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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 8〜

ビクトールが予定通りに出発してから、はや三日が経とうとしている。
フリックの回復は順調で、もう、家の中なら歩き回れるまでになっていた。
でも、相変わらず激しい運動は禁止の身の上なので、戦士としていつも体を動かしてることのほうが、だんぜん多いフリックとしては、ヒマなことこの上ない。
昼間は、掃除したり洗濯したりのほかに、薬草園の世話などでメイファは、ほとんど家を空けてしまっている。
話相手もいないわけだ。
ビクトールが植えて回ったはずの薬草を見分けられるようにする、という課題もあったりもするが、これに関しては、まだメイファの助け無しには、まったく歯が立たない。
すっかり、手持ち無沙汰というわけで、軽いトレーニングの他は、考え事をするか、そこらに山積している本をパラパラと見るか、くらいしかやることがない。
薬草学の本は、勉強目的でなければ、それなりに楽しいモノだ。緻密に描かれた絵がカラーで全ページに渡って載っているのを、ぼんやりとめくる。
かといって、毎日、薬草ばかり眺めていては飽きてしまう。なにか、違う本でも……とあさっていたフリックは、ふと、手を止めた。
本棚の隅のほうに、やけに古ぼけた本がある。
「……?」
手にしてみると、やはり、かなり古い本のようだ。ぺら、と開いてみて驚いた。
細かい文字で、びっしりと書かれているそれは、この村の『決まり』だ。本の古さからいって、軽く百年とか経っているはずだ。そんな昔から、えんえんと同じ『決まり』が、守られてきたのだ。
本のページから漂うカビ臭さとあいまって、古ぼけた『決まり』が、もう時代にはそぐわないという考えさえ、浮かばないこの村の閉塞感を感じて、フリックは眉をしかめる。
眉をしかめつつも、なんとなく、更にページをめくってみていたフリックは、新しい紙が挟まれているページに気付く。
「…………」
そして、フリックは、自分の予想が正しかったことを知った。



いつも通りに、夜はやってくる。
メイファは、相変わらず手際よく多種に渡る料理を食卓に並べる。
「へぇ、今日もうまそうだな」
そう食い意地の張ってないフリックが、思わずそう口にするのだから、かなりいい香りが部屋には広がっている。
今日のメインディッシュは鶏のようだ。
「今日は、ピッシュ・パッシュよ」
「ピッシュ……?変わった名前だな」
言いながら食卓につくと、メイファは、慣れた調子で食前の祈りを唱える。
もう、それにもすっかり慣れた。
いい香りのメインディッシュに手をつけると、それは柔らかく煮あがっている。フリックの躰の調子を考えながら、飽きもこないよう考えているようだから、頭が下がる。
味のほうも、なかなかだ。
メイファの視線が、軽くフリックのほうを向く。口に合うか気になるのだろう。
顔を上げたフリックと目が合うと、慌てて自分の皿に目を落とす。
ここ三日、料理がおいしいか、などという自分が照れてしまうことは一切、言っていない。
作っているほうは、気になるに決まっている、とは思っていたのだが。
だから、彼女は顔色で、上手く行っていたかどうか判断しようとしたのだろう。
「……うまいな、これ」
ちょっと、いつもよりも小さな声になってしまったようだが、口にすると、メイファは弾かれたように顔を上げた。
「ホント?」
「ああ」
頷いて見せると、ぱっと笑顔になる。
「よかった〜、久しぶりだったから、ちょっと心配だったの」
どきり、とした。
そんなに笑顔になるとは思わなかったから。
でも、そんな笑顔はすぐに消えてしまう。
「食事終わったら、薬草覚えようね」
そう言った彼女の顔は、もう、医者としての責任を背負ってしまった顔だ。
頷きながら、フリックはなにかが痛んだ気がして、目線を落とした。



食事の後片付けにいったメイファを待ちながら、フリックは考える。
一緒なのだ、と。
多分、本人もわかっているはずだ。
自分のなかのどうしようもない『闇』と、メイファが飲みこんでいる『影』は、理由はともかく同種のモノだ。
でも、だったらよけいに、この村に居つづけることは彼女にとって、苦痛のはずだ。
そのはずなのに、メイファは『この村を離れるつもりはない』と言う。
彼女しか治せない病気、それがあるとしか思えない。
常に医者の顔をしつづける彼女。自分たちを助けるためだけじゃない、と思う。
そうしなくては、自分が自分でなくなってしまうから。
フリックが、戦いつづけるのと、同じこと。
そんなことを思っているところに、メイファが戻ってくる。
「じゃ、はじめようか」
「ああ」
だが、考えに囚われていたせいで、せっかく一生懸命メイファが説明してくれているのに、ちっとも集中できない。
集中できていないのが、メイファにも分かったのだろう。
「今日はこれっくらいにしとこうか」
いつもより、ずっと早めに切り上げてしまう。
「悪いな」
思わず謝ったフリックに、メイファは笑顔を向ける。
「ぜんぜん。そんなコトもあるよ」
言いながら棚に行き、出してきたのはワインのようだ。
「嫌いじゃないでしょ?」
瓶を見せる。
「でも、いいのか?」
怪我人の自分が飲んでも、だ。
「直り早いし、大丈夫よ。気分転換になるよ……じいさんの秘蔵品だから、けっこういいモノなんじゃないかな」
テーブルに持ってきて、小型のナイフを取り出す。
その手つきを見て、フリックは手を出した。
「俺がやるよ」
あぶなかッしくて、かなわない。メイファは照れ笑いをすると、グラスを持ってくる。
「へぇ、やっぱり慣れてるね」
ワインの開け方にそう言われても、褒められてるのかよくわからない。
「そうか……?」
などと、中途半端な返事をしながら、グラスに注いだ。
少し琥珀がかった液体が、二つのグラスを満たした。白ワインだ。
「かんぱーい」
ちん、と一方的にグラスの音を立てると、メイファはグラスに口をつける。
「ふーん、けっこう飲みやすいかな」
そんなこと言ってるとこを見ると、たまには祖父のご相伴をしてたのだろう。フリックも口をつけた。
メイファが言っていたとおり、けっこういいモノのようだ。
確かに、おいしい。
あっという間に、グラスを開ける。
「あら、いけるクチなんだ」
言いながら、メイファが二杯目を注いでくれる。
「……なぁ」
「なぁに?」
ゆっくりとグラスを傾けてる彼女のは、まだ半分は残っている。
それを見ながら、フリックは一気に近い状態で、二杯目のグラスを開けた。
ケガのせいでだいぶ体力が落ちているのだろう、軽く酔ってきているのがわかる。
「どうして、訊かないんだ?」
「…………」
メイファは、少し微笑んだ。
「訊いて欲しいの?」
いままで、訊いて欲しくなどなかったことだ。それは、確かだ。でも。
なにも言わず、黙って見つめていると、メイファは視線をはずす。
それから、いつもより早口に言った。

「『どうして、あなたの剣には、名前、がついてないの?』」

言ってから、もう一度、フリックのほうを見る。
「そう、訊いて欲しかったの?」
「訊かなかったのは、わかっていたからじゃないのか?」
「知らないわ、答えなんて」
メイファの瞳に、あの時と同じ『影』がよぎる。
「だって、あの剣、名前付いてることになってるでしょう?」
「そうさ、名前が付いてることになってる」
フリックは、自然と皮肉な笑いがこみ上げてくるのを感じる。
「いちばん大事な人の名前がね」
「誰も、愛したことなんてないのに」
ぽつり、と言ったメイファは、表情を消して黙る。
口を開きかけたフリックを、いつもより高い声でさえぎる。
「あ、ごめん、グラス空いてたね」
そして、言葉通りフリックのグラスを満たし、それから自分のグラスを空けて立ち上がる。
「ごめん、ちょっと疲れたみたい……先に寝ようかな」
身を翻そうとしたメイファの腕を、フリックはつかんでいた。
「やっぱり、答えを知ってるじゃないか」
『影』を含んだその声に、メイファの肩がびく、と震えた。
「聞こえたよ、君は知ってる、俺が誰も愛せない、って」
フリックの『影』を含んだままの声が続く。
「そうだよ、俺は、愛してるフリをしてただけだ」
「…………」
「君はそれに気付いたから、驚いたんだ」
メイファは、身をよじってフリックの腕をふりほどこうした。が、弱っているとはいえ、フリックの力に敵うはずもない。
メイファは、フリックを睨みつける。
「だから、なに?誰にも言うつもりなんてないわよ、脅したりもしないから、安心してちょうだい」
「…………」
表情のこもらない、『影』だけのフリックの表情が、瞳が、じっと見ている。
メイファの強気の表情が、消える。
怯えた瞳が、フリックを見上げた。
「やめてよ、思い出させないでよ」
まだ、フリックはなにも言わない。
「私は、どうやって生きてくか、ちゃんと決めたわ……それは、もう関係ないのよ」
「本当に?」
「…………」
訊いたフリックの顔に、表情が戻っている。
「本当に、まったく、関係ないか?」
そこにあるのは、苦悩している表情。
「まったく、関係ないと、本当にいいきれるか?」
たたみかけるような質問に、メイファからの答えはない。
「君を苦しめるつもりはないんだ、でも、どうしても、訊いてみたかった……同じモノを持ってる人に」
忘れると、関係ないと、それが自分だからと思って、そのままで本当にいつづけることができるのか、と、フリックが続ける。
「……いつづけるわ」
メイファは、そう言った。
「いつづけてみせるわ」
睨みつけるような、挑戦的な瞳がこちらを向いている。
「……そうか」
フリックは、つかんでいた腕を緩めた。いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「ごめん」
妙に静かな声に、メイファは睨みつけるような瞳をそらす。
「……それ以外に、どうしようもないじゃない」
声が、いつものと違う。微かに震えている。
「あなたがいちばんよく知ってるはずだわ、そうする以外に、なにができるのよ」
「……ごめん」
小さな肩を抱き寄せる。彼女の声が震えている理由がわかっていたから。
彼女が、どうして、それ、を決めたかは知らない。
でも、あまりにも、痛いことは知っていた。
自分と同じだから。
メイファのことを、勝手に強いと思っていた。
この一週間、医者としての顔しか見せずに入られる彼女を見ていて、そう思っていた。
本当は、気付かなくてはいけなかったのだ。
夕食のとき、一瞬見せた笑顔で。
メイファも、普通の女の子なのだ、と。
抱き寄せられた肩が、一瞬強ばる。
「思い出させて、ごめん」
フリックは言った。
「これは、その分の、責任」
小さな肩の力が少し抜けた。あとは、小刻みに震えている。
ただ、フリックはその肩をもっと強く抱き寄せた。

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