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夏の夜のLabyrinth
〜2nd. 硝子のMermaid〜

■seashell・2■



荷物をまとめてきた忍は、亮がまだ防波堤の上にいることに驚く。
「亮?」
声をかけられて、振り返った彼の顔の表情が凍り付いている。
しかし、そう見えたのは一瞬で、すぐにいつもの無表情になる。
「どうした?」
「不思議だ、と思いまして」
「ここに、赤の他人が入りこんでるのが、か?」
亮は、頷いてみせる。
忍も、ここがかなり厳重に警備されている場所なコトくらいは知っている。
誰もが抱く、当然の疑問だろう。
特に、ここがどんな警備に守られているのか正確に知っている亮には、最大級の謎のはずだ。
でも、どうもそれだけではなく見えたが、そう言っても亮は首を縦に振らないだろう。
凍りついた表情をかき消したことが、それを告げている。
「で、何か見つかったか?」
「なにも」
亮の顔には、なんとも形容しがたい笑みが浮かぶ。
困ったような表情を、本人はつくって見せたのだ、と思う。ほかの人間が見たら、そう見えると思う。
でも、忍にはそうは見えなかった。
まるで、自嘲しているような、なにかを諦めているような。
『なにも無い』ことが、亮に何かを教えたに違いない。
だが、ひとまずは、それを飲みこむことに決めたのだろう。
『なにも無い』ことに、困惑した表情を亮はつくってみせたのだから。
いまは、ほじくりかえしたところで無駄だろう。
自分がこうと決めたら、誤解されようがなにしようが、貫き通すのだから。
「そっか、ま、本人に聞けば、なにかわかるだろ」
忍は笑顔になる。
それを見た亮も、頷いてみせる。
どこか、ほっとして見えた。



別荘に帰りつくと、倒れていた彼女は意識を取り戻していた。
連れ帰ると同時くらいに、気が付いたらしい。
ひとまずシャワーをあびてもらい、背が近い須于の着替えを借りたて着た彼女は、顔色もずいぶんとよくなっている。
「ご迷惑をおかけしまして……」
礼儀正しく頭を下げた彼女は、名前を、ゆい、と名乗った。
姓は名乗らなかったが、発見された様子からいって、あまり名乗りたくない状況なのかもしれない、と配慮したか、誰も尋ねようとはしない。
髪が青みがかっているのは、どうやら染めたモノではなく、もともとそういう色らしくみえる。
それだけでも変わっていると思うが、もっと印象的なのは、瞳だ。
目の色自体が薄いが、瞳の色が通常の人より、ぐっと薄い。
まさに、海の青というのがぴたりとくる色だ。
それが、大きな目の大半を占めていて、より一層、海の印象を深めている。
言葉の方も、リスティア語をしゃべっているものの、リスティア以外のイントネーションが含まれている。
どう考えても、リスティア人ではないことは確かだ。
見世物にするつもりはないが、ついつい、観察してしまう。
ゆいのほうも、自分があまりにも不信な客であることは、よくわかっているらしい。
困ったような、怯えたような表情のまま、黙り込んでいる。
それにはおかまいなしに簡単な診察をしてみせた亮が、言う。
「脈も異常ないですし、もう大丈夫ですね」
十八歳で医者の資格を持っているというのは、ありえないと思いつつも、亮に言われると納得してしまうのが、不思議といえば不思議だ。
忍が、にこり、とする。
「助かってよかったよ」
その笑顔を見ると、初めてゆいは、微かにだが微笑んだ。
忍とは対照的な無表情で、亮が尋ねた。
「事故でも、ありましたか?」
「あの……」
ゆいは、その青い瞳に戸惑いの色をみせる。
口元がかすかに動くが、それは言葉になるまえに立ち消えた。
亮の表情と口調からいって、絶対にさらに追い詰める、と俊は思ったのだろう。なにか言いかかるが、先に口を開いたのは亮の方だった。
しかも、出てきたのは追い詰めるモノではない。
「倒れていたのですし、落ち着くまで休まれた方がいいでしょうね。この部屋は自由にしていただいて構いません。電話ももちろんです」
それのある方向を指して、さらに付け加える。
「別に、発進先を調べたりもしませんから」
言うことだけ言うと、立ち上がる。
それを合図にしたように、忍たちも部屋をでる。
なんらかの『事故』があったのなら、すぐに調べがつくはずだし、一人だけこうして流されてくる、というのはありえない。
本人が、なんらかの意思で海に入った、と考えるほうが自然だろう。
だとしたら、ある程度落ち着くまでは、余計な刺激は禁物だ。
もちろん、バカなことをしないよう、何気ない監視は必要だが。そういうのは、仕事柄お手のモノだ。
「……?」
皆が部屋を出たあとも、一人残っている者がいるのに気付いて、ゆいが問いかけるような視線を向ける。
「なにがあったのかは、知らねぇが」
金髪碧眼の背の高い彼、ジョーは、視線を合わさずに低い声を出す。
「時が経てば、過去だ」
それだけ言うと、彼も背を向ける。
もう、扉も閉まりかける、というときに、かすかにゆいが声を上げる。
振り返ったジョーは、ゆいが目線をそらすと、そのまま部屋を後にする。



ゆいには個室を貸したが、この別荘にあるほとんどの部屋が二人で利用できる大部屋なので、遊撃隊のメンツはそれぞれ二人ずつで部屋を使っている。
須于と麗花が相部屋なのは、当然として、ヤロウ四人は公平にくじ引き(笑)の結果、忍と相部屋なのは亮になった。それで、ちょうどいい、と忍は思っている。
前から気付いていたことだが、亮はどうも、ひどく人の気配に敏感なようなのだ。夜、なんかの用で内ドア(忍と亮の部屋を内部でつないでる扉)に近付くようなことがあると、起きあがる気配がする。
それも、例外なく毎回、だ。
最近は、少しその動きが小さくなってきているようなので、だいぶ忍の気配には慣れてきたのだろう。
これが、俊やジョーと相部屋だったら、まったく慣れていない気配に、亮はほとんど眠れないに違いない。
昨日、ここに到着して部屋に落ち着いた時に尋ねると、少し驚いたのか、亮はヒトツ瞬きしたあと、隠しても仕方の無いことだと諦めたのだろう、正直に『忍の気配には、慣れてきましたよ』と答えた。
そんなわけで、亮と部屋に戻る。
亮は、気を取られた視線を何かに向けたが、すぐにそのまま、視線を外に送る。
二階にあるこの部屋のバルコニーからは、先ほどまでいた海がよく見える。
開け放ってある窓からは、心地よい風が潮の香りをのせて吹いてきていた。
「俺、散歩行って来るよ」
忍の声に、我に返った視線を向けた亮は、視線があうと困ったように微笑む。
どこか、頼りないほうの笑みだ。
「そういうつもりでは、なかったんですが」
『そういうつもり』というのは、忍を邪魔にするつもりではなかった、というのだろう。
言い終わると、笑みはとけるように消えて、無表情が残る。
それは、忍にもよくわかっている。
邪魔にしているのではなく、知らないほうがいい、という親切からなのだ。
そう、知らずにいたほうが幸せなことは、けっこうある。
いや、知らないほうがいいことのほうが、多いかもしれない。
今回もそうだ、と亮は判断したのだろう。
でも、一人で背負うのは辛いことだ。亮は、そういった感情が欠落してしまっているようだが。
いまは、対『紅闇石』戦のときのような、任務を背負っているワケではない。
だったら、一人で背負う必然性は、どこにもない。
それに、忍も『なにか』があることに、すでに気付いてしまっている。
忍は、笑みを顔に浮かべた。
「海で、なんか気付いたんだろ?」
言われた亮は、考え込むように少し首を傾げる。
「なにも、ないことに」
「『なにもない』と、どういうことになるんだ?」
「その『なにもない』が、彼女の出自を表しているんです」
「……?」
忍の表情が怪訝そうになる。
「まだ、確認は取っていませんが」
そう言いながらも、確信しているのだろう。
「それを確認するつもりなのか?」
「彼女が自分から口に出来ないなら、誰かが確認するしかないでしょうね」
手遅れになる前に、と亮は無表情なまま言う。
それを聞いた忍は、再び笑顔になる。
「ああ、確かにそうだな……何か言いたいのに、黙っているまんま、だから」
それには、忍も気付いていた。
さきほど、皆でゆいの様子をみたときも、口を開きかかっては閉じることが何度もあった。
精神的に落ち着いていないから、と言ってしまえばそれまでだが、そうではない、と忍は思った。
亮も、そう判断したからこそ、あえて彼女の出自を確認しようとしているのだろう。
「じゃ、なんか飲み物でも持ってきてやるから、のんびりやれよ」
持ってくる、ということは、すぐここに戻ってくるということで、亮一人に、なにかを背負わすつもりは無い、という意思表示でもある。
こうと決めたときの頑固さは、忍も亮に引けを取らない。
一人で飲み込むことは諦めたのだろう、亮は、うなずいてみせた。
小さくまとまっている自分の荷物から、ノート型のパソコンを取り出すと手早く通信網へとつなぐ。
忍は、部屋を出ると台所に向かった。

台所に行くと、今日の炊事当番である須于が、夕飯の準備に取りかかっていた。
別荘にもコックをつけることができるよ、とは言われたが、恐れ多くも総司令官と財閥総帥を兼任するお方の台所を預かるようなご大層なモノがいたのでは、せっかくの休日だというのに落ち着かないので、丁重にお断りしたのだ。
だからといって、日常のように亮になにもかもまかせるのも、なんなので、持ちまわりにした。
冷凍庫を開ける前に、須于の手元をのぞきこむ。
「今日はなに?」
「暑いし、冷やしうどんにしようかと思うんだけど」
「いいね」
忍が、二つのコップにいい音をさせて、氷を入れていると、包丁を動かす手を休めた須于が振り返る。
「彼女、なんかワケありそうね」
彼女とは、もちろん、ゆいのこと。
「うん、そうみたいだな」
返事をしながら、忍は冷蔵庫から微炭酸飲料を取り出す。
コップに注ぐと、氷の空気の入った部分からひび割れて、きれいな音がする。
注ぎ終わって、ペットボトルを冷蔵庫に戻してから、忍は笑顔を須于に向ける。
「ま、ここに来たのもなんかの縁だろ」
なんとも老成した台詞だが、忍が言うと、なんとなく納得してしまう。
須于は、その不思議さに笑いながら、頷く。
「そうね、そうかもしれないわ」
「ジョーが散歩してよかったよな、じゃなかったら、気付かなかった」
言い終わると、忍は背を向ける。
だから、それを聞いた須于がどんな表情をしたのか、彼は知らない。



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