風を感じて、彼女は顔を上げる。
通り過ぎたのは、一人の旅人。
その左手に下げているモノを見て、彼女は首を傾げる。
「あの……」
声をかけると、緩やかな動きで旅人は振り返る。
「なんでしょう?」
やわらかな笑顔に、勇気付けられたかのように彼女は問う。
「そのカゴの中には、なにが入るのですか?」
形は鳥かごそっくりだが、その柵の間隔がひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げることが出来るであろうくらいに。
旅人は、少し引き返して彼女の真正面に立ち、視線の高さを彼女にそろえる。
「あなたの望むモノを、なんでも」
彼女は、少しとまどった声で問い返す。
「私の望むモノ……ですか?」
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、あなたにそういうモノがありますか?」
どこか、おっとりとした顔つきだった、彼女の口元が引き結ばれる。
「本当に、なんでも、ですのね?」
「そう、それが僕の仕事だから」
彼女は、視線を旅人が通りかかる前にしていたように、下へと落とす。
「カゴの中に入ったモノは、いただけるのでしょうか?」
「あなたが、そう望むのならば」
凛とした仕草で、彼女は顔を上げる。
まっすぐに、旅人を見つめる。
彼女は、軽く息を吸った。
「あの人の、想いを下さい」
旅人は、穏やかな笑みを浮かべて彼女をみつめ返している。
「あの女に夢中で、見向きもしないあの人の想いを、私に下さい」
旅人の笑みが、少し、大きくなる。
「では、カゴにあなたの愛しい人の想いを」
言ったなり、ごう、と風が吹く。
彼女は、慄いて身を硬くした。
風はすぐにおさまり、彼女はそっと視線を旅人へと向ける。
「ほら、捕らえましたよ」
言葉と共に差し出されたカゴの中を見て、彼女は目を見開く。
「これが……?」
「そう、ご依頼の愛しい人の想いですよ」
血のように紅い炎が、カゴの中で揺らめいている。
まるで、全てを燃やし尽くすかのごとくの、紅。
鮮血の色、という表現が、ぴたり、と合う。
目前で見つめているのに、不思議と熱は感じない。
「では、お約束どおり、あなたに差し上げましょう」
旅人は、炎から視線を外せぬ彼女に、穏やかに告げる。
そして、カゴの中へと、ゆっくりと手を差し入れる。
彼女の見ている前で、旅人は炎を掴む。
まるで、やわらかな綿でも掴み取るかのように。
そして、手を引き抜き、彼女の前へと差し出す。
彼女は、思わず数歩、後ずさる。
旅人が差し出した炎は、姿のとおり熱を持っていたのだ。
側にいるだけで、熱い。
が、旅人は相変わらず穏やかな表情で、深紅の炎を差し出している。
「愛しい人の想いを飲み下すことができれば、想いは、あなたのモノです」
彼女は、炎を覗き込む。
照らされて、顔が、火照るように熱い。
間違いなく、差し出されているのは炎だ。
だが、この想いを飲み下すことが出来れば、燃えるような深紅の想いは自分のモノになる。
「いただきますわ」
彼女は、両手を差し出す。
旅人は、包み込むような形をしている彼女の手に、炎を移しいれる。
焦げ臭い、匂いが広がる。
炎を受けた彼女の手が、焼けていく匂いだ。
だが、彼女は声を上げることなく、炎を自分の唇へと持っていく。
無理矢理に、彼女はそれを、押し込める。
唇も、その周囲も。
ただれていることに、彼女は気付いてはいないのだろう。
必死の表情で、彼女は口を押さえる。
それから、胸を。
そして、口元に、笑みが浮かぶ。
熱いそれが、自分の腹へと移っていくのを感じたのだ。
勝利を確信する、笑み。
が、次の瞬間。
彼女の瞳は、大きく見開かれる。
声にならぬ声が、彼女の口から溢れ出す。
それから、炎が。
そして、彼女は見る間に炎へと包み込まれ。
さ、と風が吹く。
さらさらと、灰が流れていく。
旅人の前には、もう、誰もいない。
歩き出した旅人の肩に、ふわり、と空に熔けそうなくらい青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
旅人は、にこり、と笑む。
「お疲れサマ」
「恋は盲目とは、よく言ったものだね」
鳥は、可笑しそうな口調で言う。
「炎を己が食えると思うとは」
「食べられるよ、それだけの想いならね」
旅人は、さらりと言う。
軽く爪に力をいれて、鳥は言う。
「知っていて、依頼を引き受けただろう」
「さぁてね、依頼人の力量を量るのは、僕の仕事じゃないから」
右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。
「当人が消えても、想いは残るというわけか」
笑みが、少し大きくなる。
「イチバン綺麗なものをヒトツいただく、それが僕の報酬だからね」
差し出されたそれを、鳥はついばむ。
「彼女の想いだね」
「美味しいだろう?」
「ああ、とても……だが、そうだとすると」
くすり、と旅人は笑う。
「そうだね、彼女が飲み下させたのだとしても、愛しい人の片想いだったね」
「まぁ、愛しい人とやらも、もう誰も想うことはないだろうが」
鳥は翼を大きく広げる。
「想いは彼女と消えてしまったしな」
「彼女も満足でしょう、あの女、のことも想わないのだから」
「次は、どんな依頼人がくるやら」
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。
2002.07.25 A stranger with a cage 〜Crimson eidolon flame〜