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夏の夜のLabyrinth
〜2nd. 硝子のMermaid〜

■seashell・6■



翌朝、朝食の準備のために降りてきた亮は、階段下に何気ない感じを装って突っ立っているジョーを見つけた。
「おはようございます」
にこ、と笑う。
その笑顔に一瞬気おされたようだったが、ジョーは一呼吸して、ぽつり、と言った。
「やっぱり、『緋闇石』だ」
「そうですか」
笑顔を残したまま、亮は頷く。
やはり、誰が動いたのか、どうやって確認したのか、知っているのだろう。
「お疲れさまでした」
その単語は、確認した人物と、それに付き合った人物の両方に向けられたものに違いない。
ジョーは、軽く肩をすくめてみせ、そのまま部屋に戻ろうとする。
「二度は」
先程とは、語調の異なる声が追いかけてきて、その足を止めた。
振り返ると、亮は、こちらに背を向けていた。
だが、気配でジョーが振り返ったのはわかったのだろう。
「二度は、駄目ですから」
暗号のようだが、その意味するところは、理解できる。
ゆいに、もう危険を冒すようなことはしなくていい、と言いたいのだろう。
『駄目』という単語は、きついような気もするが。
「ああ」
わかった、の意味を込めて返事をする。
「……」
亮は、少しの間そのまま立ち止まっていたが、やがて台所に姿を消す。
ゆいの部屋の扉が、細く開く。
ジョーは、そちらにも頷きかけてみせてから、階段を上がっていく。



海岸沿いを走ろうと言いだしたのは、麗花だ。
珍しく早起きしたかと思えば、ずいぶん健康的な提案をする。たしかに、あんまりのんびり過ごしていると、体が鈍ってしまいそうだ。
そんなわけで、女の子二人して、早朝ランニングと相成った。
まだ、気温の上がっていない海岸沿いは、どちらかというと涼しい風が吹いていて気持ちがいい。
けっこう走ったところで足を休めて、麗花が大きく伸びをする。
「ふぁー、気持ちいいねぇ」
「うん」
返事をしてはいるが、須于はどこか上の空だ。
視線が、堤防の方をさまよっている。
須于の視線に気付いて、同じ方へと眼をやった麗花は、はしゃいだ声を上げる。
「あ、トビウオだ!」
言ったかとおもうと、リズムよく防波堤の上に飛び上がり、それから堤防を駆けていく。
その先では、きらきらと光を放ちながら、小さな魚が、飛んでいく。
二匹、順繰りに飛んでは、水の中へと消えて行く。
めいっぱいヒレを広げて飛ぶさまは、なにか一生懸命にみえて。
微笑ましいような、せつないような気分になる。
手の届かないところを、どこまでも行く、魚。
なぜ、届かないと知っていて、追いかけてしまうんだろう?
そう思うのに、視線は魚を追っていく。
どこまでも、どこまでも、大海原をいく魚。
きらきらと、光ながら。
「……かなぁ?」
誰かの声が、遠くに聞こえる。
規則的に繰り返す波が、不思議な伴奏のようだ。
波の音と、光る魚。
「須于?」
「え?!」
我に返ると、目前に麗花の顔があって驚いた。
「どうしたのぉ?ぼおっとしちゃって?」
須于は、笑顔を作る。
「なんか、景色に気を取られちゃった」
「ほう、詩人だね」
そう言って、麗花は笑う。
「海に見とれながら、物思いにふける美女か、いいね、絵になるよ」
「バカにしてるでしょ?」
「まさか、褒めてるんだよ」
にやり、と笑う。須于は、手を振り上げる。
「こら!」
「怖い怖い!」
大げさに震え上がってみせながら、麗花ははしゃぐように走り出す。
須于も、笑いながら追いかける。
「物思いもいいけどさぁ」
麗花が、立ち止まって振り返る。
「やっぱ、須于には笑ったのが、かわいいよ」
「褒めても何にも出ないわよ」
「ちぇ、おだててもダメかぁ」
二人は、声を立てて笑う。

楽しそうにじゃれている二人を、別荘のバルコニーから一人の人影が見ている。
柄にもなく早起きをしてしまった上、同室者が寝ているために、時間を持て余しているのだ。
彼は、二人のほうを見つめながら、ふ、と微笑む。
それから、自分が微笑んだことに気付いて、驚いたように口元に手をやる。
小さく肩をすくめた後、彼は煙草を取り出すと、火をつけた。



朝食の後片付けを忍にまかせ、亮は部屋に閉じこもってしまった。
その行動から、俊たちも方法はわからないが、深海に異常現象をもたらしているのが『緋闇石』だと、確認を取ったことを察したのだろう。どこか、緊張感が漂う。
忍が七人分の食器という、軽めの朝食とはいえ、けっこうな量のモノを洗っていると、俊がきた。
「……どうするつもりなんだろうな?」
「さぁな、それ考えるために、部屋こもったんだろ」
俊は、落ち着かなげに、テーブルを指で叩く。
「海の中にあったって、『緋闇石』は、人を操るんだろ?」
「そうかもな」
イライラの原因が、何にあるのかがわかった忍は、あえて楽観視しない返事をする。
「また……」
言いかかって、口をつぐむ。
気持ちは、わかる。
一度、あの石に囚われているのだ。人格を変えられ、なにをしたかの記憶さえ、残っていない。
ただ、わかっているのは、あの石の思うままにされていた、というコト。
もう、大丈夫、とは誰にも言えないのだ。
それどころか、一度囚われているのだからこそ、もういちど、の可能性さえ考えられる。
なにを言っても、気休めにしかならない。
それは、忍にもよくわかっている。
「何か起こる前に、どうにかする方法を考えてるよ」
もちろん、亮が、だ。
俊は、すこし眉をよせる。
「ずいぶん、信頼してるんだな」
口調に、皮肉が混じっている。
「亮のおかげで、『紅侵軍』に勝利したのは、変えようのない事実だよ」
「ああ、わかってる」
だけど、その場にいなかった彼にとっては、実感のわかない事実であることも確かだ。
吐き捨てるように言った台詞に、その気持ちがこめられている。
三ヶ月のタイムラグが、彼の中でどうしようもないイライラになる。
自分の記憶がないことも、その間に『第3遊撃隊』が変わってしまったことも。
でもそれは、自分以外に解決できる者はいないことは、俊も忍もわかっている。
わかってて言えるのは、気心が知れてる気安さだろう。
「じゃあ、俊も信じるんだな」
忍が、言う。
「簡単に言うなよ」
「それしか、言えることもないよ」
「……そうだな」
目線を反らして、少し黙り込んでた俊は、やがて、ちょっと照れくさそうに言った。
「悪い」
ちょうど、食器を重ねるところだった忍には、聞こえなかったようだ。



亮の指が、キーボードの上を忙しく走りまわる。
ノートPCの液晶モニターにも、強引につないだTVモニターにも、目の回るような忙しさで、煩雑な文面が流れて行く。
よくよくみると、それらは、様々な文献の引用なのだが、それがわかるようなスピードではない。
ときおり、その中に反転文字が現れ、亮の視線が移るが、すぐに文面は消されてしまう。
忍が部屋に戻ってきた時も、亮はなにかを消しているところだった。
こころなしか、キーボードを叩く指に力が入っている。
「お、かわいそう、キーボード、当たられてるよ」
忍の声に、亮は、少し機嫌の悪そうな顔で振り返った。
アイスカフォオレのグラスを渡しながら、忍は笑顔向ける。
「あんま、気張りすぎるなよ」
「そんなつもりは、ないんですけど」
「そうか?もう疲れてるように見える」
首筋に手をやりながら、亮はグラスを受け取る。
視線が、窓の外の海の方へただよっている。
「……でも、急がないと」
ぽつり、と呟いて、口をつけた。
『緋闇石』が、これ以上、悪影響を与える前に、というのはもちろんだろうが。
どうやら、それだけではないようだ。
亮にしては珍しく、大きなグラスの半分近く一気に空けると、机に置き、またキーボードに向かいなおす。
二つのモニターには、再び忙しく文字が走り始めた。
邪魔をするのもなんなので、忍は、ちょっと離れたところにある椅子に腰掛けて、外に目をやる。
ゆいが、海岸線を歩いているのが見える。
立ったり、しゃがんでみたり、えらく落ち着かなげだ。
散歩をしている風情ではない。
深海に影響を与えているモノが『緋闇石』であると確認してきたのは、彼女に違いない。
それを、亮がどうやって知ったのかは知らないが。
でも、要因のわからなかった昨日までと違って、なにが自分の生活場所に影響を与えているのか、彼女は知ってしまった。なにを取り除けば、いいのかを。
彼女の生活場所が、本当に深海なら。
だとしたら、間違いなく彼女の住んでいる場所は、異変にみまわれている一帯のはずだ。
その影響は、深海すべての生物に及んでいるはずだ。
たとえ、旧文明産物の生物だからといって、影響を受けないはずがない。
それから、昨日の亮の台詞を思い出す。
『マリンスノーが舞い上がっている一帯で、生命反応が消えています』
こうしているあいだにも、彼女の仲間が死んでいっているかもしれない。
ゆいは、焦っているのだろう。
亮の、『急がないと』の意味がわかる。
彼女は、深海に潜ることが出来る。
焦った上に、無謀な行動に出ないとは、限らないのだ。
ましてや、自分の仲間の命がかかっているとなれば。
でも、『緋闇石』に触れれば恐らく、その呪いよりも性質の悪い影響は、免れない。
そうしたら、こちらの手にも負えなくなる。
だから、『急がないと』いけないのだ。
手遅れになる前に、終わらせるために。



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