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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 4〜

朝食を食べ終わってから、ビクトールはメイファに頼まれた通り、薪割りにいく。
フリックは、まだベッドの上の住人だ。
することもなくて、窓の外に目を向けていると、真っ白い包帯と、薬箱を手にしたメイファが現れた。
「さて、包帯、取りかえるよ」
この瞬間から、医者の顔になるから不思議なものだ。
慣れた所作で包帯をはずし、傷の具合を見る。
「まだ、だいぶ痛みそうだね?」
フリックの表情を観察しながら、事務的に問う。
隠しても仕方ないので、正直に答える。
「それはまぁ……」
「昨日は、目が覚めたりとか、した?」
「いや、よく眠れた」
「そう、良かった」
ぶっきらぼうに答えながら、布に消毒液を染み込ませる。
「しみるよ」
言葉はぶっきらぼうだが、やることは丁寧だ。『しみる』と予告しながら、じつにそっとやってるのが、手つきでわかる。
「まぁ、でも、たいした体力だよね」
沈黙してるのもなんだと思ったのか、メイファが口を開く。
「これだけの深手なのに、二日で熱下がるなんてさ」
「いや、処方が良かったんだと思うけど……」
メイファは、昨日、『決まりを破って済まなかった』と言われたときと同じ面食らった顔を瞬間的にみせたが、すぐに肩をすくめながら笑顔になる。
「薬だけじゃ無理だよ、鍛え方が違うんだろうね」
言いながら、包帯を止め終え、立ちあがる。
「ま、この調子なら、けっこう早く直るよ」
どこか、吹っ切れている表情。昨日は、『決まり』を破った自分に、どこかいらついて見えたが……
彼女も、強いのかもしれない。
自分を強引に死の淵から救ったビクトールと一緒で。
グレッグミンスターで、深手を負ったとわかったときには、これでやっと終わることが出来ると思ったのだが。
『生きてりゃ、理由なんてついてくらぁ!』
そう、ビクトールに言われて、死ぬわけにはいかなくなった。
彼は、自分のことを仲間と呼んで、そして、失いたくなくて、泣いていたから。
かつて、なにかに傷ついた瞳。
これ以上、傷つけることが出来なくて。
だけど、また、自分の中の闇と、正面から向き合わなくてはならない。
誰も知らない、深い暗い闇。
きっと、抜け出せることはない。生きている限りは。

「……ねぇ?」
はた、と気付くと、メイファがこちらを覗きこんでいた。
「え?」
「すこし、掃除をしちゃいたいんだけど、これ、動かしていいかな?」
メイファの指した方には、自分の剣が置いてあった。
フリックは、すぐに無造作にうなずいてみせる。
「ああ、いいよ」
それから、すこし、目線をそらした。剣を彼女が持つ瞬間を、見たくなくて。
が、視線を戻したときに目に入ってきたのは、自分の剣をまっさらな白い布で、丁寧に包み込むように抱え上げているメイファだった。
驚いたフリックの目線に気付いたのだろう、メイファは、口元に笑みを浮かべた。
「場所によっては、女が不用意に触るといけない剣もあるからね」
「よく知ってるんだな」
思わず、ため息混じりにそう言った。むしろ、がっかりしたかのような口調に、メイファの方が、微かに怪訝な表情を浮かべる。
でも、彼女はさっき、驚いたのを飲みこんだように、またその怪訝を飲みこんだ。
笑顔になって、言う。
「お互いさま、でしょ?」
昨日、メイファが『あんた』としか呼ばないことが、『決まり』を守っているだけだとすぐに気付いたのは、確かに自分だ。
そして、それはかつて自分も、規律厳しい村に育ったら。
肌で覚えている、理屈抜きの感覚が、それを教えた。
「そうだな」
思わず、苦笑してしまう。
結局、生まれついて覚えさせられたものからは、離れられないのかもしれない。
「しばらく、包んどいてくれていいよ、掃除のたびにそれ使って持ち上げるんじゃ、大変だろ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
軽く頷いてみせて、メイファは剣を包みだす。包帯なんかに馴れているだけあって、こちらもお手のものだ。
しかし、その彼女の手つきが、一瞬、なにかに驚いたかのように止まる。
そして、瞬間の、驚ききった表情。
次に、確かめるように軽く剣を裏返したのも、フリックは見逃さない。
手つきこそ、何事もなかったかのように剣を包みつづけるが、あちらをほとんど向いてしまっている表情は、なかなか戻すことが出来ないらしい。
剣を包み終え、やっと笑顔でこちらを向く。
「こんなんになっちゃったけど、いいかな?」
フリックは、そんな彼女をまっすぐに見つめたまま、ゆっくりと、口を開いた。
「ほんとに、よく知ってるんだな」
ビクトールがいるときとは、まったく語調の違う声に、メイファは肩をびくり、とさせる。
感情のまったくこもらない、平坦な声。
空気が凍りつくような、冷たさを帯びる。自分の中の闇が出す空気が、メイファをも飲みこむ瞬間。
それでも、彼女には、隠しても仕方のないことだと、悟ったから。
いや、むしろ、それに気づいてしまったことで、苦しませるだろう。
だとしたら、言ってしまった方がいい。
フリックのまっすぐな視線と声で、自分がなにに気付いたのか、がばれたのがわかったメイファは、もう一度、小さく肩をすくめた。
「見間違いかと、思ったわ」
「見間違いじゃないさ」
「この剣……」
言いかかって、口をつぐむ。
ビクトールの戻ってくる足音。
ほどなく、扉が乱暴に開いて、額に薄く汗をにじませたビクトール本人が姿を現す。
「おう、こんなとこいたか、なくなっちまったぜ、薪」
「え?なくなったて、あそこの山、全部割ったの?」
怪訝そうな、メイファの顔。
「ああ、そうだけど……あれ?全部はまずかったか?」
「いや、まずかないわよ。でもあれ……」
と、メイファはかなり大きな山を手振りで示す。
ベッドにいて、薪の山を目にしていないフリックにも、それがかなり大きなものであることがわかる。
「こんなだったはずよね?」
「そんなもんだったかな」
通常の人では片付かない量を、あっという間に片付けて、ビクトールはまだ足らなそうな顔をしている。
メイファとフリックは、どちらからともなく、顔を見合わせた。
「何ヶ月分?」
「三ヶ月」
「…………」
同時に、二人は吹き出した。
メイファはおなかを抱えて笑っているし、フリックも、傷をかばいながら大笑いする。
「なんだよ、なにがおかしいんだよ?」
「あ、あんだけあれば、三ヶ月は持つわよ」
笑い過ぎで、息が切れ切れになりながらのメイファの台詞に、はじめてビクトールも自分が何を聞いたのか、わかったらしい。思わず、自分で笑い出す。
「わりぃわりぃ、なんかつい集中しちまったってヤツだな」
「そんなに働きたいなら、つぎは何してもらおうかな?」
「それがいい、いろいろやってもらえるぞ」
楽しそうなメイファの笑顔。さっき、自分の剣を見て表情を失ったとは思えないほどの。
つられてフリックも軽口を叩き、それから、自分も、すっかり気分が軽くなっているのに気付く。
つい先ほど、自分の中の闇と、また真正面から向き合いそうになっていたはずなのに。
照れくさそうに、頭をかきながら立っているビクトールを改めて見る。
不思議な男だ、と思った。
自分の中の闇すら、忘れさせるなんて。
ああ、そうだった。グレッグミンスターの焔の中で、俺はあの瞬間『生きよう』と、思ったんだった。
自分の中に、闇があるのを忘れて。

怖いくらいの闇だ、とメイファは思った。いままで、まったくその気配すらなかったのに。
穏やかな表情のむこうの、冷たい闇。
それが、この端正な顔の男の抱えているもの。剣を見た瞬間にそれを感じて、愕然とした。
まさか、見間違いよ。
自分にそう言い聞かせて、剣を裏返す。ああ、だけど、それは確認でしかなくて。
でも、そうだとしたら。
ねぇ、私に止めを刺す役をさせるつもりだったの?
自分が2度と救われないための?
急速に自分の中に闇が広がっていくのを感じて、慌てて剣を包み込む。
しかし顔を上げたときに目に入ってきたのは、聞こえてきたのは、さらに大きな闇だった。
誰にも救えない、救うことを望んではいない瞳。
孤独しかない瞳。
こんな瞳を、私は知ってる。誰にも理解されない孤独を抱えた瞳。
「見間違いじゃないさ」
そう言って、自分をさらに闇に追いこんでしまう。
それが、ビクトールが現れて、もう一度見ると、無くなっていた。
隠した、とかではなく、無くなっていたのだ。
同時に、自分の中に落ちてきた闇も消えている。
ああ、この熊男は、自分の闇だけじゃなくて、人のも消しちゃうくらい、強いんだ。
「じゃ、次は洗濯なんてどう?」
「洗濯ぅ?!」
「そうよ、私は薬を作らなくちゃいけないしね」
いいながら、本当に不思議な男だな、と思う。
二人分の闇を飲みこんでしまった。ほら、だって。
「悪いな」
薬が誰のためかをわかって、済まなそうに言う彼の瞳にも、もうどこにも闇がない。
「それを持ち出すか、さからえねぇよなぁ」
ぼやくように言うビクトールが、太陽みたいだな、とメイファは思った。



薬を作るのは、小さいころから好きだ。
薬草を洗い、葉と茎、そして根に別けてから、必要なものを組み合わせ、煮出したり、乾燥させたり、という処理をかさねていく。
初めて自分の手で薬草に触れたのは、祖父について旅に出てすぐだったから、四歳か五歳くらいだったろう。
祖父は、最初からメイファに薬草を見分けることを積極的に教え込んだし、興味のあったメイファは、期待以上の早さでそれを覚えていった。
教え込まれた年齢のせいもあるだろうが、戻ってくるまでには、祖父をもが一目置くほどに、彼女の薬草の知識は増えていたし、それをどう組み合わせるかに関しては、祖父が相談するくらいだった。
独特の香りと、微妙に異なる色。
どこまで処理をするか、どこで終えるのか。
ほかのコトを考えるのを、忘れられる瞬間。
そう、ついさっきまで忘れていた、彼らが来るまで、自分の中に巣食いつづけていた闇のことも。
『決まり』を破った、と思ったときに忘れたもの。
忘れたつもりだったもの。
そう、絶対に、消えるはずのないもの。
思い出すのが、早くなっただけだ。彼らがいなくなったら、どうせすぐに思い出すこと。
だから、彼らが来る前と同じように。
朝、摘んできた薬草たちを前に、それを忘れる。

いつものように、細かく薬草をわけ、必要なものは切り刻み、すりつぶし、としていると、だ。
ビクトールが情けない声で話しかけてきた。
「なぁ、薬を作ってる途中で、悪ぃとは思うんだが」
「え?なに?」
「その……だな」
「うん?」
「め、飯……」
と、同時に、彼のおなかが悲鳴を上げる。
「あれ、そんな時間?!」
慌てて外を見ると、たしかに太陽はすっかり空の真中に位置している。
朝からあれだけこき使われれば、ビクトールのおなかは、ぺこぺこに違いない。
「うわ、ごめん!気付かなかった」
「いや、かまわないんだけど、作っていいか?」
もうすでに、作ってもらうことのほうは、諦めているらしい。
さすがに、ちょっと可哀想になったので、
「夕飯は、私がやるよ」
と言ってやる。それを聞いたビクトールは、笑顔になった。
「お、やっと土地のもんが食えるってわけだな、期待してるぜ」



昼間の約束通り、夕飯はメイファが腕を振るった。
ビクトールはもみ手せんばかりに待っていたし、フリックも、ここらへんの料理がどんなものなのか、興味がないわけではなかったので、ちょっとわくわくする。
軽めのスープに、カリカリに焼き上げたパン。
運ばれてきた大きめの鍋は、蓋をパイのようなものでメバリしてある。
「わ、なんかすげぇな」
鍋のふちのパイが香ばしい匂いをさせてるのに、ビクトールが鼻をひくつかせる。
「久しぶりにやるから、上手くいってるといいんだけどね」
言いながら、メイファは馴れた手つきでパイのメバリに、ナイフを入れる。
ふわ、とよく煮えた香りが広がった。
「へぇ、いい香りだな」
あまり食い意地の張ってないフリックも、思わず声を上げる。
ほどなく、食卓には切り分けて、煮汁のソースをたっぷりとかけた雉のスヴァロフが並ぶ。
口にしたビクトールは、目を輝かせた。
「お、うめぇ」
「うん、おいしい」
フリックもうなずく。
「柔らかい?大丈夫??」
メイファは、病み上がりのフリックの胃の方が心配のようだ。
「ああ、うん、充分」
「メイファ、これお代わりしてもいいのか?」
そう言うビクトールの皿は、すでに三分の一になっている。
「うん、あるだけは食べていいけど……」
「はやすぎだぞ、おまえ……」
「いいじゃねぇか、うめぇんだから」
口を尖らせて言うビクトールに、メイファとフリックは顔を見合わせて苦笑する。
結局、鍋の中身はメイファと病み上がりのフリックは、お代わりをしなかったせいもあって、ほとんどビクトールが片付け、デザートとなる。
「おお、こっちもうまそうだなっ!」
「熊男には軽すぎるかもね」
切り分けたレモンメレンゲパイを皿にとりながらメイファは言う。
やはり、フリックの胃の方が優先らしい。主婦兼医者といったところだろうか。
しかし、黄色のレモンクリームと真っ白なメレンゲが重なったそれは、見た目だけでも楽しい。
「うん、うまいうまい」
どうやら、こちらもほとんどビクトールの胃の中に収まることになりそうだ。
でもほんとに、彼がいるだけで空気が明るくなるから不思議だ。
そんなことを思いながら、フリックは出されたミルクが多めのミルクティーを口にする。
「おかわり」
案の定、ビクトールは二切れ目を要求する。
メイファが皿に取り分けるのを見ながら、思い出したように口を開く。
「あ、そうだ、地図ねぇか?」
「地図?」
取り分けた皿を返しながら、メイファが聞き返す。
「ああ、ここらへんの様子を知りたいと思って」
その瞬間に、彼女を掠めたかすかな影に、フリックは気付く。
自分と似た、消せない影を。
「そっか、うん、出しとくよ」
でも、返事をした彼女は、もういつも通りの明るさで、憎まれ口もいつも通りだ。
「それにしても、ちょっと食べ過ぎじゃないの?」
「今日の働き具合からしたら、これっくらいで丁度いいんだよ」
ビクトールが言うのを聞いて、笑う顔も。
俺たちがいなくなったら、彼女はどうするのだろう?フリックは、ふと、そう思った。
メイファは、さっきのような影に、ひとりで向かい合うのだろうか?
「やっぱり、ちょっとおもすぎた?」
黙り込んでしまったフリックを、心配そうにのぞくメイファの顔がある。
「いや、大丈夫だ……どうせ働かなくても食べるくせに、と思ってただけだから」
それを聞いて、メイファはまた笑い出す。
俺たちがいなくなっても、彼女はこうして屈託なく笑うことがあるんだろうか?

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