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夏の夜のLabyrinth
〜1st. 緋闇石〜

■fragment・8■



麗花と須于は、泣き出してしまったライムーンをひとまず休ませようと『司令室』から連れ出そうとする。
が、ライムーンは激しくかぶりを振ると、泣きはらしたままの瞳を大きくみはって、亮の方を見る。
「お願い!兄さまを、救って!あれは、兄さまじゃないわ!」
早口だったし、いままで使っていた標準語ではない。リマルト公国の言葉だ。
激しい調子が特徴の言葉に、さらに涙声という悲痛さが加わっている。須于は、ライムーンが亮のことを責めたと思ったのだろう、やりすぎよ、という視線で亮を睨む。
麗花は、少し戸惑った視線でライムーンを見ている。
リマルト語を理解出来ているのだろう、亮は妙に静かな目線でライムーンを見つめ返すと、忍達にもわかるように、標準語でゆっくりと口を開く。
「なにをしても、元に戻したい、と思いますか?」
声にも顔にも、なんの感情もない。
だから、忍には亮が何を考えているのか、すぐにわかる。
『元通り』のためには、手段を選ばないつもり、だ。
完全に涙の止まったライムーンが、力強く頷くのをまって、亮はその抑揚のないままの声で言う。
「では、『紅侵軍』に戻っていただきましょう。捕えられてると思われる、こちらの者と引き換えに」
「よくそんなことが言えるわね!」
我に返った麗花の罵声が飛ぶ。
常識で考えたら確かにそうなのだが。
「ですが、これしか村神さんを取り戻す手段はありませんよ、いまのところ」
落ち着いた口調のまま、今度はリスティアの言葉で『第3遊撃隊』のほうに向かって亮が言う。
でも、どちらが『人道的』か、ということになると、やはり、麗花たちのほうに軍配が上がるのだろう。
必死の思いで脱出してきたライムーン・ミューゼンを、『紅侵軍』側に引き渡す、というのだから。
代わりに、優を返せというわけだ。
それはわかる。
ようは、人質を交換しようということになる。しかし、だ。
「ヘタに戻ったら、殺されちゃうわ!」
たしかに、あれだけの狂信集団から逃げ出した者に、何をするかなんて予想もつかない。
それを知っているはずなのに、相変わらず亮は落ち着き払ったままだ。
「どう考えても、村神さんが『紅侵軍』に捕えられているとしても、ですか?」
まだ、本当に優が『紅侵軍』にいて、自分の意思ではないにしろ、敵方として戦っていることはジョー達には告げていない。前に子供がさらわれそうになった事件に関しては、亮が何を告げたのかは知らないが、優の名を出さなかったことだけは確かだ。
麗花たちにしてみれば、確率が高いとはいえ、確実ではないことに人の命を賭けるなど、常識外としか思えないのだろう。こういったことには、真っ先に反対しそうな忍が黙りこくったままなのに、ジョーが不審そうな目を向ける。
忍が口を開く前に、亮が、相変わらず抑揚のない感情のこもらない声で言う。
「軍中枢部で、『第3遊撃隊』の軍師入れ替えを押す声が出てきています」
ただ、事実だけを告げる声。でも、その意味はジョー達にも十二分に理解出来たようだ。
ある意味『解散』より、タチの悪いことになりそうな形勢だということが。
「お土産如何によっては、最悪のことはないと思います……二度とは抜け出せないでしょうが」
ここで言う『最悪のコト』とはもちろん、殺されてしまうことを指している。
殺されないとしても、だ。リスティアに逃げてきた時だって、さんざんな検査をされている。戻っても、同じコトの繰り返しのはずだ。
優を取り戻したいのはやまやまだが、だからと言って、そのためにライムーンを利用するというのは、酷すぎるように思えるのだろう。
かといって、このまま亮がえんえんと軍師というのも、納得いかないのだろう。麗花と須于は、複雑な表情のまま黙り込んでしまう。ジョーは、かすかに首を傾げたまま忍を見つめる。
相変わらず、忍は口を挟もうとしない。
なにかを、考え込んでいる瞳。視線に気付いたのだろう、瞳がジョーのほうを向く。
まっすぐに見据えたまま、低い声で尋ねる。
「……なにを、考えている?」
ジョーの低い声に、忍はぽつり、と、だが、はっきりと答える。
「『緋碧神』を消すことを」
それから、忍の瞳は亮のほうへと動く。
「そう、したいんだろう?」
「ご名答です」
亮の顔に『軍師な』笑顔が浮かぶ。
「なにそれ?!」
「『緋碧神』が現れてからリマルト公国が変わったことははっきりしたんですから、消せば元に戻る、単純な理論ですよ」
「そう言うことを聞いているんじゃない、どうやって消すつもりだ、と言ってる」
「そうですね、『狙撃』も魅力的ですが、ここは古典的に『一刀両断』を狙いましょうか」
楽しんでいるかにさえ聞こえる口調に、ジョーもさすがに、不快そうな表情を隠そうともしない。
再度、口をはさもうとした忍を、亮はすばやい視線で抑える。
一瞬合った瞳が、静かな表情で言っていた。
『あなたが背負う必要のないことです』
どうして、と思う。
ここまで、背負うことができるのだろう?嫌われることは、思うほど楽なことではない。
常に、自分に反感を感じさせることは、孤独でいることは、精神的に辛くないはずがない。
なのに、亮はなぜ、あえてそんなことをし続けるのだろう?
でも、それを望むのには理由があるはずだから。
勝手に壊すわけにもいかなくて。忍は、ただ、にやりとして『龍牙剣』を握ってみせる。
「ふうん、俺の腕を買うっていうわけか」
「期待を裏切らないでいただきたいものですね」
亮は、感情のこもらない冷たい笑みで応える。
「でも、そんな都合よく『緋碧神』が現れるとは……」
「ライムーン姫を返すと言えば、間違いなく『緋碧神』自ら、現れます」
きっぱりと言い切る。亮は、それを確信しているらしい。
まだ、なにか言いたそうな麗花たちに、亮はにっこりとした笑みを浮かべると、伝家の宝刀を取り出す。
「『元通り』をお望みなら、指示に従っていただくのが一番と思いますが?」
これを言われたら、黙るしかない。



人質交換の場所として指定された場所に向かうバイクの上で、亮と交わした会話を思い出す。
ライムーンと優を人質交換する為の手続きが完了するまでの二週間は、かなり慌しかった。戦争中の軍隊同士のやりとりなので、通常ではあり得ない様々な手続きが存在したからだ。
結局、ライムーンが来てから二週間が経ってしまっていたが、その間、忙殺されていた亮と顔を合わす機会はほとんどなかった。
やっと、昨晩まともに顔を合わせた亮は、相変わらず無表情で静かな表情のままで、
『あえて、命を捨てるようなマネはしなくていいですからね』
そう、あっさり言い切った。
狙っているのは『緋碧神』の消滅のはずだ。忍が、思わず首を傾げた。
重ねて、亮が言った。
『今回は、失敗してもかまいません。その代わり、『緋闇石』がどのように下がっているのか、なにで保持されているのか、をよく覚えてきてください』
『最初から、失敗するつもりでいるのか?』
思わず、尋ねてしまった。
『恐らく引き換え場所には村神さんはいないと思います。あちらは最初から、返すつもりなんてありませんよ』
『でも、だったら、どうして俺を……?』
亮は、にこり、と笑った。
『万分の一でも、『緋闇石』を消す機会があるのなら、逃したくないからですよ』
邪気のまったくない笑みだ。それは、本音なのだろう。しかし、その笑みは瞬間的なもので、すぐにかき消えた。
『それから、あなたにしか出来ない、最もイヤな役目をしていただきます』
『……?』
『忍は、人の気配に対して敏感のようなので、『緋碧神』を目前にすれば、知っている人ならわかるでしょう?……たとえ、どんなに変わり果てていたとしても』
そこまで言われれば、何をして来ればいいのか分かる。
『俊かどうか、見てくればいいんだな?』
頷いてみせたあと、亮は静かな口調で付け加えた。
『期限まであと二週間ですが、それだけの情報を見てきてくださったら、確実に『元通り』にして差し上げますよ』
忍は、喉まで出かかった『どうして、そこまでするんだ?』という質問を、かろうじて飲みこんだ。
視界の先には、人質交換の場所が、見えてきている。



亮の予見通り、会場にはただ『緋碧神』一人が現れただけで、みすみすライムーン・ミューゼンを取り上げられただけ、と知ったジョーはさすがに声を荒げる。
いや、完全に不本意なはずの結果なのに、落ち着き払っている忍にイラだった、と言ったほうが正確だ。どうやら、亮がすましこんでいるのは、いつものことだ、と思っているらしい。
「どういうつもりだ!まさか、予想通りだ、なんて言うんじゃないだろうな?!」
「その、まさか、ですよ」
相変わらず、まったくこたえていない冷静な声で答えたのは亮だ。
「忍には『確認』をしてきていただきました」
「なんの『確認』だ?!」
「敵が『人』ではなくて、『モノ』であることの、です」
いつもの、人を小馬鹿にしたような声で亮は続ける。
「最初に申し上げましたよね、リマルト公国は『不審火』のせいで変わった可能性があると」
「まだ、そんな寝ぼけたこと考えてるのかよ?!」
さすがに、イラついたままの声だ。いつも落ち着いているほうのジョーといえども、あと二週間の期限に焦りを感じているのだろう。
ジョーが、けっこうな剣幕なのに気圧されたのか、いつもは一番に怒る麗花が、息を呑んで見つめている。
「寝ぼけてなんかいませんよ、僕たちが相手にしているのは、間違いなく『モノ』です。『緋闇石』という旧文明産物が、『敵』なんですよ」
あまりに突拍子もない展開に、ジョーが思わず口をつぐむ。
それはそうだろう。いきなり、『モノ』が敵だと言われて、はいそうですか、とは思えない。
しかも、旧文明産物と言われて、ピンと来るようなら苦労はない。
「付け加えると、『緋碧神』と化しているのは俊、参謀官らしきは村神さん、というのも確認済みです」
黙り込んでしまったこの瞬間に、亮は決定的にショックを与えると分かっている事実を告げる。
「な?!」
亮は、まっすぐにジョーを見詰め返す。さまよった視線が、忍に向かう。
「確認したの、俺なんだ」
ぽつりと告げた、忍の台詞はなにより重い。
優はともかくも、俊は忍とは幼馴染みだ。その当人が言うのだから、間違いないということだ。
「なんで、そんな大事なこと……!」
つかみかからんばかりの勢いで、忍に怒鳴りかかったジョーを、冷静な声が止める。
「口止めしましたからねぇ」
声のしたほうを、振り返る。
「軍師の命令に背くような役立たずは『第3遊撃隊』には必要ありませんし」
相変わらずの静かな声で亮が言う。暗に脅した、と告げているのだ。
忍に違う、という間を与えずに続ける。
「ヘタにお教えしても、動揺するばかりでいいことありませんからね」
あなたたちは、動揺するでしょう?と言わんばかりの口調だ。
ワザとやってるのだろう、と思えるようになった忍でさえも、瞬間、眉をしかめたくなる。
ジョーは殴りかからないでいるのだけで、必死なのかもしれない。握り締めたこぶしが震えている。
「あと、二週間しかないのは、わかってやってるんだろうな?」
今のいままで、敵を知らされていなかったことも、優や俊が敵方にいるという事実を告げられなかったことも、屈辱的だったに違いない。
それは、麗花も須于も、同じコトだ。
口にこそ出さないが、目つきがそう言っている。
相変わらず、亮はそんな顔つきには、まったくお構いなしに『軍師な』笑みを浮かべてみせる。
「もちろん、期限内に『元通り』にして見せますよ」
こう付け加えるのを、忘れない。
「僕の指示にしたがっていただければ、ね」



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