橙の灯りをともした角灯を手に屋根裏の窓を開けた彼女は、息を呑んだ。
屋根の上には、旅人が一人。
白く冴え冴えと光る月を、見上げている。
窓が開いた気配に気付いたのだろう、旅人はこちらを見て、やわらかな笑みを浮かべる。
「こんばんは」
姿格好から、捕り手ではないと、わかる。
それで、年を経た彼女は悟る。
先ほどまでの、悲壮さしかなかった顔に、笑みが浮かぶ。
「私の願いを……叶えに来ておくれだね?」
「さて、どうでしょうか?このカゴに捕らえられるモノでしたら、いかようにも」
と、左手を置いたカゴを指す。
形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。
彼女は、静かに尋ねる。
「その中には、何が入るんだい?」
「あなたの望むモノを、なんでも」
少しだけ、目を細めて彼女は問いを重ねる。
「私の望むものを、だね?」
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、あなたにそういうモノがあるでしょうか?」
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
「本当に、なんでもだね?」
「それが、私の仕事ですから」
彼女は一呼吸置いて、もうヒトツ、尋ねる。
「カゴの中に入ったモノを、もらうことは出来るのかい?」
「差し上げられますよ、どなたにでもね」
知らず、彼女の笑みは大きくなる。
確信を、強めて。
「やはり、お前さまは私の願いを叶えに来ておくれのようだ」
ひとつ、頷いてから。
ふ、と不安がよぎる。
「お前さまへの、お礼はどうしたら良いのかねぇ」
困惑しきった表情が浮かぶ。
旅人の笑みが、こころなしか大きくなる。
「先ずは、ご依頼を伺いましょうか?」
「この年寄りの命を、あそこで寝てる男に上げて欲しいんだよ」
一息に、彼女は告げる。
旅人がなにも答えぬとみて、張り裂けそうな声で続ける。
「確かにあの子は、この国中を上げて追っている強盗だよ、何人もの人を殺してもいる……だけど、だけど、私の息子なんだ、生きて欲しいんだよ」
幼い頃、乱暴者の夫に連れ去られていった息子。
再び会った時には、すでに手は血塗られていた。
ともかくも生きていて欲しい一心で、母の身でありながら、居場所を密告したこともある。
しかし、男は捕らえられることなく、罪を重ねて。
仲間の一人に裏切られ、こうして虫の息で、たったヒトツのあてである母の元へと倒れこんだ。
男を見殺しにすることは、彼女には出来ない。
どんなに罪深かろうと、生きていて欲しい。
人の手に為せることは全てしたから、だから、あとは神に祈るだけと、窓を開けたのだ。
そして、そこには旅人がいた。
「お前さまは、なんでも、とお言いだったね?」
食い入るように見つめる彼女に、旅人は静かに告げる。
「報酬は、あなたの持つイチバン綺麗なモノをヒトツ」
「この年寄りの……なにか、あるかい?」
旅人は、静かに微笑む。
「あなたのその、息子さんを想う愛情を」
虚をつかれたように、彼女は息を呑む。
それから、ゆっくりと微笑んだ。
「ああ、こんな愚かな想いでいいのならば……いくらでも持っていっておくれ」
旅人の笑みが、少し、大きくなる。
「では、カゴにあなたの命を」
言ったなり、ごう、と風が吹く。
たまらず彼女は、瞳を固く閉ざす。
おぼろげな感覚で、風が収まるのを感じて、恐る恐る旅人の方へと視線を戻す。
変わらずに微笑む旅人がいる。
が、それが彼女の瞳に映っているのかは、定かではない。
「ほら、捕らえましたよ」
ただ、彼女はカゴの中の光に微笑みかけている。
掠れた声が、嬉しげに言う。
「……これが」
「そうです、ご依頼のあなたの命」
穏やかな、まるで彼女が手にしていた角灯のように暖かな橙の光。
「ああ、あの子に……」
その言葉は、最後までつづれれることなく、途切れる。
「では、約束どおり、男にあげましょう」
旅人は、ゆっくりとカゴの中へ手を差し入れる。
まるで柔らかな綿でも掴むように、光の塊を手にして。
そして、手を引き抜き、男の方へと差し出す。
光ははじけるように、男の中へと消える。
それを合図にしたかのように、血まみれで虫の息だった男が、目を開ける。
まるで、眠りから覚めたかのように辺りを見回し、それから、ふん、と鼻を鳴らす。
「ほらみろ、このくらいで俺が死ぬわけないんだ」
それから、窓辺で外を眺めたままの、自分の母親へと怒鳴る。
「おいババァ、食いモノねぇのか?腹減ってしょうがねぇ」
彼女から、返事は返らない。
「ババァ、返事くらい……」
力任せに肩を引いて、ぎくり、とする。
まるで、枯れ枝が折れるかのように、彼女は、ぱたり、と床に倒れたのだ。
男は、一瞬息を呑み、それから、舌打ちする。
「くっそ、死んでやがる」
床に倒れた彼女はそのままに、男はつつましやかな台所へと行き、詰め込めるだけの食料を詰め込む。
そして、扉を開いて出て行く。
まったく、振り返りもせずに。
男の足音が、完全に消えた頃に。
ふわり、と肩に空に溶けそうなくらいに青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
旅人は、にこり、と笑む。
「お疲れサマ」
右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。
やさしい光を帯びた、手の平の上のそれを青い鳥はついばむ。
「わざわざ、屋根裏まで出向いて望みを叶えるとはね」
くすり、と旅人は笑う。
「おや、ごちそうだと思ったのだけど」
「文句を言っているわけではない」
鳥は、少し爪に力を入れる。
「だが、お尋ね者を助けたね?」
「それが、彼女の依頼だったからね」
心なしか、鳥は目を細める。
「ほう、らしからぬ、としか思えぬが」
「さて、どうだろうね」
鳥は翼を大きく広げる。
「我関せず、というわけか」
空に舞い上がった鳥を見上げ、旅人は肩をすくめてみせる。
「次は、どんな依頼人がくるやら」
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。
2003.02.16 A stranger with a cage 〜A luteofulvous square lamp〜