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夏の夜のLabyrinth
〜1st. 緋闇石〜

■fragment・7■



『それ』が好転のきっかけになるのか、暗転のきっかけになるのかなんて、わからなかったが。
ともかく、状況が大きく動き出したのには、かわりない。
期限まであと一ヶ月。
司令室に集まった四人に、亮が告げたのは、リマルト公国からの亡命者の保護だった。
「亡命者?」
麗花が不思議そうに聞き返すが、それも無理もないことだろう。
あの狂信者集団の中から、亡命者が出るなんて想像がつかない。
しかし、亮は涼しい顔で頷く。
「そう、亡命者です」
「亡命者ということは、自分から逃げ出して来たってことよね?」
須于も、首を傾げる。
馬鹿らしいことを問いかけてるのをわかっている表情で、それでいて、確かめずにはいられないのだろう。
「こちらにとっては、またとない情報提供者になっていただけそうですよ」
情報提供者になれるということは、狂信状態ではないということで、つまりは正気だ。
『紅侵軍』の中にそんな人間がいたとは。
「で、いったい誰が、亡命してきたんだ?」
忍が尋ねる。
「もしかしたら、新聞などで見たことがあるかもしれませんね」
亮はモニターのひとつに、映像を出す。
そこには、いかにも育ちが良さそうなお嬢さまが、映し出される。
やさしそうな瞳と、肩すぎくらいのゆるい癖のある、薄めの色の髪が印象的だ。
「あ、ライムーン姫ね」
「ああ、ミューゼン家のお嬢さまか」
すぐに反応したのが麗花で、ジョーにもわかったらしい。
「って、誰だよ?」
忍が、戸惑った声を上げる。
「リマルト公国は、勢力が均衡している三つの貴族家の会合で運営されるという特殊な政治形態を取っていて、三大貴族家というのが、イプシアン、タウゼント、ミューゼンなんですよ」
「じゃ、その三大貴族家のお嬢さまが、今回の亡命者ってわけか?」
「そういうことです」
なるほど、確かにそんな立場の人間なら、いい情報提供者になりうる。
「でも、どうして、そんな大事な人をここで保護するの?」
須于がもっともな質問をする。
亮は、涼しい表情のまま答える。
「総司令官近辺の施設では『紅侵軍』に狙われる可能性がありますから。かといって、まったく関わりないところでも不安がありますしね」
どうやら、亮の立場がモノを言ったようだ。
総司令官の子供であり、極秘部隊である『遊撃隊』の軍師代理である、という。
「ともかく、異論がないようでしたら、まず引き取ってきたいんですが」
「あ、じゃあ、私行ってくる!」
麗花が、すかさず立候補する。亮は、頷く。
「そうですね、あちらも緊張してるでしょうし、同性の方が安心するかもしれません。では、須于と一緒に行ってきてください」
「わかったわ」
「まかしといてよ」
笑顔で出発した女の子二人を見送ってから、亮はジョーに向き直る。
「あの二人の援護をお願いします。つけられることはないとは思いますが」
「ああ」
ジョーは軽く頷くと、すぐ出発する。
亡命してきた人物が人物だけに、大事をとるつもりらしい。
忍も遠距離射撃は得意な方だが、やはり常日頃銃を扱っているジョーの方が適任だし安心だ。
待ち時間が暇なので、気になることを尋ねてみる。
「なぁ、本当に亡命だって言い切れるのか?」
「だいぶ、検査されたようですよ、演技かどうかの確認のために」
そして、本当の亡命だと判断された、ということなのだろう。
一瞬ではあるが、微かに眉をひそめた亮の表情から察するに、それは、けっこう酷い検査だったに違いない。
最近は、亮の微妙な表情の変化が、よく分かるようになってきた。
「危険なのはわかっていますが、今はそれに賭けるしかありません」
「ああ、そうだな」
忍も頷く。
いまは、多少の危険よりも情報が欲しい。少しでも、前進できるかもしれない。
警告から、すでに二ヶ月が経ってしまっているのだ。
あと一ヶ月なんて、あっという間にきまっている。
一ヶ月後に破滅するも、いま破滅するも、そう変わらない、というせっぱ詰まった状況でもあるのだ。
もっとも、目前で高飛車で自信に満ちた表情を崩さない軍師代理殿は、破滅する気はさらさらないのだろうが。
冷静な口調で、こう付け加える。
「それに、利用法次第によっては、村神さんだけでも、こちらの手元に戻せるかもしれませんし」
『利用法』とは、もちろんライムーン姫の、だろう。
しかし、人間相手に『利用法』とは、少し乱暴な言い方に聞こえる。
忍が眉をしかめたのに気付かなかったはずはないが、亮はそれを気にする様子もなく、さらに続ける。
「このまま埒があかなければ、『紅侵軍』との対峙は間違いなく、三ヶ月を越します。もし、その時までに村神さんだけでも手元に戻っていれば、『期限』を延ばすことも可能です」
「そりゃ、そうかもしれないけど……」
答えながら、忍は自分たちの捕虜にした『紅侵軍』の兵隊たちの瞳を思い出す。憎悪と狂信に満ちた狂った瞳。
それから、子供を誘拐することに、全く罪悪感のなかった優の瞳を。
同じ瞳だ。まったく、同じ。
『紅闇石』をどうにかしなくては、優だって元は戻らないだろう。
そんな状態で取り戻すことに、意味があるのだろうか?
「村神さん一人なら、どうにか元に戻すこともできるはずですよ」
相変わらずの察しの良さで、亮が先回りをする。
「でも、いままで捕虜にした兵隊は?」
「さすがに、あんな多くは手が回りませんし、労力とそこから得られるものの釣り合いが悪すぎます」
表情を変えずにそう言えるのが、最初はひどく感情の欠けた人間だからだと思っていたが。
無表情になっている時ほど、もしかしたら、なにかを飲み込んでる時じゃないか?
そんな気がしている。
本当なら、捕虜全ての催眠状態をといてまわって、少しでも情報を得たいはずなのに、そうしないのは、おそらく、かなりの無理を捕虜本人にかけてしまうからだろう。
それでも優を元に戻そう、というのは、無理がかかっても『解散』よりはいいという判断からだろう。
「どうあっても、村神さんは手元に取り戻したいですし、元に戻っていただきませんとね。じゃないと、ヘタしたら、いつまでも僕と顔を合わせてなくてはいけなくなりますよ」
「え……?」
戸惑って、問い返す。
不思議なことを言う。俊と優を取り戻せなかったら、待っているのは『解散』のはずだ。
いまの口ぶりは、まるで。
「この二ヶ月の戦果は、軍中枢部にとっても予想外だったようです。今回得られる情報にもよりますが、三ヶ月の期限が伸ばされる可能性自体は、もうすでにあるんですよ」
「伸ばしてもらえるのか?」
思わず、身を乗り出す。
それは、ありがたいことではないか。
でも、その割には亮の表情が冴えない。彼は、肩を軽くすくめた。
「あちらにとって、都合がいいようにね」
「あちらって、軍中枢部のこと、だよな」
「ええ、こちらにも都合が良くするためには、どうあっても村神さんは取り戻しておく必要があります」
「……」
ここまで言われれば、忍にもどういうことなのか理解できる。
軍中枢部は、ここまでの能力を持つ『第3遊撃隊』を解散させるのは得策ではない、という考えに傾いているのだろう。『紅侵軍』に対峙するための重要戦力として、見ているのだ。
戦闘要員は、特殊技能者を集めているから、そうそう変更はきかない。俊の地位は安定だろう。
が、『軍師』は違う。
いま、現にこうして『軍師代理』が見事に作戦を成功させて見せているのだ。このままでいけば、亮を『軍師代理』ではなくて、正式な『軍師』にすればよい、ということになる。
軍にとって大事なのは『第3遊撃隊』が重要戦力ということであって、その構成員は問題ではないのだ。
それでは、こちらの意図とは異なる、と亮は言いたいのだろう。
でも、言われて初めて気付く。
優が戻ってきたら、亮はいなくなる。
『元に戻す』が、目的だったはずだ。いや、目的のはずだ。
それは、忍たちにとっても、亮にとっても。
だが、『第3遊撃隊』がその機能を果たし始めたのは、皮肉にも亮が『軍師代理』に就任してからだ。
優が『軍師』だと言いながら、自分が覚えているのは、亮の立てる作戦の呼吸であることに、いまさら戸惑う。
正『軍師』を取り戻して、本当にその先の目的を達成できるのか、ふと不安になる自分に、思わず苦笑する。
すっかり黙りこくってしまった忍に、亮は不思議そうな視線を向ける。
「どうしました?」
「あ、いや……なんでもない」
忍は我に返って、首を横に振る。
「ともかくそういうコトですから、村神さんを取り戻すのを最優先にしましょう」
「ああ、わかった」
頷いて見せる。
こちらの戸惑いはともかく、亮にとっても『元通り』は目標であるのだから。
ともかく、やり遂げなくてはなるまい。



ありがたいことに、ジョーの援護はまったくの徒労に終わったようだ。
何事もなく、誰に付けられた形跡もなく、リマルト公国三大貴族家のお嬢さま、ライムーンは、『第3遊撃隊』の元へやってきた。
萌葱色のふわふわとしたワンピースがよく似合っているあたり、『お育ち』がうかがえる。
顔色があまりよくないが、検査が大変だったのもあるだろうし、亡命というかたちで自分の国を逃げ出してきたことへの、緊張感もあるだろう。
いつどこから狙われても、おかしくない立場になったのだから、恐怖感がないわけがない。
しかし、どういう事情があったにしろ、自分から亡命を決めただけはあって、その瞳には強い意思がある。
迎えた亮の瞳が、ぞっとするほどに表情がなかったにも関わらず、それをまっすぐに見返す。
「さて、来ていただいてすぐに申し訳ないとは思いますが」
『司令室』に迎え入れておいて、亮は、休ませるという事をせずに、そう言ってのける。
申し訳ない、と口では言っているが、その口調に、申し訳なさは微塵もない。
どうやら、安心させるとかの作業は麗花と須于に任せることにして、自分は軍師に徹するつもりらしい。
そのほうが効果的だということだろう。
これからしようとしているコトを考え合わせても、そのほうが自分がやりやすいのかもしれない。
引き渡される前に、どういうところに行くのか、は充分に説明があったらしい。
ライムーンは頷いてみせる。
麗花が、椅子を引き寄せて勧める。ライムーンは軽く頷いて感謝を示すと、そこに腰掛ける。
遊撃隊の面々も、それぞれに適当に、腰掛けたり壁にもたれかかったりで、話を聞く体勢になる。
「『紅侵軍』は、リマルト公国そのものが、変化したモノと考えていいですね?」
確認の問いだ。
ライムーンは、頷いて肯定してから、ゆっくりと口を開く。
高すぎないその声には、落ち着きがある。
「ええ、その通りと言っていいと思います」
「では、三人の将軍たちは、三大貴族家の代表、ですね?」
「ええ、そうです」
まっすぐに亮を見つめて答えた後、少し目線を落とす。
「海王と呼ばれる将軍がユージン・イプシアン、天王と呼ばれるのがライア・タウゼント、そして冥王と呼ばれるのが、兄のルト・ミューゼン、ですわ」
兄の名を口にした時には、声が微かに震えたようだが、それでもしっかりとした語調は崩れない。
でも、その手はきゅっと、自分のスカートを握り締めている。
必死で、平静を保とうとしているのだろう。
その姿は、見てて痛々しいものだ。だが、亮の顔色は一向に変わらないし、その語調が変わることもない。
相変わらず、感情のこもらない声が続く。
「いつから、『紅侵軍』としての準備は進んでいたんです?」
ライムーンはもう一度、顔を亮のほうに戻す。
相変わらず、手はスカートを握り締めたままだし、顔色はあまり良くない。
麗花が、なにか言いたそうに動きかかったが、それを亮は鋭い視線で止める。
須于と、不機嫌そうな視線を交わす。が、麗花は言葉を飲み込む。
ジョーが、視線をそらして煙草に火をつける。ライムーンの真っ青な顔を見るに耐えなくなったらしい。
でも、亮は相変わらず、まっすぐに見つめて、答えを促している。
正確を期すためだろう、ライムーンは少し考えた後、はっきりと答える。
「リスティア侵攻の、二週間前、ですわ」
「その時に、何が起こったんです?」
「碧の髪と、紅い瞳をした男が現れて……皆、変わってしまったんです……ええと……」
彼女は、困ったように首を傾げる。
「……嘘ではなく、変わってしまった、としか……何があったのか、まったくわからないんです」
そこまではがんばったが、やはり、耐えられなくなってきたらしい。
瞳に、涙が浮かんでくる。顔を、手で覆う。
指の隙間から、透明な液体がこぼれ落ちる。
「どうして……兄さま……」
見かねた須于が、口を開く。
「ねぇ、かなり疲れてるわ、少しは休ませてあげても……」
「あとヒトツうかがったら、もうお尋ねすることはありません」
目前で泣いているのを見ているのに、感情のこもらないままの亮の声に、須于も麗花も、むっとした顔つきだ。
それにおかまいなく、亮は質問を発する。
「『緋碧神』は、どこかに、紅い石を持ってはいませんでしたか?」
ジョー達は、その質問の重要性がわからなかったようだが、忍はかすかに息を飲む。
亮が、何を確認しようとしているのか、わかったから。
顔をおおったまま、ライムーンが頷く。
「……胸に、紅い石をさげて……」
あとは、嗚咽が続く。緊張感と疲労と、そして、家族を捨ててきたことと。思い出したくないことを、思い出させすぎている。
亮は、黙ったまま、もういい、と手振りで示す。
「ごめんなさいね、急にいろいろ、思い出させちゃって」
慰めながら、麗花と須于がライムーンのぞきこんでいる。
ジョーが、そちらに気を取られているうちに、忍は、亮が絶望的に瞳を閉じたのを見る。
亮の言った『紅い石』は、もちろん『緋闇石』のことだ。
最悪のモノが、敵なのを確認してしまった。
もうそれは、『机上の空論』では、なくなったのだ。
覚悟していたとはいえ、それが『現実』になると、こんなに重いのか。
忍は、思わず自分の腰の『龍牙剣』を握り締めていた。



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