□ この手が届くところ 1
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朝の定時連絡を入れる前に、ジョンはざっと確認を取る。
スコットの姿は、部屋にもキッチンにも無い。一号のメンテナンスデータにもアクセスしていない。
いつも通り、一号の目視点検をしているのだろう、と通信回路を開く。
「?」
いつもなら、すぐに笑顔と共に挨拶があるはずなのに、そもそも姿が映らない。
軽く眉をひそめつつ、声をかけてみる。
「スコット?」
返事も無い。
ということは、通信回路の不調だろうか?先程まで、間違いなくきちんと見ることが出来ていたのに。
背景にまで通信回路を広げて、どうやら一号の格納庫に繋がっていることは確認する。
首を傾げながらも、カメラを振ってみると。
「ッ、スコット?!」
くたり、と格納庫の角に座り込むように寄りかかっている影がある。あのペールブルーのシャツは間違いなくスコットだ。
ジョンの声が聞こえたのか、うつむいていた顔がのろのろと上がり、中空に浮かぶジョンへと、焦点が危うい目が向けられる。
『……ジョン?』
「スコット、どうしたんだ?!大丈夫か?!」
焦って投げかける声を、きちんとスコットの耳は捉えたらしい。ふ、と口元が緩い弧を描く。
『ああ……大丈夫……ジョンこそ、どう、した?』
どう見ても大丈夫な様子では無いのに、焦点がぼやけた目も微かに笑みをたたえる。
『そんな、顔……?大丈夫、だから……』
ホロということがわかっているのかいないのか、ゆらり、と持ち上がった手がジョンの頭を撫でるように動く。
『…………』
口元は動こうとするが、何か言葉を綴ることは出来ないまま、ことり、と腕が落ちるのと同時に瞼も落ちてしまう。
「スコット!スコット!!」
何度も呼びかけても、荒い呼吸音が返るばかりだ。支えてベッドに運ぼうにも、54,000キロも離れたここからではどうにもならない。
もちろん、八分で降りることは出来るけれど、そんなのは自分が待っていられない。
舌打ちをして、通信回路をもうヒトツ開く。
「バージル!」
『うっわ!ジョ、ジョン?』
どうやら、朝食後のコーヒーでも飲もうとしていたらしいバージルは、突然の声に慌てて口元からカップを離す。
酷く驚いた顔が上がるが、構っていられない。
「バージル、スコットが一号の格納庫のところで倒れてる」
『!』
眉を寄せたなり、バージルも返事もせずに走り出す。
すぐに、元の通信回路の先へとバージルの姿が映る。
『スコット!』
肩を揺さぶってみているようだが、先程のように目が覚める様子は無い。
バージルが、眉を寄せたまま顔を上げる。
『熱がある、だいぶ酷い』
言いながら、さすがというべきか兄の身体を簡単に持ち上げる。
『ジョン、すまないが医者を呼んでくれ』
「了解、頼む」
それしか言えずに、ジョンが告げると、気忙しげにバージルも頷く。

ジョンが降りてスコットの部屋を覗くと、すでに医者は帰ったらしく、その枕元には、バージルが腰かけていた。
気配に振り返ったバージルは、ため息混じりに告げる。
「案の定っていうか、過労だとさ」
「驚くにあたらない」
ジョンが肩をすくめて返すと、バージルはもう一度ため息を吐く。
どちらからともなく動かした視線の先には、荒い呼吸を繰り返すスコットがいる。腕からは点滴の管が伸びて、ぽつ、ぽつ、と定期的に透明な液体が落ちていく。
「診察の間、気が付いた?」
「いや。ジョンが見た時には、倒れてたんだろ?」
「……ああ」
ぽつ、と返してから、まっすぐにバージルを見やる。
「見つけたの僕だから、看病は任せてくれないか」
こじつけだが、五号から降りてきたというアドバンテージのおかげか、あっさりとバージルは頷く。
「長引くなら交代だぞ」
「わかってる」
バージルが部屋を出て、扉が閉まりきってからスコットの側に行く。
この部屋に立った一つの椅子に腰掛け、力無く投げ出されているスコットの手に、そっと触れてみる。
当然だが、今度はきちんと触れることが出来、熱の高さを伝えてくる。
けれど、荒い呼吸を続ける顔色は悪い。
知らず、眉を寄せる。
昨晩も、海千山千の連中と通信で渡り合っていた。それでなくともオーバーワークに睡眠不足を重ねて身体的には疲労が限界だったところで、精神的にも疲弊しきってしまったのだろう。
なのに、弟が心配してると知れば笑おうとする。
あの時、ジョンを撫でようとして空を切った手は、今は触れても力が入らないままだ。
誰かを助けるためには簡単に差し出されるのに、けして自分の助けは求めない手。
思わずため息を吐いた時。
微かに、スコットの瞼がわななく。
「スコット?」
思わず手を離して覗き込むけれど。
スコットの目は、焦点が合わないままに宙を見やっている。
浮かんだ表情が苦しいというより、ひどく寂し気に見えてジョンは息を呑む。
この瞳には自分は映っていない、となぜか確信出来る。
スコットの口元が微かに動いて、それから指先が持ち上がろうとする。
けれど、次の瞬間には、きゅ、とシーツを掴み、唇も噛みしめられてしまう。
そのまま、また瞼も閉ざされる。
まるで、誰かを呼ぼうとしたのを耐えて止めてしまったかのように。
いや、間違いなく、誰かを呼ぼうとして、すがろうとして、我慢してしまった。
父なのか、母なのか、他の誰かなのか、自分では無いことだけは確かだ。
幼い頃から、いつも誰かにすがられる側だったスコットは、何かあった時もこうして一人我慢していたのだろう。
シーツを掴んでしまった手に、もう一度そっと触れる。
ジョンの手の暖かさに溶かされるように、ゆっくりとスコットの手から力が抜ける。

その回復力がいいのか悪いのかとは思うが、昼を回った頃には少し楽そうな呼吸になってきて、ジョンはほっと息を吐く。
温まってしまった額のタオルを絞り直して振り返ると、ふ、とスコットの瞼が開くところだった。
ぼんやりとはしているが、きちんと焦点は合う。
「……ジョ、ン?」
「倒れたんだよ、熱があるんだ」
軽く肩をすくめて返し、額にタオルを乗せ直す。
は、と小さく、まだ熱い息を吐いたスコットは、自分がどうなっているのかを理解したらしい。
「そ、か。……すまない、ジョンが、みつけてくれた、のか」
声が掠れ切っているのに無理に話をしようとするのに、ジョンは少し眉を寄せる。
「スコット、水飲んだ方がいい」
告げれば、また自力で起き上がろうとするものだから、腕を回して少々無理矢理に支える。
「ジョン、だい」
大丈夫、と言いそうになるのを言いかぶせてしまう。
「ふらふらしてるよ、はい、水」
「……ああ」
いつもよりずっと緩慢な動作で、蓋の空いたボトルを受け取って流し込んだまではいいが、その動きでめまいがしたのか、ぐら、と体が揺れる。
支え直しながら、水のボトルを受け取る。
「悪い」
とは言うが、自力で体を支えていられないらしく、ジョンに寄りかかったままだ。
「悪く無い。ねぇ、スコット。そんなに頼りないかな」
「え?」
スコットがこの姿勢でいるのは辛いのはわかっていつつも、体重を預けてくれているのを離しがたくて、そのまま言葉を続ける。
「だから、僕は、そんなに頼りない?」
「そんな、つもりは」
「じゃあ、こんな体調が悪い今くらいは、頼ってくれ」
我知らず、絞り出すような声になる。
それをどう聞いたのか、スコットはややしてからぽつり、と返してくる。
「……もう少し、水が欲しい」
「わかった」
今度は、先程よりは首を持ちあげずに飲んだせいか、めまいは起こさなかったらしい。
「ん、もう、いい」
告げてる間にも、ずる、と滑って来たので、さすがにこれ以上起きているのは無理だと、横たわらせてやる。
額に絞り直したタオルを乗せ直すと、スコットはまた熱い息を吐いてから、口を開く。
「ジョンには、ずいぶんと頼ってるつもり、なんだが」
「え?」
意外な言葉に、思わず瞬きしてしまう。
いつも、何もかも一人で片付けてしまう癖に自分に頼っている、とは。
「レスキューの判断とか、ほとんど任せっぱなしだし。前より、五号からも、降ろしてやれないし……なのに、アランたちの面倒も」
少し、苦しげに眉が寄る。
「ジョンには、負担かけてばかりだ、と」
まさか、そんなことを思っていたとは。
正直、苦笑するしかない。
「スコット、そんなの負担のうちに入らない。少なくとも僕にとってはね」
だって、スコットの役に立ちたいのだから。
いつも、ジョンたち家族のことをレスキューの相手を、守ることばかり考えている兄の、誰よりも頼れる相手でありたいのだから。
「もっと頼って欲しいくらいなんだけど」
困ったような顔のまま、スコットは一応は頷く。
「……考えとく」
「そうしてくれ。ひとまず、今日のところは僕に頼ってよ、ね?」
ほんの少し、弟の我儘も滲ませて頼んでみる。
「もう、たくさん、助けてもらってる……」
疲弊しきった身体にはまだ起き上がるのはキツかったようで、相変わらずスコットらしい言葉は最後までつづられること無く、瞼はゆるゆると閉ざされていく。
寝息をたてはじめたのを見届けてから、また、投げ出されたままの手に触れてみる。
まさか、ジョンを頼っているつもりだったとは。
この程度で、とは思うけれど、それでも嬉しい。うっかりと口元が緩んでいることに気付いて、苦笑する。
ああ、そうか。
少しだけ、悔しかったのだ。
スコットが、自分では無い誰かにすがろうとしていたのが。
これからは、もっとジョンを頼っていいと少しは思ってくれただろうか。
同じくらいの体格なのに、なぜか大き目の骨ばった手を握る。
せめて、辛い時くらいは自分にこの手を伸ばしてくれるように。
そして、どうか。
月よりも遠いところに行ってしまいませんように。
そう、祈りを込める。



2015.10.22 He has a fever.


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