視線が合っただけでも、びくり、とする。
だから、誰もが視線を落として歩く。
その中で、青年は吸い寄せられたように目を離せないでいた。
近付いてくるのは、異国の旅人だ。
正確には、彼の左手に手にしているモノから、目が離せない。
目前まで来た瞬間に、青年は問う。
「ぶしつけで申し訳ないが、そのカゴの中には何が入るのだろうか?」
「コレのことですか?」
旅人は、やわらかに微笑む。
「そう、そのカゴだ」
青年は、頷き返す。
形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。
旅人は、ますぐに青年を見つめ返す。
「あなたの望むモノを、なんでも」
それを聞いた青年は、ふ、と微笑む。
明るいものではなく、どこかに寂しさを含んだ方の。
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、あなたにそういうモノがありますか?」
寂しげな笑みは、ふと、凍りついたように固まり、そして消える。
「本当に、僕の望むモノを、なんでも、と言うのか?」
「それが私の仕事ですから」
先ほどまでの、どこかすがるような弱さは消え、青年の視線に強さが宿る。
「そこに捕らえられたモノは、どうなる?」
「消し去るも、あなたに差し上げるも、どなたか別の方に届けるも、あなたの望みのままに」
青年は、射抜くような視線を旅人に向けながら、問う。
「なにを、引き換えに?」
「あなたの持つ、イチバン綺麗なモノをヒトツ」
旅人は、青年の視線の強さにも、表情を変えることなく穏やかに返す。
まるで打ち込まれた剣を返すかのように、鋭く青年は問い返す。
「僕の持つ、イチバン綺麗なモノはなんだ?」
ふ、と旅人は口をつぐむ。
青年は、ますます鋭い目線となり、問いを重ねる。
「なんだ、と聞いている」
穏やかで、静かな性格でありながら、望んだことの大概は叶えられる、と知っている目線。
それは、特定の身分でなければ、持ち得ない。
旅人は、ゆっくりと口を開く。
「父を案じ、国を案ずるあなたの心」
「……そうか」
また、青年の顔にはカゴの中に何が入るのかを問うた時と同じ、寂しさを含んだ笑みが浮かぶ。
瞼を、一度、落としてから。
もう一度、青年は、まっすぐに旅人を見る。
「そのカゴに、捕らえて欲しいモノがある」
旅人は、穏やかな笑みを口元に浮かべる。
「なんでしょう?」
「父の……この国の王の正気を」
きっかけは、ほんの些細なこと。
だが、人並みならぬ賢さと言われた男は、狂気に囚われた愚者と成り果てた。
悲劇であるのは、それが国の王であったことだ。
王の一言で、罪無き人の命が奪われていく。
守られるはずの民が、踏みにじられていく。
あってはならぬ、乱れ。
王自らが集めたはずの賢臣たちの言葉さえ、いまは届かない。
人々は、ただ怯え、かつての賢さを取り戻すことを神に祈るばかり。
人が止めるならば、その手段は剣か毒となろう。
「捕らえた正気を、王へと返して欲しい」
青年は、静かだが強い口調で続ける。
「時を指定することも、出来るはずだな」
目前にいるのが、異質の者であると断じている言葉。
旅人は、ゆるやかに頷いてみせる。
「あまり、時をおかぬのならば」
「すぐのことだ……僕が城へと帰り、少しの間があればいい」
青年と旅人の視線が、ますぐにぶつかる。
旅人は、す、と頭を下げる。
「承知しました」
「恩にきる」
ふ、と旅人の顔に笑みが浮かぶ。
「私はただ、報酬をいただき、あなたの依頼を果たすだけです」
「それでもだ、僕は感謝する」
それだけを言い捨てるように残し、青年は背を向ける。
青年が告げたとおりに、しばしの間をおいた後。
旅人は、静かに告げる。
「では、カゴに王の正気を」
言ったなり、ごう、と風が吹く。
誰もが思わず瞼を閉ざす、その風の中で、旅人は表情を変えることなく立っている。
風が収まり、あたりが静寂を取り戻すと。
カゴの中には、暖かだが力強い光。
旅人は、ゆっくりとカゴの中へ手を差し入れる。
まるで柔らかな綿でも掴むように、光の塊を手にして。
そして、手を引き抜き、緩やかにその指を放していく。
「約束どおり、王の元へと送ろう」
光は粒子のように細かくなりながら、さらさらと天へと舞い上がり。
線を描いて、一直線に城へと向かっていく。
光が全て、城へと消えていってから。
歩き出した旅人の肩に、ふわり、と空に溶けそうなくらい青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
旅人は、にこり、と微笑む。
「お疲れサマ」
「あの青年の、気配がないが」
鳥の声が、聞こえているのかいないのか。
右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。
「命果てても、思いは残る、か」
差し出されたそれを、鳥はついばむ。
無言のままの旅人の顔を、鳥は覗き込む。
「大丈夫か?」
「なにがだ?」
穏やかな表情で、旅人は鳥を見つめ返す。
「あの青年は……父王の正気を取り戻すのと引き換えに」
「次は己が災いになると悟り、命を絶った……死をもって、父王を諫めたと言われるだろうよ」
ただ、事実を告げるだけの声でしかない。
「王位継承者を失って、この国は安泰なのか」
「正気であれば、賢き王だ」
凍りついたように、感情がない。
鳥は翼を大きく広げる。
次は、どんな依頼人がくるやら。
いつも口にする言葉は、嘴の奥に畳み込んで。
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。
2003.05.25 A stranger with a cage 〜A jade king's crown〜