〜静かな夏休み〜 ■candle・3■
人の手が、まったく加わっていない森だ。
ただ、年を経た大木だけが、ある。 ほとんど、薄墨色の常緑樹の森。 歩いてしばらくして気づいたことだが、ここには、木以外の生物の気配がない。鳥や獣だけではない。本当に小さな、虫さえも。 だから、音がないのだ。 自分が、少しだけある落ち葉を踏む音以外には。 陽があたらないせいか、空気はひやり、としている。 とても広そうだ、ということだけはわかる。 もちろん、まったく当てもなく、ココに踏み込んだわけではない。 静かに瞳を閉じる。 多分、亮は洞窟の中の祠にいた気配、と一緒だ。そして、その気配がココに来ることを望んだのだろう。 危害が加わった様子はないから、気配が望んでいるのは『探しモノ』だ。 自分の力では、祠から出られなかったから、亮を利用したのだろう。 亮の気配は離れてしまうとわからないけれど。 あの気配なら、見つかるはずだから。 が、感じた気配は。 「……?」 洞窟の祠にいたのとは、別の気配、だ。 入る前には、気付かなかった。 だが、いまは奥のほうで必死で呼びかけている。 どうやら、この気配が強すぎて、見つけたい方が感じられない。 「しかたないな」 つぶやくと、呼んでいる気配の方へと歩き出す。 しばらく歩くと、木が数本分だけ、ない場所に出る。 かなり強い気配だ、とは思ったが。 彼は、そこに形をとっていた。 やさしい色合いで。 まるで、祈るような姿で。 「こんにちは」 そう、声をかけると、彼は驚いたように顔を上げる。 『君は?』 「探してる人がいるんだけど、君の気配にかき消されちゃってるみたいで」 単刀直入に、用件を告げる。 『ごめん』 彼のおぼろげな表情に、悲しそうな色が浮かぶ。 『でも、僕の探している人が、ココに来てるんだ』 「その人を、呼んでいるのか?」 薄い影の彼はうなずいてみせる。 多分、亮を利用してココに来た祠の主だろう。それ以外には考えようもないから。 『だけど、気付かないみたいだ』 どうやら、祠の誰かは、少々鈍いタチらしい。 「協力してくれれば、探し出せると思うよ」 『本当に?』 「うん、少しの間、君の気配を消してくれれば」 彼は、少し、迷ったようだ。 もし、そうやって忍が自分の探し人を見つけてしまえば、自分はほっておかれるかもしれない、と思ったのかもしれない。 「君の探してる人と、俺の探してる人、一緒にいると思うんだよ」 『……そういうことなら、信じるよ』 すう、と彼の姿と気配が、消える。 もう一度、忍は瞳を閉じる。 薄暗い森の中で、風も吹かないのに空気が揺れる。 どこにいる? どこを、さまよってる? 探している人は、ココにいるよ。 「…………いた」 やがて、忍は静かに瞳を前に向ける。 そして、大きく息を吸う。 「亮!」 誰かが呼ぶ声がする? まさか、誰も呼ぶはずがない。 それよりも、ドコだろう?昨日も、あれだけ探したのに。 ずっとずっと、会いたかった。 でも、動けなかった。 ココにいると、知っていたのに。 もう、目印もなにもない。 ねぇ、どこにいるの?やっと、来ることが出来たのに。 でも、やっぱり。 誰かが呼んでる。 あの人の、声じゃない。 違う、知っている声。 ふらり、と足元がよろける。 近くの木に、寄りかかる。頭が、混乱している。 自分と、彼女が交互に思考していて、これではどうにもならない。やはり、受け入れているのにも限度がある。さっきから、ひどい疲労感だ。 しかも、確実に、自分、が思考している時間が短くなっていっている。 このままでは、自分が消える。 だけど、耳に届く声がある。 誰かが、呼んでる。 呼ぶはずの、ない声。 もしかしたら。 呼んで欲しいのかもしれない。 「……忍」 ぽつり、と呼ぶ。消えそうな、自分が。 もういちど、今度は、はっきりとした声が飛びこんでくる。 「亮!」 それから、聞き覚えのある、足音が。 消えかかった自分が戻るのが、わかる。そして、無くなりかかった躰の感覚が戻るのも。 顔を上げる。 自分の視線が、見覚えのある人を捕える。 「忍……」 驚いていた。 まさか、こんなところに。 「どうして?」 「説明はアト、ひとまず、つれていかないと」 と、よろめく亮の手を引く。 『見つかったの?』 弾んだ声で尋ねたのは、亮の中にいる彼女のほうだ。忍は、微笑みかける。 「うん、君を呼んでるよ」 手を引いて、彼と出会った場所まで戻る。 彼が息を飲むのと、彼女が亮の中から飛び出して彼に抱きつくのとが、はっきりと見える。 そして、かすかな『ありがとう』の声と共に。 二つの気配は一つに溶けて、なくなった。 「どういうコトだよ?」 説明を求めたのは、忍だ。 「崩壊戦争の、犠牲者のようですね」 彼が亡くなったことを知った彼女が、亡骸を探しにいったが、彼女もその途中で亡くなってしまった。しかも、ヘタに祭られてしまったものだから、彼を探しに行けなくなってしまい、ずっと機会を待っていた、ということらしい。 「そうじゃなくて」 忍は言う。そういうイキサツは、様子を見ていれば、ほぼ予測がつく。 「だから、なんでそれを亮が手伝うことになったのかと、聞いている」 亮は、すこし、肩をすくめる。 「……崩壊戦争がらみのと、どうも共鳴するみたいです」 ほかは、大丈夫なんですけど、と付け加える。 「もしかして、最初からわかってた?」 肝試しをする前から、の意味だ。 「なんとなく、は」 大きなため息が漏れてしまう。共鳴するとわかってて行くとは、無謀すぎる。 ため息の意味は、亮にも充分わかったのだろう。 すみませんでした、と小さく呟く。 「でもまぁ、ほぼ三百年ぶりに会えて、よかったな」 お互い、ずっとこの地で待っていたのだから。 亮の口元に、微かな笑みが浮かんでいるのを見て、こづく。 「でも、今度から、ちゃんと言えよ」 そっぽを向きながら、付け加える。 「心配、したんだからな」 「……はい」 うつむきながら、さらに小さく返事をした亮の口元には、相変わらず小さな笑みが浮かんでいたのを、忍は知らない。 森の出口が見えてくる。 忍が印をつけておいたお蔭で、迷わずにここまで来れた。 が、問題はここから、だ。 「さーてと、どうするかなぁ」 「え?」 「いや、ここまでくるのにさ、蛍光塗料使ったんだけど、もう揮発しちまってるだろうし」 亮にも、忍の言いたい意味はわかる。目印はなくなってるし、彼女がいない亮にはもう、道がわからない。ようは、どうやったらログハウスまで帰れるかが、わからないということだ。 「なんとなく、方向はわかるけどな」 言いながら、森を出る。 急に明るい陽射しをあびて、思わず目を細める。 「あー、やっと出てきたぁ」 そして、飛びこんでくる聞きなれた声。 麗花の声だ。 目が慣れてすぐ、麗花だけでなく、俊もジョーも須于もいることに気付く。 「どうしたんだ?」 思わず、訊いてしまう。 「どうしたもこうしたも」 頬を膨らませて麗花が言う。 「昨日は亮がいなくなって、今日は忍もいなくなったら、そりゃ心配するでしょ」 「お前のことだから、絶対、あっちがらみだと思ったし」 俊が、『うらめしや』のポーズをしながら言う。 「で?」 尋ねたのはジョーだ。 「うまく、収まったのか?」 「ああ」 笑顔で頷いてみせる。 いちばん不安そうだった須于も、笑顔になった。 「よかった」 「亮、ちょっと顔色悪いぞ」 俊が覗きこむ。 「車、持ってきたから大丈夫」 とは、須于の台詞。 細い道の先にとめてあるらしい。いたれりつくせり、だ。 車へと向かいながら、相変わらず怒った口調で麗花が言う。 「ちゃんと、なにかあったんだったら言ってよね」 「心配したのよ」 須于も言う。 忍は、ぽり、と頬をかく。 「申し訳ない」 くすり、と亮が笑ったのを、俊が聞きとがめる。 「なに、笑ってんだよ」 「あ、すみません、忍にも、同じことを言われたから」 「笑いゴトじゃないんだから、もう誰が欠けるのもヤだからね、私」 まだ、ぷんぷんとしながら麗花が言う。 「本当に、すみませんでした」 亮が穏やかな口調で言うと、ぺこり、と頭をさげる。 あまりにも、素直に謝られてしまうと、麗花もこれ以上、怒ってもいられない。 「ま、もとはといえば、ワタシの肝試しがいけなかったんだけどさ」 などとブツブツと言いながら、先へ行く。 須于が、ぽんぽんとなでてやると、ちょっと泣き顔でふみぃ、としがみつく。 どうやら、相当、責任を感じた上、心配していたようだ。 俊とジョーも、ほっとした表情で空を見上げている。 忍は、ちら、と亮に視線をやる。 目があうと、亮は。 くすぐったそうに、少し、笑った。 〜fin〜 [ Back | Index | Next ] □ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □ |