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夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・9■



口を半ばあけたまま、呆然としていたのは忍だ。
俊も、近い表情をしている。
「まさか……親父、そんなこと考えてたのか?」
「驚いたな」
ずっと、未練がましいとしか、思っていなかったのだ。飲んだくれるしか、逃げた妻を忘れる術を持たない男。
仕事以外には、酒しかみえていなくて。
家には、両親ともいないも同然だった。
いや、それよりも、ある意味、たちは悪かった。酔った父は、いつ暴れだすか、わからなかったから。
「どいつもこいつも、俺をバカにしやがって」
それが、口癖で。
指しているのは、妻と、その新しい夫と。
自分たちを顧みないことを、諦めた視線でみつめている子供たち。
父は、外で飲むことが多くなり、帰ってくるのは日付変更線を越えてからになり、顔を合わせることは少なくなった。
飲んだくれながら、父が待っていたのは、妻の帰りではなくて。
妻であった女を、告発する時期を待っていたのだ。
延々と、酒だけを友にしながら。
かっこいいとは、思わない。でも、野村正一郎にしてみれば、たったひとつ望みを繋いでいることを、切りたくはなかったのだろう。
でも、野島真人夫妻にしてみれば、死活問題だ。
結婚を急ぎすぎて、重婚になっている。
それが摘発されれば、重婚罪、詐欺罪だけではすまない。公式のデータに改ざんを加えた罪は、おそらくなによりも重い。会社が潰れるだけの騒ぎではすまないのだ。
社会的地位は、完全に失われる。
データを書き換えることなど簡単だと、思わせているうちに、諦めさせるしかない。
彼らの経済力をもってすれば、忍の父親の社会的地位を奪うことくらい簡単、そう告げたのかもしれない。事実、その通りだから。
でも、それを告げれば、忍の父親がどんな無茶をするか、わかったものではない。
忍の父親を守るために、野島正一郎がとれる手段は、身内に取り込むことしかなかったのだ。
だから、唐突な結婚を言い出した。
幸い、野島正一郎の跡取、正和は小夜子を憎からず以上に想っていたし、小夜子もまんざらな様子ではなかったから。
忍の父親に初志貫徹させたかったのかもしれないし、もしかしたら、身内に取り込むことによって、いままでのイザコザを一気に片付けたかったのかもしれない。
真意までははかりかねるが。
ともかくも、いまさら戸籍に干渉できるということが意味を持ってくるワケはわかった。
「まぁ、そう簡単に戸籍なんて書き換えられちゃ困っちゃうよね」
納得したように言った麗花は、ふと首を傾げる。
目前の軍師は、最高のセキュリティを誇るはずの軍事機密ですら、セキュリティがないかのごとく入り込むことができる。
出来るのは、入り込むことだけなのだろうか?
「亮なら、簡単?」
「数日、時間をいただければ」
質問の意味はすぐにわかったらしい。亮は、にこり、とする。
「で、この数日、なにをしてたって?」
忍が、口元に笑みを浮かべて尋ねる。
「ジョーカーを無効にする準備を」
「無効ったって、イロイロあるぜ」
俊の台詞に、忍がぽん、と肩をたたく。
「おまえ、その台詞、誰に言ってるんだ?」
「そうだよ、相手は亮だよ?」
麗花も反対側の肩を、ぽんとやる。
ジョーも、ぽつり、と言う。
「必要充分以外、考えにくい」
「どの選択肢も、選択可能なんでしょ?」
須于が首を傾げながら、亮に尋ねる。
「いますぐにでも」
そのあたりは、相変わらずだ。口元に浮かんだ笑みは、自信しかない。
「あちらのジョーカーは、いまやこちらの切り札になったわけか」
忍の台詞に、俊もニヤリとする。
麗花も、なにかを期待している顔つきだ。
「で、どうするんだ?」
「選択権は、あくまで忍とお姉さんにあるとは思いますけど、個人的な意見を述べてもよろしければ」
珍しく、亮が自分の意志らしいことを口にしたので、五人とも注目してしまう。
「どうせなら、ゲームは楽しんだほうがいいと思うんですが、いかがでしょう?」
言いたいことはわかるが、一つだけ懸念がなくもない。
「でも、結婚式依然に動こうとしないかな?」
「直接手が出ないように、野島正一郎も護衛をだしているはずですし、データの方は抑えてあります」
ようは、メンテといった名目で侵入したとしても、データに手出しが出来ないようにした、ということだ。
聞いた五人は、ニヤリ、と笑ってしまう。
「派手なのは、望むところだ」
「結婚式つぶせるなんて機会、滅多にないもんねっ」
「材料も用意したもんな」
うきうきした顔つきだった麗花が、はた、としたようにマジメな顔つきになる。
「あ、でもさ」
「どした?」
「小夜子さんたち、いいのかなぁ」
派手にぶち壊すのは、簡単だと思う。
なんといっても、こちらは戦闘のプロだ。失敗するとは思っていない。
だけど、この結婚式が決まったのは、強引とはいえ正和と小夜子が互いを憎からず想っていたからだ。
ヘタに周囲が壊したら、取り返しがつかなくなる。
「あ、それは大丈夫だと思うよ」
忍は、まったく心配していない顔つきだ。
「もしそうなら、あんな簡単には承諾しないはずだから」
「なるほどな」
「んじゃ、心置きなく」
決着は、結婚式だ。



ちょっと、洒落た喫茶店だ。
インテリアからカップ、ポットをはじめとする小物まで、アンティーク調でまとめられている。
だからといって、派手にはなっておらず、むしろ色合いはシックだ。
その、ちょっと奥まった席に、一人の女性が腰掛けている。
耳の下あたりから緩やかにウェーブした髪が、肩にやわらかく落ちている。
脇においてあるカバンが大きめなので、会社帰りだとわかる。
忍の姉、小夜子だ。
暖かい紅茶を口にしてから、ちら、と腕時計に視線を走らせ、それから手にしている本に目を落とす。
開かれているのは、本の真中付近。かなり長い時間、この喫茶店にいるらしい。
ゆっくりとページをめくろうとした小夜子の視界に、ふ、と影がさす。
小夜子は、視線をあげた。
スーツ姿の青年が立っている。
少し、肩で息をしながら。
スーツは、とてもいい仕立てのモノだ。この年の人間が着るには、不相応なくらい。
でも、彼にはそれが相応なのだ。
一社を背負う立場だから。
そこに立っているのは、野島製紙社長、野島正和だった。
視線があうと、小夜子は微笑む。
真剣な顔つきだった正和の表情も、少し緩む。
「ごめん、遅くなった」
「慣れてるわ、座ったら」
小夜子の口調は、怒ってはいない。正和は、相向かいに腰を下ろす。
やってきた店員に、メニューを見ることなく慣れた様子で注文を済ませると、小夜子の方に視線を戻す。
「突然だったしね」
小夜子は、微笑んだまま言う。
「驚いたよ」
正和も、口元に微かな笑みを浮かべる。
それは、むしろ苦笑に近いものだったかもしれない。
「必要外は、音信不通だったから」
「そうね」
小夜子の返事には、感情がこもっていない。正和の視線が、所在なさげに漂う。
なにか言おうと口を開くが、そのまま閉じてしまう。
うまい言葉が、みつからなかったらしい。
沈黙が場を支配してから、少しして。
店員が、彼の注文したお茶を持ってくる。
充分に蒸らされたそれは、正和がカップに注ぐとやわらかい香りを漂わせる。
それをゆっくりと口にしてから。
「あのこと、だよな」
「うん、あのことよ」
視線を絡ませて、それから、どちらからともなく、くす、と笑う。
なぜ、こんな大げさな言い方をしなくてはならないのだろう?本当だったら、もっと楽しく相談して、それから先のことで幸せいっぱいのはずで。
でも、いまの二人にとっては、そうではない。
「聞いた?」
小夜子が首をかすかに傾げながら尋ねると、正和は頷く。
「親父から聞いたよ」
少々、渋い表情だ。
「忍が、不法に入ったのは、謝るわ」
「いや……」
苦笑を浮かべる。
「むしろ、礼を言うべきかもしれないな」
言いたいことはわかったのだろう、小夜子も困ったような笑みを浮かべる。
「はりきってらっしゃる?」
「一時的じゃなく、はりきってくれるんだといいんだけどね」
「お悪いの?」
「腫瘍はとれたけど、手術が大きかったから」
ついこないだまで、互いの家のことは手にとるように知っていたけれど。
「腫瘍?」
「ああ、膵臓に……」
かなりの負担が心臓にかかったのだと、小夜子にもわかる。
「体力も落ちているけど、なによりも気力がな……」
いつも抱えている爆弾のほかに地雷も抱え込んだかもしれないと思ったら、さすがの正一郎も参ってしまったのだろう。
年も年だ。
なんとなく沈んでしまった空気をどうにかしようと思ったのだろう、正和は突然、話題を変える。
「反対しなかったんだね」
「賛成する理由はあっても、反対する理由はなかったわ」
もちろん、今回のカケのことだ。
正和は、少し、傷ついた表情をする。
「だって、ちゃんと言って貰ってもいないのよ」
「それは……」
小夜子は、言いかかった正和を遮る。
「私たちも、カケましょうか?」
「カケる?」
「そうよ、だって今は正一郎さんと、忍たちのカケだもの」
たしかにその通りだ。正和は頷いてみせる。
「僕らは、なにをカケるんだい?」
「わからない?」
にこり、と小夜子が微笑む。
正和の口元には、どこか寂しそうな笑みが浮かぶ。
「わかるよ」
口をつぐむ。
彼の胸元の携帯が、軽く震えたのが小夜子にもわかる。
「もう、行かないと……」
表情はかわらないまま、正和は立ち上がる。
「ええ、それじゃ」
「今度は……」
「結婚式ね」
それまで、会うつもりはないということだ。正和は軽く頷く。
背を向けて、ぽつり、と言った。
「望めるのなら……」
小夜子は、背中を見つめる。
が、続きはなかった。



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