『 買い物絵日記 1 』 いくらか不機嫌そうに眉を寄せたのは、ジョーだ。 「どうかしたか?」 忍が、カートに買い物カゴを乗せながら、軽く首を傾げる。 「駐車場から、ずっとついて来てるヤツがいる」 ぼそり、と答えたのに、微苦笑を浮かべる。 「ああ、アレね」 相手は気配を消しているわけではないから、忍もとうに気付いている。 「まぁ、ほっとけばいいんじゃないかな」 言いながら、すたすたとスーパーの中へと入っていく。あまり気分がいいとは言えないが、気配がわかりまくっているのなら、どうとでもなることも確かだ。というわけで、ジョーも大人しく後に続く。 その気配が、二人に近付いてきたのは、それからまもなくのことだ。 スーパーには間違いなく不釣合いな茶髪に、奇妙なくらいに人の良い笑顔に、なぜか自信ありげな表情に、黒スーツに、えらく磨き上げられた靴。 見ていたのを気付かれていたことなど、露もわかっていないにこやかな笑顔で問いかける。 「ね、君たちって、どこの所属?」 「陸軍だが?」 それじゃなくても、後をつけられ続けていらついているジョーが、速攻で返す。 相手は、明らかに凍りつく。 一瞬、奇妙な表情を浮かべた忍は、次の瞬間に微妙に肩を震わせながら、慌てたように背を向ける。 えらく早足で男から遠ざかっていくのに、ジョーも一緒に歩み去る。 当然というべきかどうか、謎の男はもうついては来ない。 完全に見えなくなった、とわかったところで、忍は耐え切れなくなったように吹き出す。 「……なんだ、なにかヘンなコトを言ったか?」 笑ってる理由が、どうも男の態度ではなく、ジョーの返答にあるらしいことは、さすがに察しがつく。 「いや、ゴメン、正しいんだけど、なんつーか」 間違いなく、えらくツボにはまっている。こういう場で、忍が目尻に涙を浮かべるほどに笑うなど、まずあり得ない。 「どうも俺は人とはズレている時があるらしい、どういうことか説明してくれ」 微妙に悔しいのだが、そう言うしかない。海真和尚に育てられた、という経緯からか、実際、人との感覚のズレは往々にして感じることなのだ。 視線が真剣なので、笑いすぎは可哀想だと思ったのだろう。忍は、かなり努力して笑いを収める。 まだ、口元に微妙に笑いを残したまま、やっとまともに答えてくれる。 「いまのアレ、『どこのモデル事務所に所属してるのか』って意味だったんだよ」 「…………は?」 ジョーの口からは、それしか単語が出てこない。 モデル事務所って、なんですか?状態と言った方がいいかもしれない。 忍の顔の笑みは、苦笑へと取って代わる。 「いつもなら、『モデルやってみない?』だけど、ジョーと一緒だから、もうモデルなんだと思われたんだなぁ」 「……あーと、いまのヤツは、忍と俺がモデルだと思っていた、と?」 「みたいだな」 ごくあっさりと、忍に頷かれる。 「なんでだ?」 「なんでって……そりゃ、タッパあって、バランス良くて、髪と眼がキレイな色だからじゃねぇの?」 さらり、と言われてしまう。 いつまで硬直していても買い物が進まない、と忍は割り切ったのだろう、歩き出しながら、また笑い始める。 「にしても、最高だったよな、相手の顔。今度から俺も使わせてもらおうっと」 「待て、俺がモデルに見えたのか?」 再度尋ねられて、忍は振り返りながら首を傾げる。 「よく、声かけられるだろ?」 「いや?」 多分、一人でいる時には目つきが鋭すぎて声をかけるにかけられないのに違いない。 もしくは、そうと気付かずにばっさりと断っているか。 「ふぅん?なら、貴重な体験だったわけだ」 「忍は、ああいうのはしょっちゅうなのか?」 一目見て、どういう人種かわかっていた。 「たまにね」 言いながら、亮から渡された買い物メモに視線を落としている。 ジョーは、軽く首を傾げる。 そして、改めて忍を見てみる。 ほとんど自分と変わらないタッパと、リスティア系にしては明らかに長い足と、なによりも眼を引くのは、吸い込まれそうに深い空の色をした瞳だろう。 その上、自分のように目つきが悪いわけでもない。 たまには、ではないのだと思われる。 現に先程、『よく』声をかけられるだろ、と訊いたではないか。 スクールでも皆から頼りにされた、と言っていたが、本当に誰もが惹かれる人間なのだな、と改めて思う。 などと、ジョーが考えに沈んでいたところで、忍が声をかけてくる。 「な、今日の夕飯なんだけど」 「ん?」 急に話題を夕飯に引き戻されて戸惑うが、本当の目的はそちらだ。 「ああ、なんだ?」 思考を戻して、問い直す。 「亮のメモによるとだな、メニュー選択権があるらしい」 「中華じゃなかったか?」 「イロイロあるだろ、中華にも。で、先ずは麻婆豆腐かエビチリか」 どうやら、メニューによって買い物の内容が変わる、ということらしい。 「…………」 小難しい表情のまま、ジョーは黙り込む。 真剣に、迷ったのだ。 ややしばらくしてから、困惑顔のまま、首を傾げる。 「忍は、どっちなんだ?」 「いや、実は俺も、どっちも捨てがたくてさ」 苦笑を浮かべる。 「さてと、どうするかなぁ」 軽く、首を傾げる。二人の好きな方、を選ぶには、随分と時間がかかりそうだ。 と、思ったところで、携帯に着信が入る。 手にした忍は、あ、と声を上げる。 「亮からだ」 「追加か?」 ジョーも、反対側からメールを覗き込む。 そして、二人して、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。 そこには、一言。 『麻婆豆腐とエビチリ、両方でもいいですよ』 「なんだ、じゃ、そうしよう」 「良かったな」 と、忍が真顔に戻る。 「……ジョー、もうヒトツ問題が」 「え?」 「エビチリ、芝エビか車エビか?」 尋ねた忍もかなり真面目な顔つきだが、ジョーも真剣な顔つきだ。 背後から、声をかけようと近付いてきたお嬢様方二人が、カッコいいと思った二人の会話がエビと知って、微妙に引いていったことには、二人とも気付いてはいない。 なんといっても、エビチリの中身が大事なので。 なにはともあれ、本日の買い物は時間がかかりそうである。 2003.10.20 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Shopping Diary I〜 |