『そのうち帰ってくるだろ』 とは言ったが、厳密には、それは無理だ。 貴也には、忍らがどこに住んでいるのか、がわからないようにしているから。 出かける時にも、道順を覚えられないようなルートを通っているし、ここらへんは貴也の性格がありがたいのだが、『誰かにつれてってもらえる』と思っているので、覚える気もない。 結局、連絡があったのは、だいぶ遅くなってからだった。 しかも、亮に一人で迎えに来い、という。 本当のところが、ききたいから、と。 昼間の出来事で、貴也の性格はほぼつかめているのだろう、亮は肩を小さくすくめたのみで、 「じゃ、行ってきます」 と、立ち上がる。 「待てよ」 止めたのは、忍だ。 「おかしいよ」 「…ああ、確かに」 俊も、頷く。 「どうして?」 麗花は、首を傾げる。 「あいつが怒ったのは、勘違いとはいえ、忍が自分より彼女を優先させたことなんだよ。ってことは、呼び出すのは、絶対、忍のはずだ」 貴也の性格をいちばんよく知ってるのは、忍と俊なのだ。須于が、確認する。 「回りくどいことをするのが、考えられないってことね?」 「少なくとも、今までは一度もないね」 忍と視線のあった亮は、かすかに微笑んだ。 「トラブルを引っ張ってきやすい方なのかもしれませんけど、張 一樹の軍隊を呼んでくることはないと思いますよ」 それまで、ワガママ坊ちゃんのお守も大変ね、くらいの気分でいた四人の表情が、真顔になった。 「……アファルイオの軍が、どうかしたの?」 最初に口を開いたのは、麗花だ。かなり、驚いた表情をしている。 「行方を、くらましたそうです。昨晩、連絡は入っていたんですが、いかんせん、動き辛い状況でしたので」 「張 一樹軍っていったら、先代アファルイオ皇王の親衛隊だろ?」 俊の台詞に頷いて見せると、ジョーがぽつり、と言う。 「かなりの、精鋭だな」 「それが、リスティアに浸入してる可能性があるのね?」 「理由はわかりませんが、そのようです」 亮は、すっかり軍師な表情となって続けた。 「元親衛隊ですから、部隊規模は大きくありませんが、本体がリスティアに浸入してる可能性は、まず、ありませんね」 「一部は、浸入してる?」 「でしょうね、アファルイオから、連絡があるくらいですから」 「いったい、なにが目的で……?」 「それがわかれば、総司令部での対処のしようもありますけど」 それを聞いて、思わず微笑んでしまったのは忍だ。俊が怪訝そうな表情になる。 俊の疑問に、忍が答える。 「いや、目的も含めて、俺らに対処しろ、ってことだろ?」 ジョーの口元も、軽くゆるんでいる。 アファルイオの精鋭なら、相手に不足はないといったとこだ。 「少なくとも、調査のためというのは、外せるでしょう、精鋭にやらせる必要はないし、それが目的なら、リスティアに知らせたりはしないですから」 「調査なら、黙ってやるってワケね」 麗花が軽く肩をすくめて言うと、笑顔になる。 「そういうことです」 頷いてみせた亮は、軍師な表情を緩める。 「ひとまず、工藤さんの迎えですけど」 「援護はするよ、考え過ぎだったら、それでいいんだから」 「そうだな、あいつの扱いなら、忍がイチバンだろうし」 勘違いさせたまま走り去らせた責任を、ちょっと感じているのだろう、俊もすぐに頷く。 「私も行く!」 手を上げたのは、麗花だ。 「ついでに、おかしいのがいたら、わかるかもしれないじゃん」 「そういうことなら、私も行くわ」 須于にそう言われたら、ジョーも一人でお留守番、というわけもいかない。 結局、お迎えにしてはやけに物々しいことになった。 軍師としての頭を使う前に思ったことは。 悪いコトへのカンというのは、往々にして当たるということだ。 亮が迎えに行った先には、たしかに貴也もいたが、おまけもいた。 あちらにとっては、貴也がおまけ、のようだが。 「へぇ、ずいぶんと華奢なのが来たね」 貴也と一緒にいた人物は、口元に楽しそうな笑みを浮かべる。 口元以外からは、表情がうかがえない。 と、いうのは、長い前髪がその目を隠してしまっているからだ。 声を作っている、と思う。目も見えない。 だが、変装を装っている、とも思えない。 「だから、言ったじゃないか!」 後ろ手にされて動きを封じられている貴也が、イラついた声を上げる。 「ホンモノの総司令官の息子のわけが、ないだろ!」 なるほど、どうやら相手の用事のあるのは、『総司令官子息』であるようだ。 どこでなにをしでかしたのか、面倒なモノを引っかけてきたのは確かだ。しかし、相手は顔を知らないらしい。 そういうことならば。 亮は、怪訝そうな表情で首を傾げる。この場の状況が掴めない、といった感じで。 実際、相手の狙いが読めないうちは、動きようもない。 時間が欲しかった。 「ホンモノ……?」 「ほら!違うんだったら!!離せよ!」 貴也は、地団太踏みながら、身をよじる。なのに、まったく緩まない腕の押さえ方で、相手が訓練された人間だとわかる。 面倒くさい中でも、最上級のを引っかけてきたらしい。 相手は、貴也の声などまったく聞いてないかのように、先程と変わらない笑みを浮かべている。 「さぁ、どうだろうね……?華奢だから、本人じゃない、とは言えないと思うが?」 「どなたと、お会いになりたいんでしょう?」 亮の方も、相変わらず、怪訝そうな表情を崩さない。 相手も、表情をまったく変えない。 相手にされてないとわかった貴也は、自分のおかれてる状況を忘れたのか、爆発気味の声を上げる。 「もう!しつこいよ!!ホンモノの総司令官の息子なら、俊にそっくりのはずなんだってば!」 この場の状況からしたら、あまりにもトンチンカンな発言は、だが、効果抜群だった。 しかも、『第3遊撃隊』にとっては、悪い意味で。 本当にかすかに、だが。 誰かの気配がした。 よほど、訓練されていなければ気付かないほど、微かな気配だったが。 貴也を押え込んだままの相手の笑みが、大きくなる。 「本人じゃないのなら、どうして、プロの者が周囲にいるんだろうね?」 次の瞬間、その表情は一変する。 押え込まれた貴也の首筋には、小ぶりで独特の形をした刃物が押し付けられた。 「茶番は、終わりにしてもらおうか」 「……ひ……」 ひやりとしたモノの正体を知ったとたん、貴也の顔から、血の気が引いていく。 パニックを起こしかかっている貴也の口が、開かれる前に。 亮は、無言で両手を挙げた。 最悪の状況にならない為には、それしかなかったのだ。パニックに陥ったら、貴也がなにを口走るか知れたものではない。 相手は、刃物を下げる。 貴也は、カタカタと震えているようだが、ありがたいことに恐怖で口が聞けなくなってるらしい。 亮の顔からは、怪訝そうな表情が消え、この状況にもまったく怖じ気づいていない笑みがとってかわる。 「目的は、なんです?」 「『紅侵軍』を、実質的に叩いた小部隊がいるはずだ」 亮は、無言のまま、先を促すように見つめる。 「君をエサにして恐縮とは思うが、勝負していただきたい」 「場所は?」 「そうだね、リューブ砂漠なんて、どうだい?」 黙ったまま、亮は手を振った。 まわりの者への、立ち去れ、の合図だ。 相手は、先ほどの気配の方へ、微笑みかけた。 「十分もしたら、この坊やは開放するから、迎えに来てくれたまえよ」 それから、貴也が見たのは。 数人の背の高い男たちが現れて、抵抗する気もなさそうな亮に、目隠しをしているところ。 それから、なにをされたのか、亮の細い躰が、崩れ折れるように倒れるところ。 そして。 あとには、誰もいない。 微かにしろ、動揺して気配をさせてしまうほどだから。 それは、本当のコト。 貴也は、亮が誰なのかを、知らない。 だが、『第3遊撃隊』のメンツは。 「どういう、ことだ?」 ジョーが、煙草を取り出しつつ、言う。 最悪な展開になってしまったものは、仕方がない。あとは、最善をつくすしかないが、ひとまず、貴也が開放されるのを待たなくてはいけない。 嫌な十分間だ。 最悪の展開の一要因をつくった者に対して、確認の質問くらいは、したくなる。 俊は、視線を宙においたまま、ぽつり、と答えた。 「……まだ、かなりガキの頃に、離婚した」 しばらく、黙り込んでいるのは、言葉を捜しているからだろう。 ゆっくりと、口を開く。 「ああいうとこに嫁ぐくらいだから、いちおう、いいとこ出身なんだよ」 俊の母親が、だ。 あとは、他の四人にも理解できる。 くさってもお坊ちゃんの貴也は、たまたま、俊の母親の出身を知ったに違いない。誰に口止めされたのか、彼にしては珍しく、いままで口にすることはなかったが。 だから、貴也のなかでは、『総司令官子息』は俊にそっくり、というイメージが出来上がっていた。 たしかに、俊と亮を、一目見て兄弟だと思う人間は、まずいないだろう。 忍ですら、気付かなかった。 俊は、必要外は口にするつもりは、ないらしいが。 ただ、両親が離婚した、というだけなら。 あそこまで、動揺することはあるまい。 へたをしたら、貴也の命が危なくなるかもしれない、という状況だったのだから。 だが、今はそのことを、とやかく言っても始まらない。 気まずい沈黙が、訪れる。 「また」 須于が、言いにくそうに、口を開いた。 「軍師不在ね」 誰からともなく、顔を見合わせる。 『緋闇石』の悪夢を連想する状況であることは、皆わかっている。 須于だけではない。麗花も、なにも言わないが、不安そうな瞳をしている。 ジョーも、表情には出ていないが、せわしない煙草の吸い方をしていた。 この状況の原因は、自分だ。 俊は、すこしうつむいた。 「いや」 視線を落とすこともなく、表情を曇らせることもなく、忍が言う。 「そうじゃ、ないと思う」 「え?」 「亮は、こうなる可能性も、考えてるよ」 考えないはずが、ないと思う。 立場上、こういう類のトラブルに巻き込まれる危険性と、いつも隣り合わせのはずだ。 表立って姿を現さないのは、個人の嗜好の問題もあるだろうが、危険性の低減もあるに違いない。 それに、と、忍は思う。 研ぎ澄ましすぎなほど、神経を張り詰めているから、いつも。 時計に、目を落とす。 「そろそろ、十分だ」 |