの!と言い出すようなシロモノは、スーパーでは手にはいらない。 洋菓子屋の本店が集まっている通りまで、繰り出すハメとなる。 『Aqua』イチの大国家の首都だからか、リスティアには有名な店の本店が多く集まっている。 それが、洋風、和風、中華風などジャンルごとに雰囲気のある小路を作っている一角があるのだ。 その狭い通りは有名どころが集まっているだけあり、夏休みのせいもあり、今日は駐車場に車がいれられなかった。 そんなわけで、少々離れたところから歩くハメになったというわけだ。 「あちーな」 言って涼しくなる訳ではないが、思わず口にする。 「そうですね」 亮も頷いてみせるが、口調は涼しげに聞こえる。あまり感情のこもった話し方をしないせいだろうが、降ろしたままの長髪も、そう暑そうに見えないのが不思議だ。 髪の量が多くないのと、色素が薄いせいかもしれない。 「えっと、今日はどこのなんだっけ?」 「マル・デ・アモレスのクレームカタランですよ」 麗花が店の場所まで書き込んだメモを渡してくれてるはずだが、それを見るまでもないらしい。舌を噛みそうな名前を、さらりと告げる。 「まるで?」 「マル・デ・アモレス、『恋煩い』のことですよ」 亮は口元にかすかに笑みを浮かべながら、言う。 「ふうん?」 「プディングの専門店で、けっこう老舗ですよ」 「よく知ってるな」 「贈答品で、ここらへんのはよく利用してるから、イヤでも覚えられますよ」 そういえば、亮の父、天宮健太郎は総司令官というだけでなく、財閥総帥でもあるのだ。 お歳暮お中元に限らず、贈答品関係は多いのかもしれない。 今日の目的の店も、場所を知っているのだろう、迷う様子もなく歩いていく。 甘いモノを男が一人で買いに行くことなど、まずないから、忍には異世界だ。 この通りの存在は知っているが、踏み込むのは数えるほどしかない。 きょろきょろと、思わず見まわしてしまう。 その様子に、亮が、何軒先の店を指して見せた。 「あそこのシュークリームとムラング・シャンティーは、味もいいしリーズナブルですよ」 「へえ」 「そこは、母の日、とか、敬老の日、とかイベントごとにそれ用のクッキーを出すので有名なとこで、アルシナドにしか店を出してないから、地方のお土産に向いてるんです」 こうして日常のコトを口にされて初めて気付くが、亮の声は高くはないが、かといって低くもない。 音量もそうないのに、聞き取りやすい音程だ。 とおりやすい声でもあるのだろう。 その声で、数人が振りかえる。 亮の方は、そういう視線を気にする様子もなく、次の店を指している。 その、指している腕がまた、えらくほっそりとしているときている。 「きっと、麗花は、遅かれ早かれあそこのマニュをチェックしてきますよ」 「マニュ?」 「いちごのババロアなんですけど、見た目がかわいいから」 忍は、通りすぎざまの女の子の二人連れの会話に気を取られて、返事を忘れた。 なぜなら、彼女らははっきりとこちらを見ながら、 「綺麗な彼女だねぇ」 「彼氏もかっこいいよぉ」 その立場の割に、亮は一般には顔を知られていない。 極力、表に出ないようにしているフシもある。忍も、軍師として目前に現れるまで、名前は知っていたが、顔は知らなかった。 ま、それはともかくとして。彼氏とは、自分のことだろう。 どうやら、デートでもしてるように見えたらしい。 かっこいいと言われるのは悪い気はしないが、綺麗な彼女、とは。 今日のいでたちは、紺色のシャツに生成りの細身のボトムだ。この襟ぐりが広めの紺のシャツが、白い肌と綺麗なコントラストで、見えている鎖骨がなんとなく、色っぽく見えないこともない。 骨格が細いせいもあるのだろう。あごの線も、華奢としか言いようがない。 夏祭りでは、実際、女形の舞姫になって、衆目を集めていた。一緒に生活してる麗花や須于たちにもわからないくらい、違和感がなかったのだ。 忍のほうはといえば、ブルーグレーのTシャツにGパン。何気ない格好だが、軍隊用の訓練のおかげか、無駄のない筋肉質、というかんじだ。 なるほど、カップルに見えないこともないのかもしれない。 そこまで考えたところで、目前をカップルがすれ違って行った。 彼女が、甘えるように彼氏の腕に自分の腕を絡めてよりかかっている。彼氏の方も、そんな彼女の肩をいとおしそうに抱き寄せている。 この暑さで、よく出来ると思うが、それ以前に、ホントに亮が彼女だったら、絶対にこんなことはしないだろう。 自意識が欠けている上に、プライドが高いときてる。 甘えるなんて、もってのほかのはずだ。 コレほど扱いにくい彼女はいまい。 そう思ったら、思わず笑ってしまう。 不思議そうにこちらを向いた亮に、忍は慌てて、なんでもない、と首を横に振った。 「ねえ、ねえ、ティーチュロス食べたいんだ」 貴也が突然なにかを思い立ったら、それを止めるのはまず無理だ。 だからこそ、忍と俊が所属する軍に『特別研修』に現れたのだから。 そこらへん、付き合いの長い俊は、諦める、ということで対処している。 「かまわないけど」 しかし、このクソ暑い時に、よく砂糖付き揚げドーナツなぞ食べる気になれるもんだ、と俊は心の中で毒づく。想像しただけで胸が悪くなってくる。 もともと、甘いモノには目がないヤツだったから、気候など関係ないのだろう、と自分を納得させる。 『遊撃隊』であることを知られにくいように、という配慮から外に付き合ったのだが、それにしても、相変わらずのマイペースに付き合っているほうはくたびれる。 しばらく、ブランクがあったとはいえ、こんなに相手にしてて疲れるタイプだったかな、と思わず自問する。 そして、思い当たる。 いつもは、忍も一緒だったのだ。 別に、特別な扱いをするワケではないが、なぜか忍は貴也を制御するコツを心得ていた。 だから、疲れもほどほどだったのだろう、きっと。 どうやら、自分にはその才能はないらしい。 貴也は、そんな俊の様子にはおかまいなく、にこにこと言う。 「ソレイユ通りにね、有名なとこがあるんだよぅ」 「げ」 今度は、まともにイヤそうな声を上げてしまう。 ソレイユ通りと言えば、女の子とカップルと観光客でいっぱいの洋菓子屋通りではないか。 人ごみ自体、好きではないのに、女の子の喧騒の中とは、また。 が、イヤそうな顔も、貴也の決心の前には、ムダ、である。 小さくため息をつきつつ、俊は仕方ないという空気を思いっきり背に背負って、貴也についていく。 言い出す前に、もう通りに向かって歩き出していたらしい。 有名な洋菓子屋通りは、もう目前だ。 もう、その雰囲気はここまで伝わって来ている。 なぜなら、周囲には、女の子とカップルの占める割合が断然、増加しているからだ。 そんな通りに、野郎二人で行ったらヘンだ、とかいう意識はないのだろうか? 普通の神経をしていたら、恥ずかしくて仕方ないと思うんだが。 現にいま、顔から火が出るほど恥ずかしい。 俊は、うつむきかげんに貴也についていき、やたらに熱心に勧められたが、暑いのと恥ずかしいのの二重苦の状態で、チュロスを食べる気になど到底なれず、やっと目的のブツを手にして満足げな貴也をつれて、いかに早く通りを脱出するか、で頭がいっぱいになっていた。 貴也が、奇妙な声を上げたのは、そろそろソレイユ通りも終わり、という場所まで来たときだ。 彼はしっかりと立ち止まり、俊の腕をひいた。 なんで、こんなとこで立ち止まるんだよ、とイラつきながら顔を上げるが、貴也はそんなことにはまったく気付かずに、俊を掴みとめた手を先にのばした。 「あれ、忍だよね」 言われて向けた視線の先には、たしかに間違いなく、忍がいた。 あのTシャツは朝あったときにきてたものだし。 俊は、忍がここにいようと別に、驚きはしない。今朝、麗花にお菓子を頼まれていたのも、知っているから。 が、貴也のほうは、不機嫌度MAXのようだ。 顔色が、変じている。 「……ヒドイ」 ぽつり、と声が漏れる。 「は?」 なにが貴也にとって酷いのかは、おおよそ予測がついたが、わざととぼける。 「ひどいよう、僕がいるのに、でかけちゃって」 「ああ、忍がでかけちゃったから、怒ってるわけ?用事のついでに、買い出しに来ただけだろ」 感情の人間相手にするなら、こういう場合、どうってことないと思い込ませる方向に持っていくに限る。 しかし、貴也の半べその声は、かえって音量が上がった。 「用事って、デートじゃないか!」 「はぁ?」 こんどこそ、俊はわざとでなく、本気で聞き返す。 でかけるとは聞いているが、デートとはきいてない。というか、『遊撃隊』に所属してる限り、外部の人間とそういう関係を築くのは無理がある。 忍の方に視線を戻すと、隣に確かに華奢な人がいる。ただし、『彼女』ではない。 「ああ、亮か」 たしかに亮は細いし、華奢だし、女の子に見えないこともないと思うが。 面識がないならそうだろうが、昨日、しっかり会っている。物覚えの悪いヤツだな、くらいのニュアンスを込めていったのだが、貴也は別の取り方をした。 「俊も、知ってて隠してたんだ?!」 「亮と出かけたのは、知らなかったぜ?」 戸惑いながら、そう答える。 「違うよ、忍の彼女!」 「………」 俊は、口があんぐり開いたまま、言葉にならない。 そう、貴也はちゃんと亮のことは覚えていた。 が、女の子、と思いこんでる。 昨日、そういう質問は出なかったところを見ると、まったく疑ってないのだろう。 たっぷり五秒は、貴也の顔を見つめたあと、吹き出した。 五秒の間は、貴也の勘違いで飛んでった俊の思考が、戻ってくるのに要した時間だったわけだが、これは、いけなかった。 ひねた思考になっている人間なら、間違いなく『バカにされた』ととれる。 そして貴也は、そうとった。 さきほどまで、怒って紅潮していた顔から、すぅと血の気が引いたかと思うと、口もきかずに方向転換、そして、そのまま走り出す。 完全に、すねたらしい。 いまはなにを言っても無駄だろう。 俊は、そう思って追いかけなかった。 かわりに、小さく肩をすくめて、ため息をつく。しょうのない子供だな、と思いながら。 貴也の姿が完全に見えなくなったあたりで、問題にされてた忍の声がした。 「あれ?俊?」 一人でこんなところにくるわけがないのは、忍がよく知っている。 「貴也と一緒?」 「だったんだけど、ね」 肩をすくめて見せる。忍が、尋ねるようにかすかに首をかしげた。 俊は、それに答える。 「すねて、どっか行っちまったよ」 その台詞で大体のところは察したのだろう、苦笑してみせる。 「ありゃ、見つかったか」 「別に忍のせいじゃねぇよ、あいつも、精神年齢幼稚園児並だけど、帰巣本能くらいはあるだろ」 つっけんどんな俊の口調に、彼の機嫌もよくないことを察した忍は、まぁまぁ、というように手を振りつつ 「戻ったら謝っとくよ」 黙って出かけたことを、だ。俊は、首を横に振った。 「違う違う、大笑いな勘違いだよ」 「勘違い、ですか?」 亮が、控えめに口を挟んだ。 「そ、お前らを付き合ってると勘違いしたんだよ」 忍と亮は、顔を見合わせた。二人ともバカではない。なんとも奇妙な表情が浮かぶ。 「ああ……」 「ま、早とちりしてるだけだけど」 「落ち着いたら、帰ってくるだろ」 しかし、このときの二人の見通しは甘かったのだ。 |