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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 9〜

強く抱き寄せてすぐ、だ。
くすくす、という笑い声が漏れてきたのは。
「……?」
腕が緩んだので、メイファはするりと抜けると、こちらに笑顔を向けた。
「ざーんねん、泣いてないんだな」
妙に明るい笑顔が、返って、フリックが機械的に抱き寄せたことを見透かしているようで、戸惑う。
自分の中のなにかを、見透かされた気がして。
戸惑っているうちに、彼女は扉の向こうへと場所を移していた。
「おやすみなさい」
「メイファ?」
思わず、声だけで追いかける。
もう一度、彼女の顔がこちらを見た。さきほどまでの、なにかにはしゃぐような笑顔とは、違う笑顔が、こちらを見ている。
どこか、奇妙な笑みが浮かんでいる。
無理しているというより、何かの感情が、現れないようにしている笑顔だ。
「慰めようとしてくれて、ありがとう」
「……おやすみ」
それ以上は、引き止められずに、彼女の姿は消える。
気のせいでは、ないと思う。
涙が零れ落ちなかっただけで。確実に、メイファは泣いていた。
泣きたかった、が正確なのかもしれないが。
これには、絶対の自信がある。
ただ、彼女はそれを、笑顔で呑み込んでしまった。
どうして、と思って、ふ、と気付いた。
苦笑が、口元に浮かんでくる。
よく考えたら、当然だ。
彼女は、同種の人間なのだから。自分も、人前で弱みを見せるなど、するつもりもないし考えもしない。
メイファも同じコトをしただけだ。
でも、彼女は、一瞬ではあったけど、こちらに躰をあずけたように見えたのは、気のせいではなかったと思う。
なにかを感じ取ったかのように、すりぬけた。
フリックが抱き寄せたのは、機械的なものだと敏感に感じ取った、としか思えない。
彼女は、いままでの女たちとは、違う。
真実か嘘かの見分けをつけることなく、自分に身を委ねてくる女たちとは。
ただ、自分の気持ちが楽になればいい女たちとは、確実に違う。
『抱きしめていて』
そんな単語を、かつて、何度聞いたのか。
抱き寄せてやるまでの懇願する瞳と、抱き寄せてやった後の安心した瞳。
だが、どちらも自分を本当に見てなどいない。
彼女たちが欲しかったのは、抱きとめてくれる腕。
彼女たちが想っている人を、思い出させてくれる腕。
誰も、自分を見てくれない。
行き場のない孤独。
どうすれば、開放されるんだろう?
開放?
そこまで考えて、ぎく、とした。
孤独なことは知っていた。それは、母が狂いだしたその時から。彼女の瞳に、自分が自分として、映らなくなってから。
諦めたはずだ、とうに。
永遠に孤独。
終わりなどないと。
そう、諦めたはずなのに、いま、なにを思った?なにを望んだ?
苦笑は、いつのまにか消えていた。
かわりに、彼の顔を支配したのは、怯え。
自分で、自分の望んでいることに気付くことが、怖い。
気付いたら、どうなってしまうだろう?
いけない。これ以上考えては。
思うのに、思考は止まらない。
気付いたら、求めるだろう。自分の望むものを、手に入れることを。
気付くのが怖いのではなくて、気付いた後の自分が怖い。
まだ、テーブルの上のボトルの中身が残っているのに気付いて、ひったくるようにそれを掴むと、そのまま喉に流しこむ。
頭が、ぐら、とするのがわかる。
その勢いで、部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
気付きたくない。知りたくない。
自分がそんなに、弱い人間だなんて。



子供が、泣いている。
小さな、小さな子供が、顔を両手でおおって、しゃくりあげながら泣いている。
声すらあげずに、泣いている。
肩が微かに震えてるから、泣いているのがわかる。
声は、我慢しているのではなくて、でないのだ。
本当は、大声を上げて泣きたいのに、声が出ない。
出せない。
ただ、一人でずっと泣いている。
彼が泣いていることに、誰も気付いていない。
ふ、と誰かの手が、頭に触れるのを感じて、少年は顔を上げる。
にこ、と優しい笑みが、こちらを見つめている。
「……おか……」
言いかかった台詞は、目前の人の声に遮られる。
「……」
そして、きゅ、と抱きしめられる。自分の名ではないものと共に。
少年は、強く相手を突き飛ばす。
「違う!」
彼女の姿はかききえる。かわりに、つい最近までいとおしいふりをしていた彼女の姿が現れる。
やはり、眩しいくらいの笑顔で。
そして、違う名を呼ぶのだ。自分の名ではない名を。
彼は、それも突き飛ばした。
「違うったら!」
何人も、何人も、少年を違う名で呼んでは、抱きしめる。
違う、違う、違う。
「何が、違うの?」
不意に、落ち着いた声が聞こえて、少年ははっとする。
「ねぇ、何が違うの?」
声が続く。
「それで満足だったんでしょう?」
声のぬしの姿が、おぼろげに見えてくる。
「だから、私もそれでいいと思ったんでしょう?」
メイファが、目前に立っていた。
自分の腕からすり抜けた後の、奇妙な微笑みでこちらを見つめている。
「違う!」
違うから、彼女に訊ねたのだ。そのままでいいのか、と。
なのに、その後の自分は。
少年の姿は、いつのまにか、いまの自分になっていた。
「違う……でも……」
「でも?」
メイファは、首をかしげてみせる。
欲しいものがある。わかってる。どうしようもない。
最初から、ずっと。
ただ、わからなかったのだ。
手に入れる方法が。
だって、手に入らないと思っていたから。
ねぇ、欲しいとさえ、言ったことがないんだよ。言ったら、どうなるんだろう?
「どうしたら、いいんだよ?」



なにか、揺れる感覚と声がして、それから、光が飛び込んできた。
それから、覗き込んでいる、影。
それがメイファなのは、すぐにわかる。が、これが夢なのか現実なのか、少し、判断に戸惑った。
先ほどまでのは、確実に夢だ。でも、今は?
「大丈夫?なんか、うなされてたみたいだけど?」
「……ああ、うん……」
歯切れの悪い返事をしながら、躰を起こす。すっかり見慣れた景色は、寝室として借りている部屋のものだ。
それから、白い布に包まれたままの愛剣。
確実に、現実だ。
「大丈夫」
心配そうな表情だったメイファは、フリックの口調がしっかりとしたことに安心したのか、少し肩の力をぬく。
「ずいぶん、汗かいてるわよ」
そう言って、肌触りのいいタオルと差し出してくれる。
まったく昨日と変わらない表情と行動に、ほっとしている自分がいる。
「じゃ、朝ご飯準備してくるからね」
あっさりと言って、きびすをかえすとこも、全部。
まるで、昨晩のことも、さっきまでの夢の中のような気分になる。
でも、あれは間違いなく現実で。
永遠に、孤独なんだと思ってた。
それが、当然だと。
望むことすら、許されないと。
彼女は、許しかけていた?
自分は、望まない、と言いながら?
望んでも、いいんだろうか?

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