旅人が歩いている。
その左手に下げているモノを見て、少女が首を傾げる。
「そのカゴの中には、なにが入るの?」
「コレのことかな?」
旅人は、やわらかに微笑む。
「うん」
少女は頷く。
形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。
旅人は、静かに目線を少女と同じ高さになるまでしゃがむ。
「君の望むモノを、なんでも」
にこり、と微笑む。
「私の……?」
「焦がれても手が届かない、そういうモノがあるのならば」
少女は首を傾げる。
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、君にそういうモノがあるのかい?」
それまでのあどけない表情が、微かに凍る。
「本当に、なんでも?」
「そう、それが僕の仕事だから」
少女は、口をつぐむ。
少し、大きく息を吸う。
「おばあさまの、命を捕えて」
旅人は、穏やかな笑みを浮かべたまま、少女をみつめる。
「お母さまを、毎日、いじめるの……役立たずっていじめるの、あんなに一生懸命なのに」
唇を軽く噛む様は、子供ではない。
「このままじゃ、お母さま、病気になって死んでしまうわ」
まっすぐに、旅人を見つめる。視線を反らそうともせずに。
旅人の笑みが、少し、大きくなる。
「では、カゴに君のおばあさまの命を」
言ったなり、ごう、と風が吹く。
少女は、たまらず瞳を閉じる。
風がおさまり、恐る恐る瞼をあける。
変わらず微笑む旅人がいる。
「ほら、捕えたよ」
とたんに聞こえる、不快な高音域の獣の声。
旅人が左手に下げているカゴの中に、いつの間にか黒い鳥がいる。
紅い光を宿した眼で周囲を睨み、その鋭い鍵爪が床を掻く。
悪魔の使いが鳥ならば、こんな姿になるのかもしれない。
ぞくり、として少女は後ずさる。
「大丈夫だよ、カゴからは出られないから」
「これが……?」
「そう、ご依頼のおばあさまの命」
少女は、問うような視線を旅人へと向ける。
「家に、帰ってごらん」
こくり、と素直に頷くと、少女は一本道を走り出す。
途中まで行ったところで、思い出して振り返る。
旅人は、まだカゴを手にしたまま立っている。
黒い鳥も、カゴの中にいる。
「ありがとう!」
大きく手を振って、また、走り出す。
今度は、もう、振り返らなかった。
旅人は、ゆっくりとカゴの中へと手を入れる。
黒い鳥は、大きく鳴いた。
いや、叫んだ、と言ったほうがいいかもしれない。
旅人の口元に、先ほどまでとは似ても似つかない笑みが浮かぶ。
それは、酷薄、という表現が最も似合う。
「ああ、ウルサイ鳥だね」
鍵爪でひっかかれても、彼は気にする様子はなく、黒い鳥を掴む。
「あの子が、思いつめるわけだよ」
言ったなり、その手の力を強める。
高く、黒い鳥の声が響き。
そして、四散して、霧散する。
跡形すら、残らない。
右手を軽く振り、それから、歩き出す。
しばらく、歩いた頃に。
ふわり、と肩に空に溶けそうなくらいに青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
旅人は、にこり、と笑む。
「お疲れサマ」
右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。
やわらかな光のような、手の平の上のそれを青い鳥はついばむ。
「ああ、美味しい……これはあの子がおばあさまを思う気持ちだね?」
「嫌なモノを捕えた報酬としては、悪くないだろう?」
鳥は、それには応えずに、少し爪に力をこめる。
「また、なにも言わずに報酬をもらったね?」
「仕事なのだから報酬は当然だよ、イチバン綺麗なモノをヒトツいただく、それが僕の報酬だ」
「それは認めているだろう、私の力の源がなくては困る……でも、なにも言わないのはどうか」
くすり、と旅人は笑う。
「あの子は忘れていたし、憶えていたとしても忘れてしまうんだから一緒だろう?」
「まぁ、美味しければ、どちらでもよいけれど」
「ほら、な」
鳥は翼を大きく広げる。
「こんどは、美味しいモノを捕えたいものだよ」
空に舞い上がった鳥を見上げ、旅人は肩をすくめてみせる。
「さぁてね、依頼人は選べない」
「次は、どんな依頼人がくるやら」
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。
2002.05.22 A stranger with a cage 〜Black hooked claws〜