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夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・10■



さて、本番である。
リスティア・ロイヤル・ホテルには財界、政界の大物が野島製紙社長の結婚式に出席すべく訪れる前なので、ちょっとした緊張感が漂っている。
そういった人物が参加するのは披露宴からだが、どうやら、少々早めに来た人物がいるようだ。
ずん、と立ちはだかかった人影に、一瞬ひるんだその人物は天宮健太郎。
が、すぐに微笑む。
「久しぶりだね」
このホテルのオーナーであり、健太郎とはランチしながら経済を語り合う仲である小野寺透子は、そんな笑顔では誤魔化されないらしい。
腕組みしたまま、健太郎をまっすぐに見ている。
「今日、なにがあるってわけ?」
「そういうことは、当事者に尋ねるべき質問だと思うけど」
「仕組んでる当人たちが、あっさりしゃべるわけはないわね、それに」
透子は、一歩、健太郎に近付いて見上げる。
「式に間に合うように来るってコトは、なにが起こるか知ってるでしょ」
『Aqua』最大の財閥である、天宮財閥の総帥であり、リスティア総司令官である彼は、自分の影響力というモノをよく知っている。
基本的に、こういったイベントには必要以上には参加しない。ましてや、式のほうに健太郎が顔を出すことは、まずあり得ない。
健太郎は、さらに適当に誤魔化すと、本気で透子が怒り出しかねない雰囲気なのを察して、笑顔のまま言う。
「詳しくは知らないけど、面白そうなコトが起こりそうだから」
「そんなあやふやなんじゃ、天宮が来た理由には弱いわよ」
「はいはい、降参」
両手を上げて見せてから、
「起こりそうなのはね、花嫁逃亡」
「花嫁が逃げるぅ?」
思わず素っ頓狂な声を上げたあと、透子は思い当たるフシがあったのだろう、はっとした顔つきになる。
「もしかして、君のトコの美人さんが来たのって……」
「悪いね、詳細を言うわけにいかなかったみたいで」
透子のほうは、あまりに楽しそうにニコニコしたままの健太郎に怒る気力もなくなってきたらしい。
「花嫁逃亡なんて前代未聞だわ、ホントに逃げ出せたらスゴイわね」
暗に、一般人が逃げ出せたらスゴイと言っているのだ。相手は、金にモノを言わせられるのだから。
「さぁ、どうなるだろうね」
「手を貸してるわけじゃ、ないでしょ?」
そういう公私混同をするタイプではないことを、思い出す。
よく考えれば、総司令官が私的に警備することはなさそうなことだ。
「俺は、見に来ただけ」
相変わらず、楽しそうな表情のまま、健太郎は言う。
「たまには、このくらいの楽しみがないとね」
ひら、と手を振ると、会場の方へと消えてしまう。

ホテル内にしつらえた教会とは思えないほど、採光が巧みな空間だ。
しかも、側面にはステンドグラスをあしらってあり、雰囲気も豪勢なもの。
さすが、リスティアでも最高といわれるホテルだけはあると、忍は感心してしまう。
教会はそれなりの大きさだが、式のほうには内輪しか呼んでいないらしい。
さほど、人数は集まっていない。
その中で、異彩を放っているのが、天宮財閥総帥。じつに殊勝な顔つきで座っているが、さきほど目が合ったら、にやり、と笑っていた。
どうやら、これからなにが起こるのかを、知っているらしい。
まさか、ただ見物に来たわけではあるまいと思いつつ、周囲を見回す。
教会の出入り口は一箇所ということになっているが、非常口を含めれば数箇所ある。
どこがどういうルートになっているかは、充分把握済みだ。
もちろん、自分たちだけではなくて、新郎方も。
野島正一郎は、黙って前を見ているようだ。体調は万全ではあるまい。おそらく、病院から直接、こちらに来たのだろう。
心配なのは、その一点だけだ。
それ以外は、完璧だ。
なんといっても、計画をしたのは、『Aqua』最高の軍師なのだから。
パイプオルガンが、お約束といってもいい曲を奏でだす。
扉が開いて、新婦の姿が現れる。
ちら、と視線を、姉の隣に走らせる。
久しぶりに、まともに見た父は、さすがに今日は飲んでいないらしい。
素面なのを見るのは、数年ぶりかもしれない。
表情が無いのは、娘が嫁ぐからではなくて、多分。
親類一同の中にいる、一組の夫婦に視線を移す。
かつて、母だった女が、そこにいる。視線を、まっすぐ前にむけたまま。
口元に、苦笑が浮かぶのがわかる。
普通の神経の持ち主なら、この場には姿は表せまい。
もっとも、そんな神経の持ち主なら、重婚自体、しないだろうが。
そんなことを考えているうちに、時間は過ぎていく。
そろそろ、今日の楽しいイベントの始まりだ。
神父の言葉に答える、正和の声が聞こえる。
「……誓います」
それから、神父がまた、長々と言う声が続く。
もう、少し。
「誓いますか?」
神父の問いに答えるべく、小夜子が息を吸う。
後姿だが、彼女の口元が大きく笑んでいることを、忍は知っている。
「まだ、誓えませんっ!」
よく通るその声が響いたとたんに、ほとんど音することがなく、色とりどりの煙が広がる。
赤、黄色、緑、青、紫。
ヘンに混ざり合うことなく、式場を埋め尽くしていく。
通常の式なら、誰もが感心しそうなほど見事な光景だが、ここにいる者全てが、これが演出ではなくて煙幕なのだと知っている。
「塞げ!」
もちろん、出入り口のコトだ。
声を発したのは野島側の誰かだが、それが誰なのかは忍にもわからない。
彼は、ゆうに数メートルは離れていたはずの小夜子の隣に、一気に飛んだかと思うと、その手を取る。
濃い煙幕のせいで、間近でも、誰がいるのかわからない。
が、つないだ手の感覚で、彼女は誰なのか正確に把握したらしい。
しっかりと握り返してきた。
無言で、足を踏み出す。
自分の側から花嫁が離れる気配を、正和は感じたらしい。
だが、彼女を捕らえようとはしない。
ぽつり、と声だけがする。
「チャンスは、あるのかな?」
「あげるわよ」
慌てて動く人々の足音に紛れて、花嫁のハイヒールの足音は消えてしまう。
ほどなくして、煙幕は薄れたが、花嫁の姿は、もう式場のどこにもなかった。
野島正一郎が、病人とは思えない、張りのある声を出す。
「すぐに追跡しろ、発信機とビデオを併用すれば、すぐ見つかる」
怒鳴っているわけではないのに、よく通る声。
とんでもないコトになった、との報告を受けて会場にやってきた透子は、珍しく、目を見開いてつぶやいた。
「ずいぶんとまた、ハデね」
煙幕の名残を目にしたからだけではない。
本来なら、幸せな二人が永遠を誓う場所であるはずの教会は、野島側の要塞に近い様相を呈している。
演出用に、と貸し出した大モニター数台には、発信機の信号、それからセキュリティカメラの映像がすばやく切り替わりながら映し出されていたからで。
映画の演出でも、見ている気分になる。
「大丈夫よ、他の客には迷惑はそうかけないハズだから」
完全に対処方法を見失って、戸惑っている支配人に向かって冷静な声で告げる。それから、楽しそうに様子を見守っている健太郎の脇へと行った。
彼は、腕組したまま、ゆったりと腰掛けている。
「で、どうなってるの、いま?」
「花嫁に発信機をつけたはずなんだけど、同一の信号が三つあるみたいだね」
にこにこと、一つのモニターを指してみせる。
なるほど、発信機の信号を捕らえているはずのモニターには、三つの発光点がある。
「信号をコピーされてる、カメラで追随しろ!」
カメラで写った画像には。
三人の、花嫁がいる。
同じ衣装で、同じブーケを手にして。
透子は、耐え切れずに吹き出した。

「うっわー、しっつこいなぁ」
うんざりした声を出したのは、麗花だ。
発信機信号を妨害され、カメラに写った花嫁が三人とわかった時点で、実力行使に移ったらしい。
イカメシイ格好をしたお兄さんともおじさんともつかない連中が、追いかけてきたのだ。
「振り返ってるヒマあったら、速く走れよな」
俊が振り返って、悪態をつく。
予測してた追っ手とはいえ、どうも麗花の速度がいつもと違う。計算があわなくなってしまう。
「しょうがないでしょ、こっちはドレスなのよ、ドレス!」
「だーもー」
喉元まで、んな慣れないもん着るなよ!という単語が出かかるが、ドレスは今日の必須アイテムだ。
我慢して、飲み込む。
が、俊の言いたいことは、察したらしい。
「イイ方法があるんだけどなぁ」
「なに?」
「肩車、して!」
言ったなり、俊の肩に手をかけてジャンプする。
「おい!!」
戸惑った声をあげつつも、きっちり受け止めて肩車してしまうのは、さすがとしか言いようがない。
「上手い上手い!」
楽しそうに笑いながら、麗花は自分のスカートにひだに手を突っ込んだ。
「お前、まっさか」
「その、まさかだよー」
俊は、振り返らずに目的ポイントへと走り出すが、後ろから聞こえる風を切る音で、麗花がなにをしているかは正確に理解できる。
得意の得物、ナイフが飛んでいるはずだ。
「よけそこなったら、どうすんだよ」
「威嚇だってわかるまえに、到達してよね」
どうやら、ケガをさせないようなモノを投げているようだ。
そこらへんは考えているということで。
「はいはい、お前こそ、追っ手に追いつかせるなよな!」
「あら、失礼ね」
「お前もだろ」
「誰に言ってんだよ」
思わずハモって、それから、笑い出す。

小さな悲鳴をあげて、須于がよろめく。
やはり、慣れないドレスはつまづくらしい。
よろめいた須于を、ジョーは抱き上げる。
「きゃあ?!」
どうやら、そちらのほうが、須于にとっては驚きだったようだが。
次の瞬間には肩に担ぎ上げられてしまっていたから。
相変わらずジョーは無言のまま、だ。
片手で須于を支えつつ、反対の手のエモノに弾を装備して、思いっきり口で引き絞る。
振り返って放たれたそれは、見事に追っ手の足に命中した。
彼の手にしているエモノは、パチンコ。
銃ではダメだとくぎを刺されたときから、そのつもりでいたらしいが、腕は確かだ。
振り向きざまに放っているのに、狙った場所をそう外していない。
須于をつれて走り出してから終始無言だったジョーが、ぼそり、と口を開く。
「須于、弾、とってくれ」
「どこ?」
「ポケットの中」
ポケットの中から弾を探し当ててジョーの方をみると、ジョーはゴムをのばして、いーっという顔つきで須于を見ていた。
どうやら、ハメろと言いたいらしい。
言いたいことはわかるが、どうみてもマヌケな顔つきだ。
思わず吹き出しながら、須于はジョーの口元に弾を入れる。
振り返って追っ手を一人、撃退してから。
照れくさそうに、ジョーは言う。
「そんなに、笑うな」
亮の指示したポイントは、もうすぐ、だ。
非常口のランプが、もう見えている。
後ろからの足音に、もう一度、ジョーはパチンコを引き絞る。
須于も、担ぎ上げられたまま、弾を取り出して渡す。
もう一人、転ばせてから。
須于を下ろして、先にやる。
そして、猛烈な勢いで、パチンコを飛ばし始めた。
足止めだ。
この非常口は、電子ロックだ。
須于でなくては、開けられない。
すぐに、声がする。
「開いたわ!」
ジョーは、追っ手に背を向けて走り出す。
追っ手の足は、少々緩んだようだ。
変わりに、勝利の声があがる。
「追い詰めたぞ!」
「この高さからは、逃げられない!」
が、ジョーは非常階段がついていない地上40階のそこから、須于を抱えて飛び降りる。
目を見開いている追っ手の視線の先で、大きくパラシュートが花開いた。



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