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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 10〜

昨晩、何事もなかったかのように、一日は始まった。
笑顔でメイファが顔をだし、朝食ができたことを告げる。
歩くことの練習も兼ねて、食事は居間で取ることになっている。用意されている朝食も、いつもとかわらず、いい香りをさせている。
でも、昨晩の出来事が、フリックの中で消えるわけはない。
そして、メイファも、同じはずだ。
が、昨日の影は、どこにもない。
会話も、普通だ。
しゃべりすぎるということもない、そんな、穏やかな時間。
食事もそろそろおわる、というころメイファが口をひらいた。
「今日ね」
「うん?」
「買い出しに、行ってくるから」
そういえば、昨日くらいから生野菜が食卓にのぼることがない。そろそろ、前に買いだしたモノが底をつく頃なのかもしれない。
「ああ」
「基本的に誰も来ないはずだけど」
少々、心配そうな表情だ。
フリックは、微笑む。
「気をつけるよ」
「ごめんね」
外を自由に歩き回ることができないこと、だろう。その表情は心配そうなモノから、すまなそうなそれにかわる。
首を横に振ってみせる。
「いや、押しかけたのはこっちだからな」
言われて、二人が現れた日を思い出したのだろう。メイファは笑顔になる。
「ホント、押しかけるって単語がぴったりね」
それから、立ちあがる。
「さて、と、片付けたら、行って来るね」



メイファが出かけてから。
することがなくて、フリックはいつも通りに本棚の本を手に取る。いつも通りに薬草学の本を開こうとしたが、すぐに閉じて、もう一度、昨日見た古ぼけた本を開いた。
この村の『しきたり』を書いた本を。
ぱらぱらとめくってるうちに、『喪』に関することを記したページを見つける。
祖父の喪に服しているところだ、とメイファは言っていた。
それもまた、細かく規定された様々なことがあるのだろう。
興味を覚えて、思わず読みふける。
が、ほどなくして彼の眉は、おそらくは無意識によせられた。
いろいろ定められている、とは思ったが、あまりにも細かすぎはしないだろうか。
昨日、初めてこの本を開いた時にも感じたことだが、まるで、なにかに怯えるかのように、古い『しきたり』を守りつづけている村だ。自分の生まれ育った『戦士の村』もかなりうるさい方だったと思うが、それなりに時の流れに柔軟に対応してきた。
この村には、それすらもないのだ。
そんなコトを思いながら、さらにページをめくる。
そして、ある項にたどりついて、思わず手を止めた。
もう一度、同じ行を読み返す。
読み間違いかと、思ったからだ。
だが、そうではないようだ。
ひどく困惑した表情で眺めていたフリックの顔に、やがて、いたずらっぽい笑顔が浮かんでくる。



一瞬の間の後、メイファは返事する。
「ええ、まぁ」
口調の方はあいまいになってしまったが、表情はかろうじて笑顔になったようだ。
だからといって、危機を脱したことにはならないが。
だが、すでにワナには落ちてしまった。
と、いうか、完全に忘れていた自分が悪いのだが。
そう、今日は、服喪中のイベントのひとつをこなさなければいけない日だったのだ。
あまりにも、いろんなことが起こりすぎて、すっかり忘れていた。
声をかけてきたほうはメイファが出てくるのを待ち構えていたようで、もし今日、買出しにでなかったら、押しかけてきたに違いない。
そういうタイプのおばさんだ。
家を守ることだけを美徳とされる女たちにはすることがないので、自然、自分の参加が許される数少ないイベントには、実に敏感に反応する。それはもう、こちらが辟易するくらいに。
「まだ、準備ができてないので……」
出来てから、再度、呼びに来る、と言いたかったのだが。
己の活躍の場を提供された、と相手は、判断したらしい。
満面の笑顔が、浮かんだ。
口を開くより先に、相手の言いたいコトはわかる。
「ついてって、一緒に準備してあげるからね」
こちらの意思など、完全に無視である。
が、ヘタに否定したら、なにを詮索されるかわかったモノではない。
あとは、家に帰り着いた瞬間、何らかの方法で家にいるフリックに、つれがいることを知らせるしかないだろう。
察しのいいほうだ、きっと気付いてくれる。
気付いてくれることを、祈るしかない。
もともと必要だったモノのほかに、服喪中のイベント(?)に必要なモノも買い揃えて、家に向かう。
隣で元気よくしゃべりまくっているおばさんに、適当に相槌をうちながら、どうやって知らせたものかと考えつづける。
もっとも、この調子でしゃべりつづけてくれるなら、自分がなにもしなくても、来客があることは伝わりそうだけど、とも思う。
結局、うまい考えも浮かばないまま、家は目前になる。
あまり不自然な行動もとれない。扉を開けながら、大きめな声で言う。
「ホント、準備は全然で……」
そこで言葉が途切れたのは、部屋の様子に驚いたから、だ。
あつかましくも(当人は親切のつもりで)ついて来た方も、無言になる。
「全然どころか、完璧じゃないのさ」
つまらない、とでも言いたそうだ。
「あ、はぁ、一人で準備するのは初めてなので、自信がなくて……」
少々しどろもどろに、メイファは言い訳をする。
大きく肩をすくめてから、おばさんは背を向ける。
「こんだけ準備できてるなら、ワタシ一人じゃしょうがないね、あとを呼んで来るよ」
「よろしくお願いします」
見送ってから、慌てて本当に準備が完璧なのか、を確認する。
玄関先の様子だけで、おばさんは諦めたようだが。
メイファだってバカではない。この準備を整えてくれたのが誰なのか、はわかる。
自分ではないのだから、フリックしかいない。
そして、フリックは、男なのだ。

フリックは、もの影から様子をうかがっていた。玄関のすぐ近く、だが、メイファたちが気付いた様子はない。
当然だろう、気配を消すくらいは、朝飯前のことだから。
どうやら、メイファは村のおせっかい焼きと一緒に帰って来たようだ。
きっと、玄関をあけて驚いたことだろう。
すっかり忘れていたはずの儀式の準備が、整っているのだから。
しかし、すっかり忘れさせてしまったのは、自分たちの責任だ。
メイファがいくら村の『しきたり』に辟易していると言っても、それを守らないつもりは、ないのだから。
突然飛びこんできた自分たちの世話で、ペースが崩されてしまっている。
それに、と思う。
昨日のことも、あったし。
いくら、なんでもないように振舞っていても。
記憶から、消えるわけではない。
彼女の確固たる意思を、一瞬でもぐらつかせた。
そんなこと、したかったわけではないのに。
本当だったら、これ以上迷惑をかけないためにも、このまま旅立つのが本当だろう。
ビクトールとも、その話はしてあった。
もし、万が一、ビクトールがいない間に、ここを離れざるを得なくなったら、どうするか、を。
いまがその時だと、思う。
だけど。
気付いてしまった。
自分の欲しいものに。
まだ、手探りだけど。
だから今は、離れられない。
一人では、旅立てない。



家に留まっている魂を天への道へと送り出すという、なんとも古風なイベントを終えて、おばさんどもを送り返し終えて、ほっとため息をつく。
フリックの準備は、完璧だった。
この村では、天へと向かうことは、祝うべきことなのだ。
苦しみのあふれる地の呪縛から、解き放たれるから。
だから、飾られるのは、祝いを示す紅い花。
彼には、見える。
彼は、見ることが出来る。
見ることの出来る者も、いるのだ。
そう、忘れていた。外には、いくらでもいるのに。
「…………」
それにしても、フリックはどこに行ったのだろう?
準備をしてくれたというコトは、この村の『しきたり』を書いた本を見たというコトだ。だとすれば、人が来ることも察して、どこかに姿を隠したに違いない。
そこまで考えて、メイファはぎくり、とする。
隠した、のではなく、立ち去った、かもしれない。
ちょうどいい、機会ではないか。
様子を見に出たビクトールだって、そろそろ戻ってくる頃だろう。
うまくすれば、森の中で落ち合える。やむをえない事情ができたときにどうするかくらい、彼らなら考えているだろう。
本を見たのなら、フリックは知ったはずだ。
死者を送るための儀式は、まだ、あることを。
迷惑を、かけたがってはいなかった。
出て行ったかもしれない。
いや、きっと、出て行った。
その方が、いい。
これ以上、一緒にいたら。
あまりにも、彼と自分は似ている。
共鳴してしまう。
彼をゆらすことは、自分がゆれること。
だから、これでよかったんだ、と思う。
でも、予告もなにもなしで、いなくなってしまうと、少し、こたえる。
なにも、言うコトのできないまま。
言いたかったことは。
今日のお礼?
それとも、お別れ?
違う、そうじゃない。そうではなくて。
前に行けるかもしれなかった。
もっと一緒にいることができたなら。
もっと、考える時間があったなら。
でも、それはもう、なくなってしまった。
そう、チャンスは、一度与えられたのに。
その手をとらなかったのは、自分。
「…………」
なくなってから、気付くなんて。
前に、行きたかった。
縛られてなんて、いたくない。
だけど。
「メイファ」
聞き慣れた声がして、びくり、とする。
フリックが、笑顔で立っていた。
「無事、終わったみたいだな」
楽しそうな笑顔。メイファが驚いただろうコトを、予測している笑顔だ。
「……旅立ったんじゃ、なかったの?」
思わず、聞き返す。
聞かれたフリックは、メイファ以上に怪訝そうな顔つきになる。
「どうして?まだ、旅に出てイイって許可もらってないじゃないか?」
生真面目な、らしい返事。
「ええ、そうね」
自然と、笑顔になった。
「許可は、もう少し、先だわ」

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