『 買い物絵日記 2 』 だまされたと思って、二週間俺の言うことを聞いてみろ。 それが、青果部門配属が決まったばかりの日に、いかにも不満そうな顔つきで挨拶をした彼に、先輩が言った言葉だ。 大人しく従っておけば、自分の頭を使う必要はないわけで、彼はその通りにした。 で、二週間経とうとした、ちょうど、その日。 彼女たちは、現れたのだ。 今では、心でひっそり女神サマと奉っている、絶世の美女二人。 一人は、スタイル抜群で軽くパーマをかけた肩ほどまでの髪が、とてもキレイな黒なのが印象的。 もう一人は、触れただけで壊れてしまいそうなほどに繊細な造りで、色も薄いが、まさに天から降りたのではと思わせるような姿。 いつも、二人ともボーイッシュな格好ばかりなのだが、そんな格好もステキに似合う、と彼は思う。 当然、店員が客をナンパするなどもってのほかで、いつも遠目から眺めるだけなのだが、彼は充分に満足だ。 なぜならば。 彼女たちは、自分が工夫を凝らしたディスプレイをちゃんと理解してくれ、オススメの野菜を正当に評価してくれるのだから。 どっかのおばはんのように、安けりゃいいのではない。ただ、でかいのがいいとばかりに握っていくのでもない。 しっかりと吟味し、もしも手落ちがあればしっかりとチェックしている。 手抜きは、絶対に出来ない厳しい相手だが、それがこれだけの美人となれば、返って張り切りがいがあるというモノだ。 最も、最初の評価は、いくらか赤面モノではあったのだが。 ただただ、面倒くさいから、だけで教えられた通りのディスプレイをこなし、そっと客の様子をうかがっていたところで、彼女たちが現れた。 「あら、今年も新人さんにバトンタッチしたみたいね」 一目見て、黒髪の方が言う。 その洞察力に眼を丸くしていると、もう一人の線の細い方も、くすり、と笑う。 「そのようですね、先輩の言葉を素直に聞くという態度は褒められるべきでしょうが、先輩も一筋縄ではいかないようですよ」 「全部を教え込んだのでは、新人教育にならないからじゃないかしら?」 「今年の新人は、いい先輩を持ったと感謝すべきでしょう」 それから、きゅうりを手にとって吟味しつつ、付け加えたのだ。 「もう一工夫、いつ気付くか楽しみですね」 どうやら、自分は先輩が確立したディスプレイの、完成ちょっと手前、を教えられたらしい。 それを確認してみたら、先輩はにやり、と笑った。 「へぇ、ってことは、ご神託に会ったのかな?」 どうやら、先輩も見る目の確かな美女二人に注目していたらしい。 眼の保養プラス仕事が出来るようになるのだから、いいことづくし、というわけだ。 頷いてみせると、先輩は笑みを大きくする。 「俺があそこまでやるのに、一年かかったからね、最後に気付くのにも三ヶ月。九ヶ月もパスしたんだから、がんばれよ」 ぽん、と肩を叩かれる。 今期入社最高と謳われて入社した自分だ。 負けてなるものか、と、俄然頑張りはじめた。 先輩の一工夫は、最初の一ヶ月でクリアした。その後は、更に、より良い売り場作りへの挑戦だ。 自分で考えるようになってみると、こうして現場で経験をつむ、ということが面白くなってくる。 どんなお客にだってわかりやすくなければ、真の売り上げ向上にはつながらない。 今の目標は、安けりゃいいのおばはんでも、思わず手を伸ばしてしまうイイ野菜のディスプレイ、である。 随分と良くはなってきているが、まだまだ完璧とは言い難い。 今週も、ちょっと改良を加えてみたので、女神サマ降臨は待ってました、というところ。 さっそく、付かず離れずの距離で、彼女たちの反応をうかがう。 「あら、今週の特別特集はトマトなのね」 黒髪の方が、ディスプレイを見ながら、首を傾げる。 「へぇ、こんな料理もあるのね」 トマトそれぞれの味の特徴と、その特徴を生かしたレシピが、お日様をいっぱいにうけてきたのだろうトマトたちの前に並んでいる。 簡単なものはフルカラーでトマトの前に、詳細なものは手ごろな大きさにして、持って帰れるようにしてある。それを、手にしてくれているようだ。 先ずは、手ごたえ上々、といったところだろうか。 細い方も、興味を惹かれたらしく、黒髪の手元を覗き込む。 「同じ料理でも、味の好みで材料を変えられるようにしてあるんですね」 そうそう、そこがイチバンの工夫どころなんだよ!と、彼は思わず握り拳だ。 「今日は昨日よりもけっこう気温も上がってるし、トマト使ったサラダパスタとか、どうかしら?」 オススメを女神サマに使ってもらえるなら、ひとまず本日大満足、というところ。 彼は、ぐぐっと握った拳に力を入れて、成り行きを見守る。 「そうですね、種類違いのトマトを入れたりしたら、面白いかもしれませんね」 さすが、そういう使い方をして欲しくて!と、思わず口元に笑みが浮かびかかって、慌てて引き締める。 黒髪の方が、いくらか楽しそうに笑う。 「それやっても、俊は気付かなさそうだけど」 「忍とジョーは気付きますよ、麗花も味には敏感ですし」 どうやら、女神サマの身近には男性がいらっしゃるようなのである。この事実は、いつも彼をいくらか寂しい気分にさせるのだが、こうして二人を拝めるだけで良しとせねばなるまい。 なんといっても、二人はトマトを、買い物カゴへと入れてくれている。 と、急に、細い方が、いくらか真面目な顔つきになる。 「ここ最近、生産者表示はすっかり当然になりましたね」 「そうね、責任の所在がはっきりしているから、味も品質も大丈夫っていう安心感があるものね」 薄い笑みが、細い方の口元に浮かぶ。 「もう一工夫、出来ると思いませんか?例えば、糖度計を用意するとか」 「そうね、それは真面目に検討する余地があると思うわ、消費者が自分でモノを比べられるんだもの」 糖度計! 思わず彼は、手を打ちそうになって、自分を抑える。 自分で比べられれば、また、売り上げも変わってくるに違いない。ただ、ここでそういう展開が出来るのか、コストが見合うのか、充分な検討が必要だろうが。 ともかく、実際に自分の眼で確認できるのは、消費者にとって、確かに大事なことに違いない。 今日のところは、女神サマ方はオススメのトマトお買い上げだ。次も選んでもらえるよう、絶対に工夫してのけてみせる。 彼は、やる気満々で、奥へと戻っていく。 数週間後。 奥様向け情報番組で美味しそうなレシピが出るから、と、珍しくテレビを見ていた須于が、いくらか凍りついた表情で振り返る。 「ねぇ、亮……」 「はい?」 「いつも行ってるスーパーね、トマトの糖度が自分で計れるようになったみたいなの……面白い試みとかって、紹介されてる……」 皆がそろそろお茶に集まってくる頃だろうと、準備をし始めていた亮の手が、珍しく止まる。 「本当に、やってしまったんですか?」 「そう、みたい」 気まずそうな表情が、どちらの顔にも浮かぶ。 二人で買い物に行った時には、いつも、そっと店員が様子をうかがっていることは知っていた。ここを工夫すれば、などと口にしたことが、いくつか反映されてきたことも、わかっている。 が、まさか、近付いてきたナンパヤロウ共撃退の為のマニアな会話を、本気で受け取られるとは。 しかも、現実、コストと見合うようにしてしまうとは。 「なんか、商人魂を見た気分だわ」 「ええ、敬意を表しますが」 どちらからともなく、乾いた笑いが漏れてくる。 お互い口にはしなかったが、あのスーパーの青果売り場では下手なことは、口にしない方が良さそうだ、と固く思いつつ。 数年後、彼が売り場改革の神様と呼ばれるようになったりすることは、亮たちも知らない。 2003.10.21 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Shopping Diary II〜 |