「ちょっと待て!」
って、宙を舞う紙切れに言ったって通用しないのはわかってるんだけどさ。
俺にだって都合ってモノがあるんだよな。
まさに師匠の本を俺の背よりも高く持ち上げた瞬間に、現れなくてもいいだろ。
仕方ないから紙切れのとこだけ時を止めてやって、師匠の本を下して、ようやっと落とさずに手にする。
床に落としたら、師匠になに言われるかわかったもんじゃないからな。
なんだって紙切れにそこまでするかっていうと、師匠宛の立派な手紙だから。
端っこが虫に食われてようが、ね。
差出人はもちろん、魔法使いだ。
ほとんど気配なしに来たってあたりと、師匠の家に直に送り込めるのから察して、かなりデキるヤツだね。
ま、俺にわかるのはこんなとこだな。
師匠のこもってる部屋の扉を、ノックする。
「師匠、手紙が届きましたよ」
「なんとな?」
下向いてるんだろう、いくらかくぐもった声が聞こえてくる。
「だーかーら、手紙が届きましたよっ」
繰り返してやると、不機嫌な声が返る。
「聞こえとる。なんと書いてあるのかというとるんじゃ」
言ってる意味はわかってたんだけどさぁ。人宛の魔法手紙読むのは、面倒なんだよね。
ったく、わかってるくせに師匠も人が悪い。いつものことっちゃいつものことなんだけど。
ちょいとかかった魔法をといて、それから文字を浮き上がらせて。
「えーっとですね、『行くから、ヤツを閉じておけ』」
って、なんだこりゃ。
思わず言いたくなったのを、かろうじて堪える。わかればいいのは、師匠なんだもんな。
「む」
という、小さな呟きと共に、扉が開いて師匠が顔を出す。
「客が来るぞ。先ずはヤツを閉じて、それから茶の用意をせい」
「ヤツじゃわかりませんて」
口を尖らせる俺に、師匠は眉を寄せる。
「ヤツはヤツじゃ、あるじゃろうが」
いる、じゃなくて、ある、と言われて、俺にもぴんと来る。
「ああ、ヤツですか」
本棚の上の方から一冊の魔法書を取り出すと、バンドでしっかりと止めて鍵をかける。
不満そうだけど仕方ない。
ちょいと我侭なヤツだからね。
魔法書ってのは、高位のモノが記してあればあるほど気難しいヤツが多いけど、こいつはまた特別だ。下手なヤツが触れようものなら、それだけで手酷い目にあわされる。
元々、書き記したヤツが余計な者に触らせないよう警告の意味でつけといたんだろうけど、永い時が経ち過ぎて、本自体が勝手に己を守るようになっちゃってるんだな。
たいがいの本は、大人しく本やってるけど、たまにそんなのがいるんだ。
ヤツの正体がわかっちゃえば、謎の客人の正体もなんとなく見えてくる。
ウチにあるヤツよりも、ずっとずっと我侭で手に負えない魔法書が、この世には一冊だけ存在している。
自分が気に入ったヤツにしか、自分の中に記された魔法を使わせない。
しかも、他の魔法書を開くことを許さない。
おかげで、選ばれちまった不幸な魔法使いは、生涯、一冊分の魔法しか使うことを許されない。
当然、普通の魔法使いのように、人の願いを聞くことも出来ないから、ロクな生活が出来ない。
なんせ、一冊分の魔法だからね。
出来ることが限られ過ぎてるんだ。
かといって、その魔法書にしか載ってない魔法もあって、秘薬作りなんかにかかせないから、拗ねさせるわけにもいかないってんで、誰かが犠牲になり続けてるってわけ。
ヤツを閉じとけってことは、その魔法書を連れて、現在の不幸な犠牲者がやって来るってことだ。
なるほど、師匠の知り合いなわけだな。
なんてこと考えながら、湯を沸かしていると、もわもわと気配が漂ってくる。
「おう、モウロクせんとやっとるか」
二人目の師匠が現れたかというような挨拶と共に、見えた姿は、すっごい痩せぎす。師匠も痩せてるけど、比べもんにならない。
しかも、着てる物もボロボロ。
そうかもなぁ、秘薬の元の礼はとってるだろうけど、秘薬って言うくらいだから、皆そうそう頻繁には作らない。
よって、収入は微々たるモノってわけだ。
そりゃ、誰もが選ばれたくはないわな。
いやまぁ、選ばれちゃったら諦めるしかないんだけど。
手には、例の魔法書だ。
「モウロクしとるのはどっちかのう」
師匠もさらりと返している。
なかなか、面白そうな会話になりそうだと俺は笑いを堪えつつ、お茶を出す。
師匠の方は、もちろんうめこぶ茶だ。
「ほほーう、お前様がお弟子さんじゃな」
「どうも、お初にお目にかかります」
頭を下げる俺に、客人は眼を細めてざっと眺める。品定めってところかな。
さて、どこまで見えているやら。
「ほうほう、なるほどなるほど」
一人納得した声を出しながら、客人は師匠へと向き直る。
それから、にぃ、と耳まで避けそうなほどに口の端を持ち上げる。
師匠は、すました顔でうめこぶ茶をすすってる。
「こりゃ、悪く無さそうじゃなぁ」
「そりゃ、なによりじゃな」
客人の嬉しそうな声に、師匠は軽く頷く。
「では、いいかの?」
「その為に、来たのじゃろうが」
なんだか、不吉な方向に話が流れてる気がしてきたので、俺はにっこりと笑って言う。
「つもる話もあるでしょうから、俺はこれで」
「お前様に会いに来たのじゃよ」
あっさりと言ってのけ、客人は師匠に向けたのと同じ笑みを俺に見せる。
「わしはもう、先がないんでの。これを置いてやってくれる者を探しとるんじゃ」
俺の眉が、素で寄ってしまう。
「それって、俺が選ばれちゃったとか、言いませんよね?」
話じゃ、本自ら勝手にやって来るはずなんだけど。
「おう、そうではないわ。昨今、これを扱えるほどの魔法使いで、これが気に入るのがおらんでの。そのうち勝手に出てくかもしれんが、しばしここに預けたい」
「でも、選ばれてないんじゃ無理でしょう」
今度こそ、耳まで裂けたんじゃないかと思うくらいに、更に笑みが大きくなる。
「そこじゃよ。お前様なら、これに勝つことが出来るじゃろうが」
「勝つ?」
がりがりの首を、ちょこん、と縦に動かす。
「魔法書を従わせる、最も簡単な方法じゃ。魔法書に勝てば良い」
簡単に言うなよ、相手は秘薬にかかせない魔法を抱えた最高位の魔法書だっての。
「で、俺に勝負しろ、と?」
「わしではらちがあかんからのう」
師匠の声は、完全に人事と決め付けてる声だ。
「これも、修行じゃの」
伝家の宝刀。
これ言われたら、俺は逆らうわけにもいかない。
「わっかりましたよ、ここでいいんですかね?」
「いいじゃろ?見物したいし」
と、客人が師匠を見やる。
「む、構わんわ」
師匠の返事に、嬉しそうに客人は魔法書を見やる。
「ほれ」
言葉と同時に、ばらばらと魔法書が広がる。
待ったなしってヤツだ。
魔法書が紡ぎあげていく魔法を、片っ端から反対読みしてやる。
魔法消しの初歩の初歩。ただし、長文呪文を間違いなく逆読みするのって、かなーり面倒なんだけどね。
でも、こういう頑固モノには単純なのがいっちばん効くってわけ。
早口言葉は得意な方だし。
もちろん、全部が全部反対読みすりゃいいってもんでもなくて、それがヤバイやつは可愛らしい効果の魔法に変えちまう。
おかげで、魔法書一冊分片付けるまでには、部屋の中は花でいーっぱいだ。
ついで言えば、俺は喉がカラカラ。魔法書の方も、ぐったりと疲れてきたらしい。
俺は、トドメのヒトツを唱える。
魔法書は、花カゴの中だ。
この手の一匹狼決め込んでるようなヤツは、こういうのがえらい効く。
客人が、腹の底から笑い出す。
「こりゃお似合いじゃの。諦めい諦めい、これ以上やったら花の鍵をかけられるぞい」
花の鍵と聞いて、魔法書は観念したらしい。うっすらと開いていたのが、しっかりと閉じてしまう。
降参、というわけだ。
「勝負あった、じゃな。では、約束通り、ここで大人しゅう過ごすんじゃぞ」
客人は、顔から笑みを消して立ち上がる。
「邪魔したの」
「なんの」
師匠も、静かな視線で見つめる。
そりゃそうだろう。
軽口を叩いているけれど、今生の別れに訪れたのだから。
だが、師匠と客人は湿っぽい言葉を交わすつもりは無いらしい。
「送るかの」
帰り道のことだ。客人は、首を横に振る。
「そうか」
師匠は、軽く頷く。
俺は、ちらり、と魔法書へと視線をやる。しゅん、としきっているらしい。
「お前、道は覚えたな?」
きらり、と期待する色へと変わる。現金なヤツだ。
「いいか、来るべき時が来たら、ちゃんとココへと向かうんだぞ?もしも他へ行こうものなら、あっという間に花の鍵だ」
わかった、というようにページがはらはらと動く。
「ようし、じゃ、きっちりがっちり、魔法書の務め果たして来いよ」
俺の言葉に、跳ねるように魔法書は飛び上がり、客人の腕へと飛び込む。
客人は、いくらか驚いた目で俺を見つめ、師匠へと視線をやり、最後に腕の中の魔法書へと向く。
耳まで裂けそうなほどの、にやりとした笑みが浮かぶ。
「お前も、たいがい物好きじゃの」
魔法書は、がりがりの腕の中で器用に回ってみせる。
「では、な」
「む」
客人と師匠は、あっさりとした挨拶を交わす。
次の瞬間には、もわもわと気配が消えていく。
「来なかったら、追うのじゃぞ」
「来ますよ」
師匠のぼそりとした声に、俺は笑顔を返す。
だって、あの魔法書は本当に客人が好きでたまらないのだから。だから、客人が望んだのなら、大人しく従うだろう。
そうでなきゃ、今日だって師匠の家に大人しく付いて来るわけがない。
もっとも、本当に負かされるのは、想定外だったかもしれないけどね。
俺は、師匠のカップにおかわりのうめこぶ茶を注ぐ。
うめこぶ茶をすすってから、師匠はもう一度、ぼそりと言う。
「ありゃ、だいぶ延びたわい」
そうなら、いい。
我侭放題の魔法書と、あれだけ仲良く過ごせる魔法使いは、そうそうはいないだろうから。
ヒトツだけ、訂正。
とてつもない魔法書に選ばれたからって、不幸とは限らない。
2004.12.02 The aggravating mastar and a young disciple 〜A visitor from far away〜