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夏の夜のLabyrinth
〜3rd. 夏の終わりに〜

■puzzle・2■



もう、深夜に近い時刻だろう。
流れる雲の間からさした月明かりに、細い影が浮かんだ。
しかし、それはすぐにおぼろげな影となる。
すっかり人気の無くなった中央公園の土手を、影は歩いている。
しかも、後片付けを待つばかりとなっている侵入禁止の区域のほうだ。
ゆっくりと歩いてきた人影は、大きな樫の木のところで、足を止めた。
夜風が吹いてきて、さら、と髪をゆらす。
「……?」
人影は、訝し気な表情を浮かべた。
誰か、自分以外の気配。
ゆっくりと、樫の木に沿って降りていく。
思わず顔をそむける。
ひどく強い風が吹いたのだ。
それのせいで、あたりの雲が吹き払われたらしい。目を開けると、月明かりで、あたりはかなり明るく照らしだされている。
樫の木に寄りかかっていた人も、こちらに視線を向ける。
瞳が、あう。
顔を見合わせたどちらにも、表情がない。
風が、もう一度吹いた。
歩いてきた方の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「ずいぶんと変わった時間に、散歩されてるんですね」
聞きようによっては、皮肉ともとれる口調は亮のものだ。
言われたほう、俊も、皮肉っぽい笑顔になる。
「人のこと言えた義理かよ」
「そうですね」
亮は、あっさりと肯定する。
視線が、川面の方へと移る。
俊も、つられたように視線を動かす。
視線に合わせるように、亮は数歩、川岸の方へ行く。
対岸には、明日には撤去されてしまう、提灯に露店に。そして、目前には花火の残骸。
華やかなものたちの抜け殻は、どこか寂しい光景だ。
川を流れていく水の微かな音だけが、聞こえてくる。
数時間前までの喧燥が信じられないくらいの、静寂。
まるで、その静寂に埋もれてしまうかのように、亮は黙ってそれを見つめている。
俊も、対岸に視線を漂わせていたが、
「今年の夏祭りも、終わったな」
間に耐えられなくなったのか、ぼそりと言う。
亮は、相変わらず対岸の方を向いたままだ。返事はない。
もしかしたら、聞こえなかったのかもしれない、と思ったのか、俊はもう少し大きな声を出す。
「待ち合わせでも、してるのか?」
こんどは、俊の方に振り返る。が、月を背にしたので、亮の表情はうかがえない。
俊の表情の方は、はっきりと見える。
なにかに挑んでいるような視線が、まっすぐに亮を見ている。
返ってきた声は、対照的に淡淡としたものだ。感情が、まったくうかがえない。
「こんな時間に待ち合わせですか?ずいぶんと変わった発想ですね」
俊は、視線を少し反らした。
そのまま、黙り込む。
所在なげに、俊の視線が漂う。ただ、亮のほうは見なかった。
また、静寂が支配した。
沈黙を破ったのは、今度は亮だった。
「待ち合わせを、しているんですか?」
視線を、亮に戻す。
川岸に近付くにつれ斜面になっているので、数歩しか前に行っていないのに、亮は見上げるように、こちらを見ている。視線がこちらを向いているのはわかるが、やはり表情はわからない。
問いかけた声からも、相変わらず感情は読み取れない。
いったい、どんな表情をしている?
もっとも、亮の顔が見えたとして、彼が感情がわかるような表情を浮かべているとも思えないが。
ポーカーフェイスが得意なのは、知っている。
それを知っていて、彼の表情をうかがおうとしている。
しばらく、亮をまっすぐに見ていたが、
「……してたけど、どうやら待ちぼうけだ」
俊は吐き捨てるようにそう言うと、背を向けた。
「じゃあな」
返事を待たず、そのまま、歩き出す。
亮からの返事はなかったし、俊も振り返らなかった。
後姿が見えなくなるまで、亮は見送っていたが、やがて視線を川面に戻す。
月明かりに照らし出されたその顔には、やはり表情はない。
すこし、視線を上げる。
空にあるのは、満月で。
あるはずの星が、見えない。
月明かりにかき消されて。
星が見えない。
亮は、そっと目を閉じる。

早足で川岸を離れたが、亮の気配が消えたところで、俊は歩調を緩める。
小さくため息をつく。
それで、自分の肩にずいぶん力が入っていたことに気付く。
気付いて、今度は苦笑が漏れてくる。
なにを、力んでいるのだろう?
いまさら、どうしてあんなところに行ったんだろう?
なにかを、期待していた?
まさか。
らしくないことをした。
ここ最近、いろいろあったから、ちょっと疲れてるんだ。
自分の行動を、そう結論付ける。
中央公園の脇に止めておいた、バイクから、メットを取り上げる。
ふ、と空を見上げた。
えらく眩しい満月が、こちらを見ている。
「星が、見えやしねぇ」
ぽつり、と呟くと、メットを被り、エンジンをかける。
よく手入れされたそれは、気持ちのよい音をさせると、勢いよく走り出す。
月明かりにかき消されて、星が見えない。
街灯のせいではなく、月のせいで。
俊は、バイクのスピードを上げる。



玄関の扉を開けると、ペットボトルを手に階段を上がろうとしていた忍と会った。
「よぅ、お疲れサマ」
ペットボトルのプラスチックキャップをひねりながら、言う。
顔に、少しイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。
亮は、なんのことか、と言うように少し首を傾げる。
忍が言葉を重ねる。
「見たよ」
「『五節の舞』ですね」
細いベルトをはずして、靴を脱ぐ。
「須于と麗花は、すっかり騙されてた」
「忍は、騙されなかったのでしょう?」
玄関に上がり、顔を上げた亮の口元に、微かな笑みが浮かんでいる。
「まぁな」
忍は答えてから、ペットボトルの中身であるお茶を、一口飲む。
「瞳は、隠せないからな」
「そうですね」
頷いてから亮は、少し首を傾げてみせる。相変わらず、微かに微笑んでいる。
「やはり、目立ちますか?」
瞳の、ことだ。
亮は、リスティア人にしては色素が薄い瞳をしている。
色素が薄いのは、瞳だけではない。全体的に、まるで水に溶いて薄めたように微かに薄いのだ。
肌も、髪も。
白を混ぜた色ではない。ただ、薄めた色、だ。
決定的に薄いわけではないのに、なんとなく目を引く。
ほかにも、そんな人はたくさんいる。亮よりも薄い色した人だって、だ。
なのに、亮は、目を引く。
多分それは、色のせいというよりは。
「そうだなぁ」
にやり、として忍は答える。
「美人だからな、今日も見とれてる奴がたくさんいたし」
「色は、目立たないと?」
亮は、正確に忍の言った意味をひろってみせる。
「そゆこと」
「でも、忍は瞳でわかったんですね」
忍は、もう一口、お茶を口にした。
「ああ」
立ちっぱなしでいたのは、少しの間なのに、ペットボトルは汗をかいている。手が濡れていた。
ペットボトルのキャップを、きゅっと締める。
階段のほうへと数歩行ってから、亮は振り返る。
「誰が言い出したんでしょうね、『目は口ほどにものを言う』って」
「さぁ……大昔の人間だろうな」
なんとなく、間の抜けた答えだ、と思う。
亮は、笑顔になった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
階段を上がっていくが、ほとんど足音がしない。
忍たちもそうだが、それは訓練されているからだ。軍隊、という性質上、できるだけ気配を消すのが必要だから。
でも、亮の場合はそうではなさそうだ。
単純に、体重の問題。
やせている、というより、彼はやせすぎだろう。必然、足にかかる体重も少ないから、音も立ちにくい。
その後姿を見送って、忍は少し肩をすくめた。
冷たさが失われてきたペットボトルを、冷蔵庫にもどすべく、台所に向かう。
笑顔が、ぎこちなかった、と思いながら。


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