正直に言ってしまうなら、火を見るのは嫌いではない。
烏巣での奇襲が成功したのも、赤壁で飲み込まれかかっていた自分が我に返ったのも火のおかげだからだ。
もっとも、こんなことは誰にも言えない。
正確には、今となっては、だが。
そこまで考えて、皮肉に口の端を持ち上げる。
ああ、そうだ。
曹操にとって、火は。
大事な誰かがいなくなる合図でもある。
官渡の後には郭嘉が。
赤壁の後には荀文若が。
本当に何を目指しているのか、何をしたいのかを吐露出来る相手は、ここにはいないのだろう。
そんな冷めたことを思いながら、先にある火を見つめる。
この街を混乱に陥れ、自分を殺そうという企ての一環だ。
もうすでに、手は打ってある。
後、一刻もしないうちに謀殺関係者は己の前に引き据えられるだろう。
火の勢いも、弱まりつつある。
事は、すでに終わったも同然だ。
「ったく、つまらん真似をする」
これほどまでにあっさりと、手の内が見えてしまうような真似をすることが。
誰かに聞こえたとしても、己に逆らうのが、くらいにしか取らないだろう。
それもまた。
「本当に、つまらんな」
舌打ち混じりに言う。
もっとも、この意見に関しては郭嘉たちが健在であったとしても、あっさりと一蹴されるだろう。
馬鹿の大掃除が出来るのだから文句を言うな、と。
毒舌ということにかけては、あの二人ほどの人間を曹操は知らない。
それでもいいから、などと思ってしまうのだから、いい加減重症だ。
こんな状態が続くようでは、また次にいつ飲み込まれかかるか、わかったものではない。
なんぞ、対応策を考えなくては。
と、思考を巡らせ始めて。
「ああ、南が騒がしくなるとか、言っていたか」
ぼそり、と、また呟く。
左慈が撒き散らした暗雲を払った管路が、そう告げたのを思い出したのだ。
これもまた、余人にはあまり言えぬことだが、予言の類が好きではない。利用はする。迷信深い人々を動かすには、それなりの効力を発揮すると知っているから。
が、自分が信じるかと言われると、微妙だ。
郭嘉の様に、情報も含めて掌を指すがごとくに話されれば別だが。
それはそうとして、と曹操は軽く首を傾げる。
南が騒がしくなる、という言葉について、もう少し考えても良さそうだ。
騒がしくするのは、孫権ではあり得ない。
彼らとは、つい先日まで戦をしていたのだ。こちらもそれなりの犠牲を払ったが、そもそも兵の数に劣るあちらは、そうそう簡単に再度仕掛けてくることは出来ない。
と、なると、だ。
もう一つの、南。
曹操が揚州と涼州にかかっている間に、益州を手に入れた劉備。
漢中を落としたところで兵を引いたのには、理由がある。
益州まで手に入れたなら、天の狙い通りだからだ。
あそこは、大事な足がかりになる土地なのだから。そして、こちらも予定した通り、劉備が手に入れた。
しかも、すでに内情は安定に向かっている時期だろう。次は更なる安定を図るはず。
その為には。
間違いない。
劉備が、漢中攻略に動き出す。
彼の陣容も、随分と充実してきていることは知っている。かつてのように、軽くかすめるだけのようなことはあるまい。
事の動きによっては、だ。
自身が漢中に遠征しなくてはなるまい。
そこまで考えて、はた、とする。
漢中の攻防が続けば、間違い無く。
曹操が出る時は、劉備が出る時だ。
ずっと、望んできたことが実現するかもしれない。
南の騒動とやらが、実現すればいい。
相手には、誰を差し向けてやろうか。兵力は、どれほどがいいだろう?
もう、煙ばかりになった火を見つめつつ。
曹操は、一人、笑みを浮かべる。
〜fin.〜
2010.05.06 Phantom scape XXXIII 〜Fire on the night of the crescent〜
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