お互い、破綻しきっていることを知っていて、まだ尚、はっきりと敵対するに至っていない。
だが、それは機が訪れていないから。
ただ、それだけだ。
いつか、互いに牙を剥く。
わかっているのに、知っているのに。
今、二人は酒を挟んで、梅を愛でている。
孟徳を苛立たせているのは、その事実だ。
なぜ、目前の男をあっさりと切って捨ててしまえないのか。
間違いなく、遅かれ早かれ、己を敵と見なし離れていくことが確定しているのに。
それだけは、はっきりとわかるのに。
なぜだろう、切るつもりで無く、酒に誘ってしまったのは。
玄徳は、穏やかに応答はしているものの、自分からなにか話題をふってくることは無い。
孟徳の出方を、探っているのだろう。
面白くない、と思う。
切る気など毛頭無い、ただ共に酒が飲みたいと思っただけだ、と告げたのに。
本当に面白くない。
玄徳にあるのは、ただ緊張だ。
いつかは、目前の男から袂を分かたねばならない。が、それは今では無い。
この瞬間に、それをはっきりとさせてしまえば。
己の命が無い。
いや、己だけではなくついて来てくれている皆の命を危険に晒すことになる。
自分を信用としろと言いながら、ほんの欠片すらも人を信用しない男。
そんな男が、ただ共に酒を飲みたいなどと、言う訳が無い。
機会を、探し始めたのだ。
己を斬る、機会を。
ならば、どうあっても切り抜けなくてはなるまい。
が、息詰まる時間もあまりに長いのは溜まらない。
二人が其々に、切り上げるか、と思った瞬間。
遠く、青白い光が走る。
雷だ、と認識した次の瞬間に、轟音。
かなり、大きい。
二人の視線は、どちらからともなく遠くへと投げられる。
また、光が走る。
空の端から端へと、まるで天を駆けるかのように。
「ふうん」
ぼそ、と孟徳が呟いた声に、玄徳の視線が戻る。が、孟徳は空を見つめたままで言う。
「まるで、龍のような」
「ああ、確かに」
玄徳も、頷く。
その返答には、全く嘘は無い。
追従ではなく、彼自身も龍が飛ぶように見えたのだ。
ああ、そうか、と孟徳は理解する。
自分は、この男に嘘を吐かれたくない。
そして、信頼して欲しい。
彼について来る人々に惜しみなく与えている、あの信頼を。
ただ一人、同じ位置で、同じモノを目指している男だから。
だから、出来うることなら、肩を並べて歩みたい。そうしたら、きっとこの双肩は、ずっとずっと軽くなるから。
それが出来るのが、この男だけだから。
なのに。
玄徳は、遠からず自分から離れていく。
どうして、なぜ。
あんな弱小の兵力では、いつか自分に踏みにじられるのは必定なのに。
なぜ、自分に敵対すると、決めたのか。
どうすれば。
ここに留めておけるのか。
何と言えば。
素直に頷いたのは、孟徳の言葉に含みが無い、と感じたからだ。
時折、不可思議なくらいに、素直な言葉を吐露する。
理想の国がある、と告げた時にも。
嘘ではない、と確信出来た。
だが、共に歩みたいという言葉には、もう頷けない。
信頼関係を築けないのなら、いつか、遠からず破綻する。
それだけは、確信出来るから。
能力を疑うつもりは、一切無い。
もし、欠片でも自分を信頼してくれるのならば。はなから疑うような真似をしないのならば。
苦言を容れる度量もある彼に、告げるのに。
だが、彼は絶対に誰も信用しないから。そう、わかってしまったから。
敵対すれば、命も危ういと知っているが譲れない。
いつも、こんな含みの無い会話が出来るなら。
こんなことは、決意せずに済んだのに。
三度、同じように光が走る。
「人の世に、龍がいるとすれば」
孟徳が、半ば独り言のように言う。
「俺と、君だな」
本心からの言葉を、玄徳はどう取ったか。
四度目の光が、二人のごく近くへと落ちた瞬間。
轟音の中、玄徳は酷く困った顔をする。
次の瞬間には。
「戯れを」
そう言って、視線を逸す。
孟徳の心に、また絶望が生まれる。
ああ、通じない。
唯一、共に同じ視線でモノを見られると認めていることが、通じない。
絶望的だ、と孟徳は思う。
不機嫌に、視線を逸らして、もう一度だけ言う。
「戯れなどでは無いんだけどね」
それどころか、唯一の真実なのに。
彼には、通じない。
玄徳は、舌打ちをどうにか押し込める。
信頼されていないのに、力量だけは認められるとは。
最も、避けるべき状況ではないか。
戯れであってくれれば、どんなに良かったか。
もしくは。
そこから信頼が生まれるのなら、どんなに良かったか。
ああ、もう時間が無い。
貼り付けたような笑顔の仮面が、軋んだ音を立てている。
あと、ほんの少しで。
ソレは、粉々に、砕けてく。
だけど、今だけは。
孟徳が、杯を上げる。
「龍に、乾杯」
玄徳が、応える。
「乾杯」
五度目の光が、二人を照らす。
〜fin.
2010.04.07 the thunder