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夏の夜のLabyrinth
〜1st. 緋闇石〜

■fragment・5■



敵とはいえ、殺さなくてよい、というので、随分気が楽になった気がする。
ここ二週間の自分の動きは、他人に言われなくてもそれまでの一ヶ月より、ずっと良くなっているのがわかる。
『龍牙剣』で出来るのは、峰打ちだけではない。斬ると言うことひとつでも、なにを斬りたいかを念じることで、様々な攻略が可能になるのだと知った。
でも、なにより見事なのは、亮が、忍の成長の常にちょっと先の作戦を立てて見せることだ。
忍が、これは出来る、と確信出来ることより、少しだけ難しいことを提示してくる。
絶対の自信に満ちた顔で言われると、間違いなくこなせる気になるから不思議だ。
それだけではない。
忍の技量が上がるのと同時に、ジョーも須于も麗花も、その動きが良くなっているようだ。
お互いの動きが読めるようになってきたのも一因だろうが、忍の技量がぐんぐん上がっていくことに刺激されて、周囲も技量を上げてきているのだ。
そんなこんなで、この二週間の成果は目をみはるモノがあった。
二箇所に展開していた『紅侵軍』の陣のひとつを、引き払わせてしまったのだ。
ただ、その正体がいまだに、まったくわからないのが腑に落ちないが、それでも、後退させることが出来たのは大きな成果といっていいだろう。
しかも、その原因のほとんどを『第3遊撃隊』が作り出したという事実は、自分たちでも信じられない。
その割には、亮の表情は不機嫌に見える。
もともと、普通に笑っているところなど見たことがないが、それにしても、と思う。
なにかに、イラついているように見えるのは、こちらの気のせいなのだろうか?
いや、どうやらそうではないようだ。
急に、内ドア(忍と亮の部屋をつないでいる扉)を開け、こちらを見た表情は不機嫌そのものだ。
そして、有無を言わさぬ声で言う。
「忍、バイク出してください」
『バイクを出せ』というのは、『出撃しろ』の意味に他ならない。
それにしても、司令室にも集まっていないし、自分一人にいうとは、一体どうしたのだろう?
「あちらも、手を変えてきました」
口にはしなかったが、疑問は顔に出たのだろう。
それに亮は答える。
「わざわざ、首都まで出てきて人攫いのマネです」
リスティアの首都、アルシナドは国境から随分な距離だ。
忍達の住んでいるのも、この首都なのだが。
「人攫い?」
「ええ、いま、連絡が入りました。相手が相手だけに、警察も動きあぐねてます」
こちらが、さんざん『紅侵軍』の兵を拉致しているのだから、そういうことは充分に起こりえることではあるだろうが。
それにしても、らしくなく、機嫌が悪く見える。
「なんか、イラついてないか?」
亮は、肩をすくめると吐き捨てるように言う。
「さらわれそうなのは、子供なんですよ」
「子供?!どうして、そんなこと?」
「それがわかれば苦労しませんよ、あいつらの正体ご同様に」
どうやら、亮のイライラの原因はそこらにあるようだ。
どんなに優位に立とうとも、あちらの正体がわからなければ、根本的な解決は見られない。
捕虜ばかりイタズラに増えるばかりで、情報の方はさっぱりなのだ。
そして、現に、いまこうして首都にまででてきて人攫いだ。
正体もわからなければ、その目的もさっぱりわからない。
結局は、わからないことだらけのままだ。
忍は『龍牙剣』を手にしながら立ちあがる。
わざわざ自分に声をかけてきたということは、これが役に立つと踏んだからに違いないから。
「ともかく、まずは子供を助けるのが第一ってわけだ」
「そういうことになりますね」
忍は勢いよく扉をあけると、バイクの置いてある地下へと駆け下りる。
またがったところで、後ろにさらに重みが加わったのに気付いて、振り返る。
亮が、当然の表情で乗っている。
「お前も行くのか?!」
いつも、司令室で指示を飛ばすばかりだったのに。
「性質上、側にいた方が、やりやすいでしょう」
イラついているようだが、冷静さはいつも通りのようだ。誘拐ならば、いつも以上に臨機応変が必須となる。
忍は頷くと、勢いよくエンジンをかける。
「飛ばすからな!」
エンジン音で、なにか変事が起こったのにジョー達も気付いたらしい。
慌てて駆け下りてきたようだが、その時には忍のバイクは飛び出していた。
「な、なんなのよぉ、一体?!」
麗花が、戸惑った声をあげたようだが、それは微かに、後ろの方から聞こえただけだった。



遠巻きとはいえ、起こっていることの性質上、人だかりが出来ているのは仕方のないことだろう。
遠目からそれを見た忍は、思わず舌打ちする。
「ったく、街中でよくやるよ」
亮は、すばやく辺りを見まわすと、忍にささやく。
「あそこの警察の集団に、軍隊の者だと言って、周りの人に退避するよう指示を出してもらってください」
「なんで、お前が言わないんだよ」
「僕は、ほかにやることがありますので」
さきほどまでのイラついた表情はどこへやら、といった顔つきだ。
しかも口調まで、いつもの人の感情を逆なでする慇懃無礼な方に戻っている。
「わかったよ」
それにしても、ただの通勤帰りのサラリーマンにしか見えない集団を、どうして警察だとわかるのか、そこらへんが、天才軍師の才能というものなのかな、などと考えつつ、近付く。
通常のサラリーマンより、ちょっと眼光の鋭い人々がこちらを向く。なるほど、よくよく見れば、普通のサラリーマンではあり得ない。
「こういう者なんですが」
一般向けの方の陸軍所属を示す身分証を見せる。遊撃隊に所属していることは、極秘事項だ。
相手は、不審そうに首を傾げて見せる。
それはそうだろう、誘拐の処理と戦争とは違う。
なぜ軍隊に所属する者が声をかけてくるのか、と疑問に思うのはもっともだ。
どうやって説明しようか、とすこし逡巡する。
「ああ、協力してくれようってのかい?」
いちばん年長そうなのが、分別くさく頷いてみせる。
もう一人が、肩をすくめる。
「でも、軍隊の兄ちゃんに、してもらえそうなことは、ないな」
その時だ、年長者のほうの携帯が鳴る。
「はい?」
眉をしかめて取った彼の表情は、すぐに緊張したものへと変化する。
「あ、警視でありましたか―――え?はい、いますが―――」
戸惑った瞳で、忍の方を見る。
どうやら、話題になっているのは自分のことらしい。
忍の方も、首を傾げてしまう。
「?」
「―――そうでありましたか、はい、わかりました、指示通りにします」
年長の刑事はそういうと、携帯を切り、忍の方にさっきとはまったく違う顔つきで向かい合う。
「警視のお知り合いとは知らず、失礼いたしました。ご協力いただけるのですね?」
言葉遣いまで変わってしまっている。
いったい警視って誰だよ、と思うが、この街中で戦闘時と同じことをしようと思ったら、人払いは必須だ。
よくはわからないが、状況はありがたい方に転がったのだ。
「はい、申し訳ないんですが、人を退避させていただけないかと思いまして」
こちらの要求を告げる。
「わかりました、すぐに」
頷いて、身を翻した刑事に、若い方の数人が戸惑ったように目で問う。
手振りでなにかを示すと、その数人も驚いたようにこちらを見て、それから自分たちの仕事に移る。
戸惑ったまま亮の方を振り返って、何が起こったのか、わかったような気がした。
亮の方も、携帯をしまうところだったから。
近付くと、忍の表情から言いたいことを読み取ったらしく、涼しい表情のまま言ってのける。
「お互い、得意なところで働いた方がいい、と思いましてね」
多分、警視というのは亮の知り合いなのだろう。
見事な身分乱用だが、たしかに亮の言うとおりだ。彼らが動きはじめたとたん、みるみるうちに人だかりは崩れていき、やがて、あたりには人影がなくなってしまった。
集まっている人だかりに対して占める割合は、ほんのわずかなのに。
そして、忍と亮のほかには、子供にナイフをつきつけたままの、不気味な人影のみとなる。
不気味な、と形容したのは『紅侵軍』の者だから、ではない。
その顔に、表情のない能面のような仮面をつけていて、本当になんとも不気味だからだ。
この人影に逢うのは、忍は初めてではなかった。
「へぇ、やっと諦めたようですね」
先に口をきいたのは、仮面の方だった。
声も違う、優とは違う。でも、あまりにも禍禍しい気配の中に、かすかに混じる、知っている気配。
忍の表情から、この不気味な人物が、疑惑の人物だとわかったのだろう。
亮が、低くささやいた。
「仮面、とってみましょう」
視線を仮面からはずさずに頷く。
そう、白黒はっきりさせてやる。
優でないことを確かめてやる。こんな酷いことを、あのやさしい人間がするわけがない。
そう思いながら、『龍牙剣』を抜く『隙』を狙う。
抜いてしまいさえすれば、こちらの方が有利になる。
人質を切らずに、誘拐犯の腕だけを切り落とすくらいは朝飯前だから。
亮の方に、ちら、と視線を送った。
かすかな頷きを返してくる。『隙』を作る方法を考えついたのだろう。
しかし『隙』は意外な方法で訪れた。
不意に小刻みな足音が聞こえてきたかと思うと、悲痛な叫び声が響く。
「お兄ちゃん!」
そのまま『紅侵軍』の者のほうへ、駆け寄ってしまいそうな勢いの少年を抱きとめたのは亮だった。
後から思えば、どうしてその時、そんなに冷静に亮の表情を観察できたのか、わからない。
でも、忍は見た。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!!」
泣きながらそう叫びつづける少年を抱きとめた亮の表情が、本当に痛そうだったのを。
それから、思わずはっとするほど、やさしい声。
「大丈夫、助けてあげるから、絶対に」
少年の悲痛な叫び声は止まらない。
「お兄ちゃん!!」
『紅侵軍』の者の腕の中で、ほとんど失神したかのように、ぐったりとしていた子に変化があったのは、その時だ。
しっかりと目を開き、叫んでいる少年を見て叫び返す。
「駄目だ!来るな!危ないから来るな!!」
自分の命が危ないのに、弟を危険にさらさないよう叫んでいる彼を見ているうちに、忍は無性に腹立たしくなってくる。
さっきまで失神しかかっていたのに、弟のためなら、こんなことが出来るのだ。
そんな仲のよい兄弟を、こんな目に合わせている『紅侵軍』の仮面が許せない。
急に腕の中の少年が暴れ出したので、それを取り押さえようとして仮面の人影に『隙』が生じる。
忍は『龍牙剣』を抜き払う。
間髪いれずに斬りかかる。
「こんの、腐れ外道ッ!」
仮面を斬り捨ててやろうとしたのだが、それはよけられる。
いつもより、少し力んでいたのだろう。勢いあまって、軽くよろめく。
相手に大きく背中を向けてしまう。
仮面の方もバカではない。その隙だらけの背中に向かって、ナイフを振り下ろす。
しかし、反射神経の方は忍の方が優れていたようだ。
地面に手をつく勢いを借りて振り上げた足で、思いっきりケリを入れられ、今度は仮面がよろめく。
少年をつかむ腕が緩んだのを見て、忍はすかさずこちらに引き寄せて、亮の方へ押しやる。
体勢を立て直す前に、『龍牙剣』で仮面を斬り付ける。
「ッ!」
あまりに突然のことで、相手は顔を覆うのを瞬間的に忘れたようだ。
忍は、はっきりと相手の顔を見る。
「?!」
まったくの無音状態に包まれる。
周囲の景色が消え、相手の顔以外見えなくなる。
見たくない。でも、目が離せない。
喉がからからに乾く。
声が出したいのに出ない。
地面に真っ二つに割れた仮面が落ちて音を立てるまで、何時間かがたった気がした。
からんっ!
乾いた音がした瞬間、全ての景色と時間が戻る。
仮面を割られた仮面の男は、顔をおおったかと思うと、かき消すようにその場から消える。
通常なら、それは異常な光景なのだが、それをそうだとは、認識できなかった。
剣を鞘に収めることを忘れたまま、立ち尽くす。
「忍」
とても静かな声がして、やっと、振り返ることが出来る。
亮がそこに立っている。
子供たちは、警察の手に預けてきたのだろう。
他には誰もいなかった。
自分が、どんな表情をしているのかは想像もつかなかったが、誰もいないのがありがたかった。
きっと、酷い表情だろう。血の気が引いているのが、自分でもわかる。
幽霊でも見たような顔に違いない。
「……うそだ」
かろうじて出てきた声が、そう言った。かすれて、ほとんど聞き取れない声だったが。
「うそだ、優が……あんなこと……」
そう、仮面の下にあったのは。
間違いようのない、優の顔。
亮は、微かに眉をひそめたまま、視線をそらしてから、頷く。
「催眠状態では、あったようですが」
そんな単語は、今はなんの慰めにもならないことを、知っている口調。
でも、忍はかすかな救いの単語に思わず、すがる。
「ほんとか?」
「瞳が、尋常では……あれは、なにかに操られている瞳、でしたから」
落ち着いたその口調は、嘘をついているものではなさそうだ。
確かに、いままで捕虜にした者たちもそうだったように、なにかに憑かれてるのかもしれない。
通常の戦闘時には、その瞳をイヤと言うほど見ているのに。
「……気付かなかったな」
「見も知らない人とは、コトが違いますからね」
亮は、微かに微笑む。ひどく優しくて、痛みを知っている表情。
しかし、その表情がこちらを向いていたのは、ほんの瞬間で、亮はバイクの方に向き直ってしまう。
「戻りましょうか。ワケも話さずに出てきたから、間違いなく怒っているでしょうし」
それを聞いて、完全に我に返る。
戻ったら、何が起こったのかを、三人に話さなくてはならない。
けれど、見た者でなくては、いま起こった事実は受け止められないだろう。ヘタに告げれば、一波乱だ。
「なぁ……?」
「言わないでおくのでしょう?」
振り返った亮は、さっきと同じ、静かな表情のままそう言う。
「話は、僕からしますから大丈夫ですよ」
イヤな役目は引き受けるということらしい。
ああ、こっちが本当の亮なんだ。
不意にそう思う。
高飛車で毒のある物言いの中に、本当の自分を隠してしまっているだけで。
強いフリをして、なにかを飲みこんでいる。
自分たちにも必死でがんばる理由があるように、彼にも『第3遊撃隊』を『元通り』にしたい理由があるのだろう。
「なぁ、どうして……」
問いかかって、口をつぐむ。言わないのは、言いたくないからだ。
もう一度振り返った亮は、いつも通りの表情をしている。
問いが聞こえなかったはずはない。あれだけの物音の中から、相手の声を聞き分けられるのだから。
聞こえなかったことにしたのだろう。
「このカリは高くつきますよ」
忍は、参ったのポーズをして見せる。
「よく働くから、勘弁してくれ」
ふと、空を見上げると、夕闇の空に白い月が浮かんでいた。
おぼろげなその影が、どことなく所在なげで、忍はなんとなく、亮に似ている、と思った。



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