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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 5〜

夜。メイファは、針を運んでいる。服を縫っているのだ。
薬の整理は終えたものの、なんとなく、眠れなくて。
裁縫は、祖父に連れられてた旅の途中で、ほころんだものを直すことからやってたから、お手の物だ。
その手の中で、うすいベージュの布地が針を運ぶのにあわせ、リズムよくゆれる。
やわらかい感触が、手に心地よい。
いまは、そんなささいな温もりがありがたかった。
自分の中の、消せない闇。
祖父が亡くなってから、彼らが来るまで、いつも苛んできた闇が、じわじわと広がってくる。
『決まり』から抜け出せないことがわかってしまったいまでは、いっそう暗い影になりつつある。
そう、この影さえなければ、まだ『決まり』に呑み込まれるのは楽だったのかもしれない。
だけど……
昼間の出来事を思い出す。
偶然とはいえ、見てしまった、それ。
まさか、同じ闇を抱えている者がいるなんて。
でも、彼のほうが、深かった。救われることさえ、拒否する瞳。
冷たくて、寂しくて、ぞくりとするくらいの。
痛みが分かるから、かえって辛い。
孤独すぎる瞳。なにが、彼をそうしたんだろう?いままで、誰も……
「っ!」
考えのほうに夢中になり過ぎて、手元がお留守になったらしい。
指に針を刺してしまったようだ。
小さくため息をついて、指を軽くなめる。うすく、鉄の味が広がった。
いっそ、このまま血が止まらなければ、楽になれるのに。
そう思ってはっとする。もしかして、彼も、それを望んでいたのでは?
あのまま、楽になることを。
でも、もし助からなかったら、ビクトールは、とても傷ついただろう。
『助けちゃくれないか?』
口調はぶっきらぼうだったが、瞳が真剣だった。だから、あんな不信な姿だったにも関わらず、招き入れたのだから。
あんな必死な瞳を、裏切れなくて。傷つけることができなくて。
後悔はしていない。でも、彼はなにを本当は望んでいたんだろう?
ひかえめなノックが聞こえた。
「起きてるよ」
声をかけてやると、ビクトールが顔を出す。
「ちょっと、いいか?」
「いいよ」
針を休めて、顔を上げると、旅装を整えた姿が入ってきた。
地図を頼まれたときから、いつかは出て行くんだ、とはっきり自覚はしていたものの、形になってみせられると、やはり、どき、とする。
「どこ行く気?」
「そこらへんをぐるっとな……なんか、脱け出しづらいらしいから、様子を見に行ってこようと思ってな」
「こんな夜更けに?」
「きっと、ホントに行くときも、夜だろうからな」
ホントに行くとき、という単語に、ほっとしている。ただ、先送りされただけなのに。
「ま、明後日の夜には、戻るから」
「あんたの相棒はあずかっとくよ……まだあの怪我じゃ出せないからね」
少し心配そうなビクトールにうなずきかけてやる。
「あと二ヶ月は喪中だから、しばらくはごまかせるよ」
「悪いな」
「そのかわり、高くつくよ」
メイファが言うと、ビクトールはにやりとしてみせる。
「高くつくついでに、金貸してくれ。一文もないんだ」
「!」
思わず、言葉に詰まるが、たしかに戦争の途中に飛ばされてきたのだから、仕方が無い。
「……トイチなら、貸すよ」
「すっげー、悪徳金融だなぁ」
「冗談だよ、どれっくらいいる?」
笑いながら、立ち上がる。
やはり、この男がいると、楽になるな、と思いながら。



次の朝。なんとなく、恐る恐る部屋をのぞく。気配に気付いたのだろう、フリックが体を起こす。
「おはよ」
「おはよう」
ひとまず、笑顔で挨拶できたのが、ありがたい。
「起こしちゃった?」
「いや、さっきから、起きてはいたんだけど」
ここ二日は、ビクトールがちゃちゃをいれてたので気付かなかったが、なんとも普通の会話が難しい。
それはどうも、フリックのほうにもいえるようで、なんとはなしに会話に緊張感がある。
「どうしよっか、朝食先がいいかな、それとも包帯取り替えちゃおうか?」
「あ、うーんと……」
自分で言っときながら、これは選びづらい、とか思ってしまう。
だけど、フリックのほうは、強引に選んだようだ。
「じゃ、朝飯がいいかな」
「そう、それじゃ、少し待っててね」
「ああ」
そういえば、いつも会話するときはビクトールが間にいたのだ。
フリックは、要所で補足するか、つっこむか、ぐらいで。ようは、必要外に会話をしたことがなかったことに気付く。
緊張するのも当然だろう。だいたい、話題がない。
過去のことには触れないほうがよいのは、昨日よく分かったし、かといって、薬の話をする相手でもない。
普通の会話……これがもっとも難しいのかもしれない……
やはり、というか、至極当然の結果、というか、食卓についても、会話がない。
なんとなく、もくもくと食事をしてしまう。
気まずい、とは思うが、かといって、なにに興味があるのかもよくわからない。
お互い、なにか言わなきゃな、と思って顔を上げるが、目があってしまうと、いざ言うことがなくて、さらに気まずかったりする。
「あ、あのさ」
おそらく、沈黙に耐えられなくなったのだろう、フリックがいつもより少し高い声で言った。
とっさにうまく返事ができず、目だけがフリックの顔を見る。
「その、けっこう長いこと旅、してたのか?」
「え、ああ、うん、そうね」
素直に肯定すればいいだけなのだが、なにか緊張する。しかし、ここで会話の糸を切ってしまうと、二度とつながるまい。
「旅してたほうが、長いよ、うん」
「そうなのか……あ、何歳くらいのときから?」
フリックのほうも、話をとぎれさすまいといったかんじで、ぎこちなくつなげる。
「旅に出たのが四歳か五歳のときで、帰ってきたのが十九になったころ」
「へぇ、ホントに長いな……えっと、十五年くらい、か」
「うん、それっくらいだね」
「じゃ、ずいぶんいろんな所を回ったんだろうな」
「ほぼ世界一周だと思うよ」
「やっぱりそれって、薬とかを探しに行ったわけなのか?」
苦し紛れとはいえ、メイファにはいちばん話のつなぎやすい話題になったようだ。
すこし、ほっとしながら、うなずいてみせる。
「そう、ここらで手に入る薬草では、どうにもならない病気がでてきて……医者の中から選ばれて、祖父が治療法を探しに行くことになったの」
「ふうん、優秀な医者だったんだ」
「違う違う、私がいたから」
「え?」
「ほら、この村では旅に行くときは『護符』をつれてかなくちゃならないでしょ?『護符』になれるのが、そのときは私しかいなかったのよ」
「『護符』にも条件があるんだ?」
「笑っちゃうくらい、いろいろね」
大げさに首をすくめるものだから、フリックも思わず苦笑する。
「たとえば、年齢ね……」
『護符』に関することは、べつだん暗い条件もなかったことも手伝って、朝食の話題はこれに終始する。
それにまつわる、『儀式』やらなにやら、たったひとつのことなのに、話題には事欠かない。
フリックのほうも、もともと『しきたり』の多い村で育ったせいか、『決まり』に対して抱く、不信感、というか、伝統の持つ一種の滑稽な感じをよくわかっているらしい。
『こんなのヘンだよね』というのが、案外、一致する。
気付いたら、朝食のあとのお茶を、三杯もおかわりして話しこんでいた。
大きなお湯差しが、空になったことでそれに気付いて、びっくりする。
「あれ、お湯、無くなった」
あんまり驚いたので口にすると、フリックのほうも驚いたようだ。
思わず、口に手をやってるところを見ると、こんなに話したこと自体が、彼には珍しいことなのだろう。
メイファは食器を片付けるために立ちあがる。
「これ、片付けちゃったら、包帯かえるね」
「ああ、悪いな」
朝、顔を合わせたときとは比べ物にならないくらい、滑らかに言葉を交わすと、メイファは食器をもって、台所へと片付けにいく。

台所に向かうメイファを見送って、フリックは軽くため息をついた。
正直、最初はなにをどう話していいかが、さっぱりわからず、かといって、沈黙しつづけるわけにもいかず、強引に話題を振ったつもりだったのだが、気付いたら自分もずいぶんと話していた。
『しきたり』の多い故郷の村のことは、忌まわしい記憶と共にしか思い出せないので、あまり思い出さないようにしていたのだが。
正直、驚いている。
いやな気分でなく、故郷の『しきたり』を思い出していたことにも、自分がこんなに話したことにも。
そう、昨日、メイファには剣のことを気付かれてしまったのに。
だから、なおさら、その話題には触れるはずが無い、と思っていた。
自分の中に、『闇』が巣食っている、ということ。いままで、誰にも言うこともなく、気付かれることもなかったこと。
もし、口にしてしまったら、自分がどんな風に見られるのかが怖かった。
哀れまれるのも、同情されるのも、迷惑でしかない。
必然、口数は少なくなった。よけいなことは、話したくないから。
そうやって、いままでやってきた。
それに、話したら、自分の闇に相手をも巻き込む気がして。
現に、メイファだって、昨日は完全に呑み込まれた表情をしていた。目前に広がった闇に、恐怖を感じていた。
だから、昨晩、ビクトールに『すこし、周辺の様子を見てくる』と、告げられたときには、真面目に 一緒に旅立つことを考えた。
闇を知られた相手に、どんな顔をしていいのか、わからなくて。
今朝、笑顔で挨拶されて、正直なところほっとした。
メイファは、闇を保留にしてくれたらしい。
それでいて、もう知られているから、いまさら隠そうとする必要もない。
どこかで、ほっとしているのは確かだ。
そういえば、メイファもどこか、影がある。
昨晩、『地図をくれ』と言われたときに、微かによぎったそれに、気付いてしまった。
『決まり』のせいで、医者になれない、と言って肩をすくめるが、それ以外のなにか。
俺達がいなくなったら、もぐりででも『医者』であることを取り上げられたら、どうなってしまうのだろう。
『闇』を持て余すことの辛さは、自分がよく知っている。
ましてや、メイファは『決まり』という檻の中だ。あがくことさえ、許されてはいない。
そこまで考えたところで、メイファが薬箱を手に現れた。
何の屈託もなさそうな笑顔で告げる。
「じゃ、包帯かえちゃおうね」
いまは、医者でいられるから、だからこんな笑顔もできるのだろう。
でも、そうではなくなったら?
星辰剣が、冗談交じりに言った『小娘も一緒に旅立てば、医者になれるかもしれんぞ』というのは、案外、真面目に考える価値のあることではないのか?
でも、メイファの中で『決まり』が重くて大きなものなのも確かだ。
簡単には決められないだろう。故郷を、捨てることにもなる。
「どうしたの?傷、痛む?」
どうやら、考えに入り込んでしまって、しかもそれが顔に出たらしい。
フリックは慌てて首を横に振った。
「いや、傷は平気」
「そう?まぁ、順調そうではあるけどね……じゃ、消毒するね」
「ああ」
手早いが、丁寧なのは昨日と変わらない。包帯を巻く手付きも、驚くくらいに早い。
「そうそう、今日からはね、部屋の中くらいは歩きまわっていいよ」
メイファは、言ってから、ちょっと首をかしげ、
「と、いうか歩き回ってね、のほうが正確ね、足がなまりきっちゃうから」
「じゃ、立っていいってことか」
思わず、顔を輝かせる。ベッドに二日も縛り付けられて、いいかげん厭きていた。
動けないぶん、考えてばかりになるのが、憂鬱でもあったし。
フリックの表情を見て、メイファは笑顔になる。でもそれは、まるでいたずらをしかけている子供のようだ。
「でもきっと、最初は立てないよ」
包帯を巻き終え、薬箱を脇によけ、立ち上がると手を差し出す。
「やってみる?」
「大丈夫だよ」
まさか、女の子に自分を支えさせるわけにはいくまい。
「そう?じゃ、立ってごらん?」
相変わらず、笑顔のままでメイファはすこし離れる。
フリックは、毛布をとりのけると、いつもしていたように立ち上がろうとした。
「?!」
「ほら、ね?」
メイファは慣れた様子でよろめいたフリックを支える。
「驚くくらい、足って弱るのが早いのよ」
祖父について、医療を手伝ってはいたから、何人もの病人やら怪我人を見てきているのだろう。
そして、自分の足が弱ってることに気付かず、こうしてよろめくのも、珍しくないに違いない。
そういったことは、自分よりメイファのほうがよくわかっているはずなのに、つい強がったりしたのが照れくさくて、そっけなくうなずいた。
「あ、拗ねた」
負担がかからないように、丁寧にフリックをベッドに腰掛けさせてくれるが、顔のほうは、おかしそうに笑っている。
ますます、照れくさくなる。
「でも、体力あるし、すぐ元どおりになるよ」
メイファは、とうとう、くすくすと笑い出した。
「そんなにおかしかったか?」
「だって、顔、真っ赤なんだもん」
「え?!あれ?」
思わず顔に手をやったフリックを見て、メイファはまた、笑いだす。
どうやら、さらに顔が赤くなっているのが、自分でわかる。
メイファのほうは、止まらない笑いをこらえつつ、もう一度、手を差し出してくれた。
「ま、最初は練習しないと歩けないよ」
フリックは、照れくさいままだったが、今度はおとなしく手を差し出した。
さっきよろめいたので、だいたいどちらに体重がかかりやすくなっているか、わかっている。
しかも、メイファは上手く支えてくれた。
「そうそう、そんな感じ」
少し、ぎこちないようだが、ひとまずは立ち上がる。
「じゃ、手ぇ離すよ」
「ああ」
ゆっくりと手が離れる。
「うん、問題無しだね、立ち上がるとこだけ、ちょっと体重のかけ方がヘンだっただけで」
「じゃ、歩いてもいいのか?」
「もちろん」
さきほど、自分ひとりでは立てなかったのはよくわかっていたが、メイファの手を借りるのが、やはり照れくさくて、自分で踏み出してみる。
踏み出すのと同時に、サイドボードを支えにしようとしたが、これは失敗に終わる。
「!」
「あっ!」
思いっきりバランスを崩す。メイファが、慌てて手を伸ばしたが、これは無謀。
さすがに、大の男の全体重は支えられずに、一緒になってこけてしまう。
「……だ、だいじょぶ?」
「あ、ああ……すまん……」
またやってしまった、と思いつつ、顔を上げたフリックは、至近距離にメイファの顔があることに、びっくりする。
謝りつつも、妙にやわらかい感触の床に手をついたものだな……とかと思う。
その時だ、明日まで帰らないはずのビクトールの声がしたのは。
「フリック、おめー……俺がいないからって、襲いかかるかー」
「え?ビクトール?」
「ずいぶん早いお帰りね?」
なんか、とんでもない格好のままでこけたまま、口々にそう言われたビクトールは、呆れ顔になる。
いや、襲いかかっているのではないのは、さっきからの物音でよくわかっているのだが。
それにしても、これは……
「おい、せめて、その手どけろって」
「……?」
言われたフリックは、視線をそちらにやって、初めてメイファを下敷きにしてて、しかも、手をついてたのが床ではなくて、そうではなくて……感触がいいのは、当然だったりすることに気付いたらしい。
「!!!!!」
慌てて飛びのく。つられて、自分の胸元に眼をやったメイファも、思わず赤くなった。
どうやら、メイファはフリックが転んでしまったほうに気を取られてて、自分がどこ触られてたかわかっていなかったようだ。
「す、す、す、すまんッ!!!」
「と、飛びのかなくったっていいわよ、怪我人こけさすような真似したのは、わたしなんだし」
そう言いつつも、さすがにちょっと頬が赤い。
「で、どうしたのよ、様子見に行ったんじゃなかったの?」
ごまかそうとしてるな、と思ったので、ビクトールはからかいたい気分になる。
「いやー、二人っきりにしとくと、こんな風にヤバいんじゃないかと思ってさ」
それを聞いた二人は、一緒に真っ赤になった。

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