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Splendid Game

 常茶飯事  It's an everyday affair.

「おやおや」
彼は、相手の出したモノを見て、むしろ嬉しそうな声で言う。
「随分と物騒なモノを出すじゃないか」
そう、それは物騒としか表現のしようの無いシロモノだ。
拳銃、という名称を与えられている、金属の塊。型式は少々古そうだったが、手入れは行き届いているようだ。
力にモノを言わせて抑え込むのに慣れているであろう相手は、我慢も限界に近いらしい。
「黙れ!ホームズ、これ以上ゴタクばっかり並べやがると、ぶっとぱなすぜ!!」
ホームズ、と呼ばれた彼は、相変わらず慌てた様子はない。
澄んだ湖のように蒼い瞳に笑みを浮かべながら、淡めの色の髪をかきあげる。
ほとんど黒に見えるほどに深いグレーの三ピーススーツの上着だけを脱いでいるおかげで、ピンストライプのワイシャツの仕立ての良さ、ネクタイの質の良さだけでなく、カフスの趣味の良さもよくわかる。
彼のフルネームは、シャーロック・ホームズ。
ヨーロッパでは知らぬ者はいない、名探偵の名を欲しいままにしているその人だ。
二十代後半くらいに思われることが多いから、実際の年より少々若く見えているということになる。
それは、悪戯っぽい瞳と表情におうところが多い。
「そんなにいきり立たなくてもいいと思うけどねぇ」
言いながらホームズは、こともあろうに銃を向けた男に背を向けて窓の外に目をやる。
「ま、そろそろアフタヌーンティーの時間でもあるし」
のんびりと言いながら、笑顔のままの視線を戻す。
「ゆっくり話すことにしよう」
「こっちは、そんなつもりはないね」
男は、舌打ちをしてみせる。
「僕も忙しい時間を削ってるんだけどなぁ」
ぼやくように言うホームズに、男はイライラをさらに募らせたようだ。
「んなモンは、てめぇがおとなしく手を引きゃあ……」
言いかかった台詞は、扉の向こうから聞こえてきたカチャカチャという音に遮られる。
男はびく、としたように肩をすくませた後、銃をホームズに向けたまま、鍵穴から様子を伺う。
「なんだ、女じゃねぇか」
ホームズのほうに視線を戻した男の顔には、初めて余裕のある笑みが浮かんでいた。
「人質にはもってこいだなぁ?」
ホームズの顔から、はじめて笑顔が消える。
男の笑みが、ますます大きくなった。
「あせっても、もう遅いぜ?」
言いざま、男は自分の背後の扉を勢い良く開ける。
次の瞬間。
「やぁ」
という、しごくのんびりした挨拶と共に、男の額には冷たい銃がつきつけられていた。
男の目前に立っているのは、白衣の青年だ。
白衣とあわせることを意識してか、彼のワイシャツは爽やかなブルーで、ネクタイも明るめだ。
注意深い者ならば、その白衣から微かな消毒薬の臭いがしていることに気付いただろう。
彼は、医者なのだ。名前はジョン・H・ワトソン。
世間ではホームズの相棒で、記録者としての方が有名だが、ご近所ではいいお医者サマの印象が強い。
何が起こったのか把握しきれていない男に、ワトソンはにっこりと微笑みかける。
「君がトリガー降ろしている間に、僕は撃てるけど、どうする?」
言われて、よくよく手にしている銃を見ると、すでにトリガーは降ろされている。
男は正確に自分の立場を把握したらしい。
銃を離して、おとなしく両手を上げる。
「いいこだね、そのまま大人しくお帰り」
ワトソンの台詞に、ちっと舌打ちをしてから男は階段を降り始める。
が、すぐに先ほど鍵穴から見えた女性が茶器を持ったまま、たたずんでいることに気付く。
彼女と目があったが、彼女のほうはお客サマの邪魔にならぬように、程度の表情しか浮かんでいない。
が、男の方は微かな笑みを口元に浮かべた。
すばやく、上着のポケットに手を入れる。
取り出された手には、白い光を放つナイフが握られていた。
……ように、見えた。
ひゅー、と口笛を吹いたのは、ホームズ。
ワトソンの持った銃から、白い煙がうすく立ち昇っている。彼の顔からは、笑みが消えていた。
「僕は、大人しく、と言ったはずだよ」
男は、返事をする余裕もなく、自分の腕を抑え込んでいる。
血が出ていないから、直に弾が当たったのはナイフの方だったようだが、それでも衝撃は相当なモノだ。
「お、覚えていやがれっ!」
搾り出すような声を出すと、外へと走り出して行く。
「だ、そうだよ、ホームズ」
にこ、と微笑みながら、ワトソンが振り返る。
「お決まりのスイートソングだね」
ホームズも、にこり、と微笑む。
「あんまり数が多すぎて、覚えきれないよ」
「いまのは、例の男爵の手の者だろう?」
銃を自分の机に置きながら、ワトソンが尋ねた。
ホームズは、楽しそうな表情のまま、頷いてみせる。
「そうさ、今頃、レストレードがお訪ねしている頃だよ」
「まぁ、じゃ、今のが最後の悪あがきでしたのね」
茶器をテーブルに置きながら、見事な金髪の彼女が首を傾げる。
「悪あがきにもなりませんよ、レディ・アリス」
「ホームズには、いい暇つぶしだったんだろ?」
ワトソンは白衣も脱いでから、肩をすくめる。
そして、この家の家事を取り仕切るアリス・ハドソンの方を、少々心配そうに見つめる。
「アリス、大丈夫だったかい?」
「ホームズさんとジョンがいるんですもの、大丈夫に決まってるわ」
華のような笑顔と共に、ティーポットを手に取る。
「さ、暇つぶしの続きに、お茶をどうぞ」
「暇つぶしだなんて、レディ・アリスのお茶菓子ほど楽しみなものはありませんよ」
にこり、ホームズは微笑む。
「お得意のミルクスコーンだね、嬉しいな」
ワトソンも、笑顔で席につく。
「ホームズさんのおかげで、美味しいクロッテドクリームが手に入るんですもの」
二人が取りやすいように茶器を並べて、立ち去る前にアリスはちょこん、と首を傾げた。
「ジョンは、いつ帰ってきたの?」
「ん?ついさっきだよ?」
「じゃ、どうしてホームズさんのところへ来たお客様が、ちょっと物騒な方だってわかったの?」
「帰ってきたら、満面笑顔のホームズが窓からこっち見てたから」
ワトソンは、器用にミルクと紅茶を同時に注ぎながら、なんでもないように言う。
が、アリスのほうはわけがわからなそうだ。
ホームズの分の紅茶も注いでやりながら、ワトソンが補足の説明をする。
「ホームズが満面の笑みってことは、機嫌がいいってこと、イコールなにか事件ってこと」
それはとてもよく理解出来る。アリスは、こくりと頷いてみせる。
「でも、驚かすのが趣味のホームズは、部屋に入る前に事件だと教えるような真似はしない」
そこまで言われれば、アリスにもどういうことか理解出来る。
「ということは、部屋の中でなにか異変が起こっている……ということですのね」
「ご名答」
スコーンにクロッテドクリームとジャムをつけながら、ホームズがにこり、と笑う。
「お二人らしい、合図ですわね」
ホームズとワトソンは、顔を見合わせる。
それから、どちらからともなく笑い出す。
「そうだね、そうに違いないや」
「まったく」

これは、そんな出来事が『日常茶飯事』な彼らの物語。

-- 2001/11/11



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